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2024年10月 3日 (木)

押立町の地蔵堂(府中市押立町)

広域の話になるが、多摩川の右岸と左岸に同じ地名がある例がいくつもある。世田谷区等々力と川崎市等々力、世田谷区宇奈根と川崎市高津区宇奈根、調布市布田と川崎市多摩区布田などがあるが、押立もまた府中市押立町と稲城市押立とがある。これらは概ね多摩川が暴れ川だったために、かつては一つの地域だったものが引き裂かれたようになったためである。ただし明治時代以降の流程は変わっていないので、江戸時代以前に分かれたものだろう。押立は川の流れで自然堤防が出来たことに由来するなど諸説ある。

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府中市側の押立町の路地に覆屋があり、その中に2基の石仏が祀られている。周辺に新しい道が沢山出来ているが、実はこの小堂の前の道が江戸時代から続く道で、この先の多摩川土手から渡し舟が出ていた。下流には矢野口の渡し、上流には是政の渡しがあったという。昭和初期にはほぼ使われなくなったが、二つの押立が結ばれたのは21世紀直前のことで、中央自動車道から分岐した稲城大橋がそれである。

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左の丸彫りの地蔵菩薩像は寛政元年(1789)10月の造立で、「押立本村女念仏講中」の銘がある。右の石仏は馬頭観世音が陽刻されている角柱型の馬頭観音。三面六臂の馬頭観音で、嘉永3年(1850)2月の造立である。側面に「世話人 高木惣右エ門 横田弥右エ門」と記されている。江戸時代にはこの前の通りを多くの人々が往来していたのだろう。

場所 府中市押立町5丁目7-1

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