小田良墓地の石仏(稲城市坂浜)
稲城市のうちでも比較的標高の高い小田良(こだら)地区、現在は坂浜が住居表示となっている。ほんの十数年前まではほぼ里山と呼べるような棚田のある日本の原風景だった地域が巨大な戸建て団地になった(小田良土地区画整理事業)。谷あいである谷戸エリアが90mほどの標高だが、小田良の丘は120mを超え、その一角が稲城ふれあいの森として残された。
その森の入口にあるのが小田良共同墓地。歴史が深いのか墓地の中には古い板碑などもあって、見た目近代的な小規模墓地には珍しい石仏も見かける。その墓地の擁壁の上に堂宇とならんで石仏が祀られている。これらの石仏は開発以前からこの辺りにあったらしい。
手前にある舟型光背型の地蔵菩薩像は文字がどこにもなく、造立年も不詳。ただ見た感じはそれほど古い時代のものではないと思われる。その右の櫛型角柱型の石仏は馬頭観音。造立年は昭和10年(1935)10月、「施主 高橋耕作」と書かれている。
堂宇の手前にあったのがこの不思議な形をした馬頭観音である。なんとなく毒キノコのカエンダケに似ている。造立年は明治37年(1904)2月で「施主 大塚新右エ門」の銘がある。小田良の里から牛馬を使って作物を運ぶとなると、坂浜の谷を流れる三沢川沿いまで下り、鶴川街道を北東に進んで矢野口の渡しあたりで多摩川を渡り甲州街道を目指したのだろう。
場所 稲城市坂浜4丁目35
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