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2024年12月23日 (月)

下落合八坂神社の石仏群(多摩市愛宕)

ここも多摩センター駅から近い。北側の台地上には団地があるが、もとは山を切り崩して作られた住宅地である。1970年頃まではまさに山の中だった場所で、その麓に残るのが下落合八坂神社。創建年代は不詳で、下落合(別名:上之根)の講中が祀ってきた神社で、昭和55年(1980)に多摩ニュータウン開発のため、周辺の社や石仏を集めて祀った。

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向かって右にある建物は下落合地区の集会所になっている。擁壁との間の奥に八坂神社が鎮座しているが、社殿には山王神社・弁天神社・三峰神社・榛名神社・御巌神社・金比羅宮・八幡神社などが祀られている。一番手前の大きな石碑は多摩ニュータウン開発時の移設について記されている。

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一番奥の社殿寄りにある背の高い丸彫の地蔵菩薩立像は宝暦5年(1755)8月造立の回国供養塔。台石正面には「奉納大乗妙典六十六部供養佛」の文字があり、側面には武州柚木領落合施主廻山の銘がある。

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左の覆屋下には合わせて13体の丸彫の地蔵菩薩立像が並ぶ。大きさも微妙に違うのでどの組み合わせの六地蔵なのかがわからない。手前の並びの低い地蔵には慶応3年(1867)の紀年が入っているが、後の列のものには安政8年(1779)や安永3年(1774)、安永8年(1779)の造立年が刻まれている。

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六地蔵群の左端がこの2体で、これらには安永8年(1779)の紀年が見られた。大規模開発があるとそれぞれの石仏の所縁や出所も分からなくなることが多い。上之根にあった六地蔵が含まれているのは情報が残っているがそれ以外はよくわからない。

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六地蔵の左にあったのは舟型光背型の地蔵菩薩立像で、造立年は元禄10年(1697)11月とここでは最も古いもの。「奉造立地蔵菩薩念仏供養□也」「武州多摩郡柚木領落合村」の銘がある。その左隣は舟型光背型の庚申塔で、日月、青面金剛像、二鶏、三猿が描かれている。造立年は享保5年(1720)11月で、講中25人の文字がある。手前の角柱は明治5年(1872)の石橋供養塔。

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次にあったのが比較的珍しいタイプで、角柱型の聖観音像である。造立年は嘉永5年(1852)8月で、「武刕多摩郡下落合村 藤原正臣」他の銘がある。聖観音の彫り込みが若干下手なのが愛嬌がある。

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一番道路側には3基の角柱型の石仏。右奥が馬頭観音で、正面には「馬頭観世音」の文字、文久元年(1861)11月の造立。これも元は上之根にあったらしく、「世話人落合村中 願主 同勇治郎」の銘がある。手前の角柱は明治5年(1872)の石橋供養塔で、左後ろの石柱には「道祖神」の文字がある。造立年は安政3年(1856)9月で、「當所神之根中 」の文字が見られる。

場所 多摩市愛宕4丁目14

東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)

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