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2024年7月 8日 (月)

北辰妙見尊の石仏(稲城市百村)

妙見寺の参道から分岐して急登する山道を上っていくと北辰妙見尊に至る。山の頂上にある妙見様の標高は95mほど、参道入口からは約50mの高低差がある。妙見菩薩は物理的な立ち位置を示してくれる北極星と同じとされる。鎌倉幕府の御家人である千葉氏は関東に妙見信仰を広めた。北辰=妙見である。

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峯の山道を登り始めてすぐに妙見寺に下りる道を分岐する。ちょっと道草して妙見寺の方に下りてみると、坂の下の方にいくつかの角柱石仏が転がっている。半分は山土に埋もれているが、一基のみはっきりと馬頭観音と分る。明治14年(1881)10月造立の馬頭観音で、側面に願主石井弥五郎の銘がある。

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ここから再び峰の道に戻る。間もなく妙見尊の階段への入口があり、鳥居がある。ここは東京都指定無形文化財の「百村の蛇より行事」という儀式が行われる場所。寛文2年(1662)に疫病が流行した時に始まった。毎年北斗七星になぞらえた百村の村民の中の7人が、萱場から萱を借り出して村人が集まって大蛇を撚り上げると、50m~100mの蛇の姿になる。こんな行事が行われるのがこの鳥居の脇である。

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萱の大蛇の儀式が行われる折に、蛇の頭はこの二十三夜塔のところに置き、胴体は石段を上って山上の社殿に延びていくらしい。この二十三夜塔は自然石の石塔で天保7年(1836)10月に造立されている。裏には紀年と妙見寺良善代建之の文字がある。台石には正面に講中の文字があり、側面には多数の名前が刻まれている。

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少し上にあったのがこの石坂供養塔。造立は文化7年(1810)11月で、かなり風化が進んでいる。坪内源五郎という名前が見られるのと、台石に惣村中の文字がある。

場所  稲城市百村1620

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