« 峰岸家の石仏(多摩市豊ヶ丘) | トップページ | 愛宕神社の庚申塔(多摩市愛宕) »

2025年1月13日 (月)

高橋家墓所の石仏(多摩市乞田)

現在の多摩市乞田は乞田川の流域の地名だが、元来乞田川は蛇行していたので、明治時代以来左岸(北側)が乞田、右岸(南側)が平戸という字名だった。1970年代に多摩センター周辺の大規模開発が進み、乞田川も直線に付け替えられた。今は少しさびれ始めたニュータウンという様子だが、鎌倉時代から南北に鎌倉街道が通る交通の要衝だった。

Cimg1470

府中と八王子を結ぶ都道158号線から一本入った裏道の擁壁下に高橋家の墓所がある。時代の流れを忘れたような区画で、一段高い敷地には複数の石仏があり、低いほうには墓石と板碑群がある。

Cimg1472_20250111202701

一番奥の擁壁手前には大きな3基の石仏。左は弘化4年(1841)10月造立の角柱型馬頭観世音菩薩。「武刕多磨郡 乞田村 貝取村」の銘がある。乞田村の南東に隣接するのが貝取村である。中央は駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿、さらにショケラも描かれている。造立年は享保7年(1722)10月。「武刕乞田村」「奉信敬青面金剛転禍為福」の文字がある。右は自然石の「土公神」で造立年は弘化4年(1841)11月。

Cimg1479

向かって右側に並ぶのは、背の高い丸彫の地蔵菩薩が最左にあり、台石には享保4年(1719)8月の造立年と「岩船地蔵念仏供養 同行男女三百弐拾人余」「武刕多摩郡柚木領乞田村」の文字がある。隣の小さいほうの丸彫地蔵菩薩は台石が傷んでいるが、資料によると文化2年(1805)8月の造立。右から弐番目の角柱は馬頭観音で、造立年は天保11年(1840)11月。「願主有山常八」とある。一番右の小さな角柱も馬頭観音である。造立年は慶応4年(1868)7月で明治維新の年。小磯氏の銘がある。

Cimg1492

一段低い高橋家の墓地の奥には多数の板碑が祀られている。一か所にこれだけ集められているのは極めて珍しい。主に1300年代の板碑のようだが、重ねるように立てられており、確認はできなかった。

場所 多摩市乞田1082-2

東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)

| |

« 峰岸家の石仏(多摩市豊ヶ丘) | トップページ | 愛宕神社の庚申塔(多摩市愛宕) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 峰岸家の石仏(多摩市豊ヶ丘) | トップページ | 愛宕神社の庚申塔(多摩市愛宕) »