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2024年7月11日 (木)

普寛神社の石仏(稲城市百村)

稲城市百村を流れる三沢川、その左岸は山の斜面になっているが、山の斜面を登る道は古くからあり、今は松の台通りという通り名になっている。三沢川沿いの車道が出来る以前はこの松の台通りから分岐した道が鶴巻への道であった。松の台通りから分岐してすぐに鬱蒼とした林の間を通る。その中にあったのが普寛神社。昔の地図では鳥居ではなく卍マークになっている。

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普寛神社(普寛教会)というのは稲城市で明治時代に始まった御嶽講の集団。「普寛神宮」と書かれた鳥居があるが「普寛教会本部」という石柱もあり、修験者の興した講中らしい不可思議な雰囲気がある。御嶽講は木曽御嶽山信仰のひとつ。

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鳥居の脇を左手に進むと石仏が並んでいる。一番右の小さな石仏は舟型光背型の庚申塔で、日月、青面金剛、三猿が描かれている。造立年は元禄11年(1698)11月で、青面金剛の上に「奉造立」、脇に「庚申待供養二世安楽祈」とあり、武州多摩郡百村同行六人の銘がある。隣りの角柱型の石塔は享和3年(1803)8月造立の大乗妙典六十六部日本廻国供養塔。武州多摩郡百村の銘がある。ひときわ大きな笠付角柱型の庚申塔は嘉永元年(1848)11月の造立で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。左手にはショケラが下がる。「多摩郡百村」の文字がある。

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道路側に並んでいる板碑2枚のうち左の板碑はほぼ文字が読めない。上下欠となっているが、資料にも見当たらない。右の上部だけが残っている板碑は、暦應2年(1341)のもので弥陀三尊の種子がある。ちなみに百村は昔、三沢川より北側を川北、南側を川南と呼んでいた。

場所  稲城市百村202

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