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2025年1月 7日 (火)

麦花塚(多摩市貝取)

府中市と町田市を結ぶ都道18号線は多摩市を南北に走る幹線道路。京王永山駅(小田急永山駅)の西を通っており、瓜生川沿いに広い道が走るが、昔も府中道、大山道と呼ばれた街道が走っていた。多摩村から山の中を通って鶴川村へ続く街道である。小田急多摩線、京王相模原線に近い街道脇に民家1軒ほどの敷地を持つ塚がある。

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この塚は麦花塚(ばっかづか)と呼ばれ、多摩市で大規模な土地区画整理事業が行われた昭和後期に周辺にあった石仏を集めたもののようである。時代が変わっても古いものを一掃せずに取り込んでいく日本人らしさを感じる。果たしていつまでこの日本人の心が残されていくのか不安な時代になってきたが、無くなることはないと思っている。

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手前の堂宇には大小の石仏があり、右の小さいほうは舟型光背型の阿弥陀如来像。造立年は古く、寛文13年(1673)2月と刻まれている。「武州柚木領郡宇龍村 奉造立寒念併同行八人 願主安西」の銘がある。左の大きなほうは舟型光背型の地蔵菩薩。こちらはさらに古く寛文8年(1668)10月の紀年がある。「武蔵柚木領郡宇龍村同行十七人」の銘があるが、宇龍村は瓜生村のことである。

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奥にある石仏群の一番右にあるのが舟型光背型の庚申塔。日月、青面金剛像、三猿のシンプルな図柄で、造立年は宝永2年(1705)10月とある。「武州柚木領瓜生村同行」の文字があり、前述の石仏から一世代進んで瓜生村の漢字は変わっていた。

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こちらのマンボウのような自然石の石碑が麦花塚の所以のものである。表に貝取出身の麦花という歌人の和歌が、裏には多摩・町田市域の歌人三十名の和歌が刻まれている。明治14年(1881)に麦花自身が建之したもの。かれは貝取村で刀鍛冶を営んでいた歌人で、まだ日本が貧しい時代にあってもゆとりある人生を歩んだのだろう。

場所 多摩市貝取1丁目18-3

東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)

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