尾張藩鷹場標杭(西東京市保谷町)
西浦北向地蔵尊のすぐ近くのマンション敷地前にあるのが5基並んだ「尾張藩鷹場標杭」である。享保時代には将軍や大名の鷹狩が盛んになり、上保谷新田を含む武蔵野新田の開発も活発になった。多摩、新座、入間郡の185か村に尾張藩徳川家の鷹場が設けられたという。上保谷村はその東南部分に位置している。
享保2年(1717)以降、鷹場を囲んで境界線に83本の標柱が立てられ、そのうち上保谷村の村境には計9本の御定杭があった。幕末に鷹場は廃止され、標柱は撤去されたが、上保谷村では5本のみが保存された。それぞれ、柳沢、下野谷、坂上という小字地名の場所にあったものらしい。
場所 西東京市保谷町5丁目16-4
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