高勝寺旧参道六地蔵幢(稲城市坂浜)
1960年代以前の坂浜はほぼ山里だったようだ。高勝寺から三沢川沿いの鶴川街道に下る道が昔からの道で、1974年に京王相模原線が開通すると、この道は分断されてしまい、まるで水路のような道になってしまったが、これが街道筋から高勝寺へのもともとの参道である。
この急な階段と狭いトンネルと抜けると樹木に囲まれた道が少し続く。まもなく空が広がり、三叉路になる。山側に進むと個人所有地になる。川側に下ると天神通りに出る。この三叉路の真ん中に六地蔵幢が立っている。
とても大きなもので、高さは3.2mほどもある。造立年は比較的新しく、安政7年(1860)3月、当山三十四世義雄の銘がある。念仏講中によるもので檀家頭は富永家。基壇には「村中他檀中」の文字がある。
地蔵六角幢から少し降りて、天神通りに出る傍に笠付角柱型の道標が立っている。この辺りは小字では並松と呼ばれていた場所。道路側には「西 東京道」、裏には「稲城村青年団」、左面には「左 生田村」、裏側は確認できなかった。おそらく建立年があるのだろう。雰囲気的には明治から大正にかけてのものだと思われる。
場所 稲城市坂浜556
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