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2024年10月 6日 (日)

龍光寺の石仏(府中市押立町)

府中市押立町にある龍光寺は天台宗の寺院で、創建は不詳ながら寛永年間(江戸時代初期)にはあったとされる。深大寺の末寺で、当時から多摩川の河畔に立つ寺院だった。

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山門脇には本村神社があり、こちらは明和年間(1764~1772)の創建。奉行の川崎氏が神殿を開発し祀ったもの。押立の本村にあるので本村神社とした。山門から本堂はすぐ、割にこじんまりとした境内である。

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本堂の左手には自然石で造られた二十三夜塔がある。造立年は天保3年(1832)夏6月と刻まれている。龍光寺の銘のほか、奉行だった家系だろうか川崎家が4人、願主名にある。江戸時代はこの地域だけは男性のみの月待講だったのか男性名だけである。

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本堂脇を入ると墓所の手前に石仏が並んでいる。一番左にあったのは、宝暦8年(1758)10月造立の回国供養塔。正面には「日本回国供養塔」とあり、「武州多摩郡押立村 清水市左衛門」の銘がある。右のくし形角柱型の石仏は馬頭観音。一面のみの馬頭観世音菩薩が陽刻されており、造立年は文化4年(1807)11月とある。

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首なしの小さな丸彫り地蔵を挟んでその先はくし形角柱型の大乗妙典回国供養塔。造立年は明和6年(1769)8月で「生国羽州置賜郡尊岡村 願主円心」とある。尊岡村は聞いたことがないが、置賜の小国に泉岡村という村があったらしいのでそこかもしれない。隣の上部欠損した舟型光背型の地蔵菩薩像は造立年が欠けているため不明だが、「4月 武州多摩郡押立村敬白」の文字があり、「奉造立地蔵尊一体ため念仏供養二世安楽也同行」の文字があるので念仏講中によるもの。右の背の高い丸彫りの地蔵菩薩像は享保4年(1719)9月の造立で、こちらの台石には「奉造立地蔵菩薩 武州玉郡念仏講中敬白女人」の文字がある。

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山門と本堂の間に戻ると目立つのは3基の大きなくし形角柱型の読誦塔。右の日陰になっているのが延享元年(1744)中秋彼岸の供養塔で、中央は寛延3年(1750)2月の造立、左は宝暦5年(1755)2月のもので、3基とも川崎家によるものである。

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山門内側の隅にあるのが丸彫りの地蔵菩薩坐像。造立年は文政4年(1821)6月で、基壇正面には「地蔵大菩薩」の文字。左側面には「信心老若男女二世安楽也」とあり、これもまた川崎家によるものであった。

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山門の外側の植込みにあったのがかなり風化の進んだ笠付角柱型の庚申塔。造立年は宝永元年(1704)2月とあり、日月、青面金剛像、三猿の図柄。「奉供養庚申」「施主講中十八人 武州世田谷領押立村」の銘がある。明治初期の地図をみると押立村は割と大きな集落で、稲城村から押立の渡しを経て甲州街道を通って江戸へ向かう往来の重要な拠点だったことがわかる。

場所 府中市押立町4丁目35-2

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