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2025年3月14日 (金)

橋場分岐の石仏(西東京市芝久保町)

田無から青梅街道を西進すると漁具のヤスのように3方向に分岐する交差点がある。直進は青梅街道、斜め右が東京街道(江戸街道)、斜め左が都道132号線。どれも古くからの街道である。ちょうどこの辺りが田無町と芝久保町の町境で、青梅街道の北側に流れる田無用水が南の田無用水とこの交差点の場所で分岐していた。

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写真の左の道路が青梅街道、右は分岐する東京街道(江戸街道)で、その間に堂宇が2棟ありそれぞれに石仏が祀られている。この変則交差点の名前は「橋場」といい、用水の橋にちなむもの。ちなみに田無用水が開削されたのは1696年で玉川上水が出来て半世紀後にようやく水の権利が得られたのである。

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左の堂宇には庚申塔、右の堂宇には地蔵菩薩像が祀られている。どちらも季節柄かかなり厚着をしていて文字を読むのに難儀する。当時の青梅街道も東京街道(江戸街道)も広い街道だったから、この場所は交通の要衝である。

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庚申塔は笠付角柱型で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれている。彫はあまり深くない。「奉造立庚申供養為二世安楽也」の文字があり、造立年は元禄13年(1700)10月、同行29人とある。田無用水が出来てすぐの造立である。

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地蔵菩薩像は重ね着の厚着であったが、基壇の文字は読めた。丸彫の地蔵菩薩立像で、正面には「奉造立地蔵尊」の文字がある。ただ左側面には享和3年(1803)10月とあり「芝久保念仏講中」の銘、右側面には享保5年(1720)8月とあり「武刕多摩郡田無村字芝久保講中」の銘がある。おそらく享保に造立されたが、83年後の享和年間に再建されたと考えるのが自然だろう。

場所 西東京市芝久保町4丁目1番地先

東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)

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