高蔵院前の馬頭観音(多摩市和田)
多摩市和田地区は江戸時代は和田村だった。一時期2人の旗本支配になり、中和田と上(あげ)和田に分かれたが、明治時代には再び一つの和田村となった。東側に隣接したのが百草村(日野領百草の飛地)であった。
上和田の中心になるのが真言宗の高蔵院。地頭であった山中新右衛門が天正年間(1573~1592)に再建したと伝えられる。中和田と上和田は大栗川の右岸左岸に分かれており、その間の大栗川河畔には田んぼが広がっていた。その高蔵院の向いの大きなお屋敷の塀にくぼみがあり、石仏が祀られている。
石仏は御影石で造られた馬頭観世音菩薩である。かなり新しいものと見受けられた。造立年などは読み取れなかった。御影石は文字を彫り込んでもまず読めない。馬頭観音の周りには光背のように硬貨が供えられていた。
多摩市の史料によると、この地には元から民家の垣根の下に馬頭観音が祀られていたようで、裏には「石坂茂兵衛」の願主名があると記されている。史料の馬頭観音の石質は砂岩とあるので、今ある馬頭観音はその後の再建かもしれない。
場所 多摩市和田672
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