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2024年10月18日 (金)

下平尾地蔵堂(稲城市平尾)

稲城市平尾は山の上に開かれた住宅地。今も都県境にあたるが、昔は生田村、柿生村との境であった。杉山神社の辺りを上平尾、新百合ヶ丘方面に下ったエリアを下平尾といった。上平尾と下平尾では標高は20mあまり上平尾のほうが高い。道路は緩やかな坂道になっている。今は都県境に近いところを平尾中央通りが通っているが、昔は一本西の通りが村道だった。

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下平尾の旧道にあるのが下平尾地蔵堂。なかなか立派な祠堂である。堂宇の中には4基の石仏が祀られている。平尾の地名の由来は「比較的平らな土地を(ヒラ)と呼び、(オ)は低い土地を指すらしい。麻生川とその支流によって開けた広い谷で農業が盛んだった。堂宇内は左の2基が庚申塔、右の2基が地蔵菩薩である。

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左端の庚申塔は舟型光背型、日月、青面金剛像、三猿が描かれている。青面金剛像の顔が大きいのが珍しい。造立年は正徳甲午年とあるので正徳4年(1714)9月、「奉建立青面金剛尊像」の文字がある。下部の願主名はほとんど石井姓。隣の駒型の庚申塔は、日月、青面金剛像、二鶏、三猿の図柄で、文化元年(1804)4月の造立。「下平尾村 願主石井平蔵」の銘がある。

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右から二番目の地蔵菩薩立像は享保9年(1724)4月。資料によると、基壇には多くの文字が刻まれ、「原宿村」の文字が複数ある。右には「是より右江戸道 左ふちう道」と道しるべになっているほか、左には「南無阿弥陀仏回国□二世安楽」、裏には「奉納大乗妙典六十六部」の文字があるらしい。原宿村がどこなのかはわからないが、上平尾と下平尾の間に「原」という小字地名があったようだ。右の地蔵菩薩坐像は文化6年(1809)12月造立で、台石には「四国西国秩父坂東供養塔」の文字、左には「平尾村 施主石井伊兵衛」の銘がある。

場所 稲城市平尾2丁目10-3

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