光仙大菩薩文字塔(稲城市坂浜)
坂浜4丁目の比較的新しい戸建て団地の一角、学園通りと小田良(こだら)通りの交差点に小さな堂宇がある。平成の終わりころ、開発の折にこの交差点の一角に堂宇が建てられ、そこに石仏が祀られた。少し前まではこの辺りは何もなく豊かな自然の里山だったようだ。
堂宇の傍にはこの石仏の由来が書かれた板がある。「約300年前の宝暦年間に、全国修行の尼僧がこの地に立ち寄ったが、悪い風邪に罹り倒れてしまった。村人たちは小屋を建てて看病したが亡くなったので丁寧に葬った。その後誰ということもなく百日咳に罹った時にはこの祠にお茶を上げ、そのお茶を病人に飲ませると必ず咳が治ると言われ、百日咳の神様と呼ばれた。咳が治ったお礼に茶碗を備える風習が起こり、今でも堂宇の中には沢山の茶碗が所狭しと並んでいる。
櫛型角柱型の石仏の正面には「光仙大菩薩」とあり、天保4年(1833)3月の造立年がある。側面には「大塚新右エ門 同 三良左エ門」の願主名がある。小さな石仏だが、200年近く前に百日咳から回復した人かその家族が建立したものだろう。
場所 稲城市坂浜4丁目24-1
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