薬王寺墓地の石仏群(多摩市諏訪)
多摩市諏訪は昭和45年に付けられた新しい町名である。昔の地名は多摩市大字蓮光寺字馬引沢らしい。町名を決めるに際して、この地に諏訪神社があり、古くから集落の中心になっていた。戦後の高度経済成長期に京王相模原線が通り、小田急多摩線も敷設されたが、その二線が並んだトンネルの脇に薬王寺跡がある。小さなお堂があるだけの墓地である。
堂宇には薬師如来があるらしいが、その裏手の墓所との間に石仏群ともいえるほど沢山の石仏が祀られている。手前にあるのは3基の丸彫りの地蔵菩薩像。左は新しいものらしいが、中央と右は古そうである。ゼニゴケと摩滅で文字が読み取りにくいが、右の地蔵菩薩はおそらく文政10年(1839)3月に念仏講中によって造立されたもの。中央は頭がコンクリートで後付けだが、多摩市の史料に載っていた丸彫りの地蔵と思われる。造立年は不詳。
樹木の後ろには多くの石仏や板碑があり、中心にあるのが自然石の馬頭観世音。造立年は天保4年(1833)11月で、台石には「南おのち道」「東さかはま道」「北ふちう道」の道標が刻まれ、「当所 講中 施主名」などが記されている。
馬頭観音の並びと手前脇には合計10枚の板碑が無造作に置かれている。2基は立てて祀られているが、23区内では板碑はほぼ寺の奥に保管されていて見られることは稀なのに、多摩市や稲城市に来るとこんな風に無造作に置いてあるケースが多々ある。板碑は鎌倉時代から室町時代のもので、ここは鎌倉街道が何本か通っていた地域。その時代のものが多いのは自然なのだろう。
場所 多摩市諏訪3丁目12番地
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