西東京市田無町にある總持寺は真言宗の寺院で、創建は不詳ながら、江戸時代初期より西光寺としてこの地にあり、明治以降に近隣の密蔵院、観音寺と合併し総持寺となった。現在は片側2車線の青梅街道が近くを走っているが、もともとは総持寺の門前の東西への道が青梅街道だった。

総持寺の門前町ともいえる街並みがかつての青梅街道田無宿の中心である。かつて山門の前には田無用水が流れており、やすらぎのこみちとして今は暗渠化され遊歩道になっている。江戸時代の青梅街道の幅員は5間(9m)あり、にぎやかな通りだったことが想像できる。

本堂と社務所の間を抜けて墓地に出ると、すぐに複数の庚申塔や地蔵が祀られている場所に出る。街道の中心だけにいくつもの石仏があったのだろう。左端のひときわ大きな笠付角柱型の庚申塔は宝永6年(1709)11月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で「奉造立庚申講為二世安楽也」の文字があり、「武刕多麻郡田無村 同行39人」の銘があり、側面には蓮葉が描かれている。

その隣にあるのも笠付角柱型の庚申塔。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、造立年は享保5年(1720)10月、「奉造立庚申尊像二世安楽所」の文字と「武刕多麻郡田無村 27人」の銘が刻まれている。

その手前の笠付角柱型の庚申塔が一番古く、元禄元年(1688)10月の造立。日月、青面金剛像、三猿の図柄。こちらは「奉造立庚申如意信心施主二世安楽所」「同行11人」の文字がある。右隣の舟型光背型の地蔵菩薩像は古いものと思われるが欠損が多く造立年がわからない。「奉造立地蔵菩薩…安楽」の文字が見えるが、あちこちの欠損で読めない部分が多い。

右のほうには2基の丸彫の地蔵菩薩像があるが文字などで確認できる情報はなかった。角柱型の石柱は「大乗妙典六十六部回国供養」とあり、延享5年(1748)2月の造立年が見られる。また、「武刕多麻郡田無村」の銘もある。
場所 西東京市田無町3丁目8-12
東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)
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