千手院の石仏(狛江市東野川)
狛江市東野川にある千手院は三嶋山覚東寺という名。創建年代は不詳だが、江戸時代には存在したらしい。すぐ北を流れる多摩川の支流の野川は昔は千手院の南側を東に向かって流れていた。都道114号線にある御台橋は当時の野川の橋の名称である。明治時代の地図には千手院の南側に水車もあったようだ。
現在の都道はほぼ大昔の鎌倉街道と重なっている。御台橋は鎌倉街道の橋なので相当昔からあったはず。昔は上覚東、下覚東に分かれており、京都に近いほうを上覚東、遠いほうを下覚東と呼んだ。覚東は昔は学堂で何らかの学び舎があったという説もある。また覚東と重複して小足立という地名もあり、古い豪族である強頸(こわくび)氏の館=強館(こわだち)から小足立になったという説がある。
本堂から墓所に通じる通路脇に六地蔵の堂宇がある。地蔵菩薩は近年の再建ものできれいだが、もともとは寛政13年(1801)2月の造立。願主は鈴木嘉右衛門、内田勘左衛門らとされる。古い六地蔵はかなり傷んでしまったので平成2年(1990)10月に平成天皇即位を記念して再建したと記されている。
その隣にある堂宇には舟型光背型の阿弥陀如来像が祀られている。これは古いもので、寛文8年(1668)正月の造立とある。覚東の念仏講中が祈念して建立したもので、「念仏講中男女46人」の銘がある。裏には栗山五右衛門の銘があるらしい。
場所 狛江市東野川2丁目4-2
| 固定リンク | 0
コメント