青木葉天満宮の庚申塔(多摩市落合)
乞田川支流の谷筋にあった集落の地名が青木葉で、現在もその谷筋を南北に通るのが青木葉通りという生活幹線道路である。青木葉通りが落合けやき通りと交差するあたりから少し北西の高台にあるのが青木葉天満宮である。
麓は住宅街だが、天満宮へは階段を上っていく。高低差は10~15mほどだろうか。社務所のような建物があり、その脇を右に回り込むと裏手に天満宮の本殿がある。天満宮の由来については、寛政6年(1794)に同じく落合にある東福寺の住職が氏子とともに勧請したもの。明治4年の神仏習合で白山神社に合祀されたが、昭和59年(1984)~昭和60年(1985)に区画整理事業で現在地に遷移した。
社殿の脇に頑丈な堂宇があり、そこには庚申塔が祀られている。ちなみに、江戸時代には五人組という制度があり、落合村では唐木田、中組、山王下、青木葉、上之根(下落合)がその五人組として協力して道普請などしていたようだ。この辺りは江戸時代以前の関東の中心だった府中と鎌倉を結ぶ道、いわゆる鎌倉街道が何本か通っていた相模道ともいわれる道で、青木葉筋がそうだったらしい。
庚申塔は舟型光背型で、宝永3年(1706)2月の造立。日月、青面金剛像、三猿が描かれている。裏手の山は標高90m程度の広い大地になっていて、団地や公園があるが、開発以前はさらに40mほど高い山の中だった。その山を削って近代化した今、その脇に残る庚申塔は存在感がある。以前、この庚申塔は「別当坂」にあったと説明版に書かれていた。別当坂は少し南にあったようだがその場所は不明。
場所 多摩市落合2丁目24-1
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