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2024年12月11日 (水)

唐木田稲荷神社の石仏群(多摩市唐木田)

小田急多摩線の終着駅唐木田。終着駅というのは何となく風情がある。もっとも唐木田駅の先には広い車庫があるので終点感は若干薄い。唐木田というのは昔からの字名で、一説には中国の唐王朝滅亡の折、阿倍仲麻呂の子孫が亡命した王女を助け、王女が暮らしたのがこの唐木田だという。なんだかシャレみたいな話だが、真偽は不明。

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唐木田駅から電車車庫を見下ろしながら西に進むと唐木田稲荷神社がある。神社の多くは小高い場所にあるが、ここは周辺と高低差がない。昔は道筋からかなり高かったのが、宅地開発で谷が均されてしまったのだろう。鳥居をくぐると正面に社殿があり、社殿に向かって右手に石仏や小祠が並んでいる。

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写真の右は秋葉山供養塔。秋葉山は火を収める神様で、本宮は静岡県天竜川沿いの山の上。40年ほど前に天竜スーパー林道が開通したときに訪問したことがあるがとんでもない山中である。しかし火防の神様として全国に1,000社以上の末社を持つ。この供養塔、おそらくは燈籠だったのではないかと思われる。造立年は寛政11年(1799)9月で、「秋葉大権現」の文字と側面には「施主横倉与兵衛」の名がある。左は角柱型の庚申塔。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、寛政12年(1800)10月の造立。こちらも施主は横倉与兵衛である。

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本殿の向かって左手には大きめの堂宇があり、多摩ニュータウン造成時に周辺から移設された多数の石仏が祀られている。右端手前は舟型光背型の地蔵菩薩立像で、宝永5年(1708)2月のもの。「奉念仏供養同行12人」の文字がある。後ろは像容からすると大日如来像だろうか。こちらは寛政3年(1791)9月の造立で、やはり横倉与兵衛が願主である。寛政年間は間違いなく横倉与兵衛なのだろう。

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続いて左にはおそらく聖観音像だろうと思われる舟型光背型の石仏。左となりは薬師如来だろうか。この辺は年代がわからないが、資料によると横倉与兵衛の銘があるらしいので、寛政3年(1791)頃の可能性が高い。横倉与兵衛は当時のこの辺りの豪農横倉家の当主。横倉与兵衛は文化9年(1812)に85歳で他界したというが当時としてはかなりの長寿である。

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その左には舟型光背型の相対道祖神がある。寛保元年(1741)6月の造立で、「道祖神 道中安全祈同行10人」の銘がある。これも横倉姓がある。左は比較的初期型といえる庚申塔で、シンプルな文字塔の下部に三猿が陽刻されている。造立年は宝永5年(1708)2月で、「奉待庚申供養」「同行6人」とある。ここの石仏は同行人数が少ないが、横倉家を中心にかなりの財を有していたのではないかと思われる。

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一番左端にあったのがかなりあからさまな男根型の金精様(魂勢宮と書かれている)で、もともと慶応3年(1867)に造られたものがあったが、それを昭和52年(1977)に再建している。手前の台座に女性が腰かけると子宝に恵まれるとされていたようで、その様子を記録したものを見てみたいと思うが、さすがに見当たらない。

場所 多摩市唐木田1丁目13-4

東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)

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