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2025年3月 5日 (水)

田無上宿の庚申塔(西東京市田無町)

青梅街道と府中道がぶつかる交差点は西東京市田無町の中央にある。かつては都心から来た青梅街道が柳沢(やぎさわ)で所沢への道と分岐し、總持寺前を経てここに至った。どちらかというと田無宿の中では西のはずれに当たる。おそらくは京都に近いほうなので上宿と呼ばれたのだろう。位階が訪問看護ステーションになっているマンションの角、ちょうど府中道と青梅街道がぶつかるところに堂宇が設けられている。

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堂宇の中は暗くて狭いが、庚申塔と巡拝塔が祀られている。左の角柱型の石塔が巡礼供養塔で、正面には「奉納百箇所供養」の文字がある。造立年は安永5年(1776)8月とある。石塔正面上部には如意輪観世音と思われる仏様が陽刻されている。

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右側の笠付角柱型の庚申塔はかなり摩滅が進んでいる。上部から日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、そして下部に三猿が見て取れた。造立年は分からない。右側面には「是より府中道」とあるらしいが、暗くて確認できない。

場所 西東京市田無町4丁目19-8

東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)

京都に近いほうが上で遠いほうが下というのは半分誤解のようだ。今尾恵介氏の『地名崩壊』によると、中世の「国」レベルでは京都寄りを上、遠いほうを下、とする呼び方があったが、現代でいう市町村レベルではむしろ上流下流という概念のほうが多いらしい。つまり、多摩川の上流側が「上」で下流側が「下」というほうがリアル。

上目黒、中目黒、下目黒は目黒川の上下で付いたようだし、上井草ー下井草も、上北沢ー下北沢も同様だが、「下」の冠を嫌う人もいるので、「上」の付く名前は比較的残っているが、「下」の付く名前は住居表示変更で消えることが多い。なので、古い地図を見ると意外と上下が付いた地名が多いのに気づくのである。

(2025年4月12日追記)

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