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2025年1月 1日 (水)

貝取の石仏群(多摩市貝取)

多摩市の南部にある貝取地区は現在貝取という地名で、隣接する永山や豊ケ丘が昭和の新地名なのに対して以前からある地名だという。とはいえ貝取の地名の由来は不詳で、一説にはこの一帯が昔馬の放牧地で、飼取が訛ったものともいわれるが定かでない。また明治時代の地図にはこの辺りは「瓜生」という字名で、今も通りの西が貝取小学校、東が瓜生小学校のエリアである。

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小川流ラーメン貝取店の駐車場裏の擁壁上に沢山の石仏が並んでいる。以前から若干減っているらしいが、目の前の大通りは今も鎌倉街道と呼ばれる古くからの主要道であるから、ここに石仏が並んでいるのは自然なことだろう。上の写真の左の舟型光背型の地蔵菩薩立像は寛保元年(1736)10月の造立で、武州多摩郡小野路村の銘があり、「奉光明真言弐百万遍十方諸人二世安楽」の文字。右の駒型の庚申塔は日月、青面金剛像、三猿の図柄。元禄7年(1694)3月の造立である。「奉造立庚申塔 二世安楽也」と書かれている。

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草いきれを感じる斜面の植生がまだ元気な時期に訪問してしまったが本来なら冬枯れして石仏が隠れていない時期が望ましいのだろうが、致し方ない。3基目は舟型光背型の地蔵菩薩立像、造立年は不詳だが「奉立万人諸供養・・、小野路村」の文字がある。右のほぼ草に隠れているのも舟型の地蔵菩薩立像で、宝永2年(1705)9月の造立。「奉造立以念仏供養〇〇也」の文字がある。

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その右には駒型の庚申塔。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、元文元年(1736)の造立、月の部分は読めない。「奉造立庚申供養為二世安楽也」の文字がある。その右の少し小さい角柱は明治9年(1876)3月の題目塔で「南無妙法蓮華経」と「別所瓜生講中」の文字がある。

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唯一丸彫の地蔵菩薩立像は右から二番目。文字が見えないが、資料によると明和年間のもので11月とあるらしい。一番右の草に隠れている角柱は庚申塔で、明和6年(1769)10月の造立。文字塔で「庚申供養塔」とあり、道標を兼ねている。「右 〇〇田、大山道、左かな川道」の文字があるようだ。

場所 多摩市貝取3丁目10-2

東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)

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コメント

謹賀新年
野仏は自然の中で少しずつ朽ちていく感じがいいですね。
「ぼのぼのぶろぐ」さんのサイトを参考にしながら、半年で500か所くらいの神社、地蔵、庚申塔を巡ってきました。
これからもよろしくお願いします。

投稿: HAPPYMAN | 2025年1月 3日 (金) 23時57分

HAPPYMANさん

ありがとうございます。不動産価格上昇の時代に入って、野仏も移転や消失を余儀なくされることが多くなりそうな時代になりました。それだけに見ておく、拝んでおくというのはとても意味のあることだと思っております。こちらこそこれからもよろしくお願いします。

投稿: ぼのぼのぶろぐ管理人 | 2025年1月 4日 (土) 09時24分

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