又六石仏群(西東京市住吉町)
尉殿神社から住吉地蔵前を北上すること400m、都道と地蔵通りが交わる五差路の北の角に覆屋が立っている。信号機の上には「又六地蔵」の文字がある。横切る道路が地蔵通りという名前なのは、又六地蔵に因むものだろう。
現在は西東京市住吉町だが、昔はこの辺りが又六、東に行くと入道、入東、入西、入後、入南など、「入」の付いた地名(小字)が散らばっており、この「入」の文字が意味するものが何なのかが気になった。堂宇は交通事故から守るためか、ブロック塀で囲まれている。
中には5基の石仏が祀られている。中央に六地蔵幢があり、左に庚申塔が2基、右に地蔵菩薩像が2基という並びである。中央の六角の六地蔵幢が又六地蔵の主尊と思われる。造立年は安永5年(1776)2月。基壇は四角形で本体と下の笠が六角、最上部の笠は四角である。おそらく最上部の笠は本来のものではないとされている。又六の念仏講中による造立である。
左側の庚申塔のうち、左端は舟型光背型か駒型か微妙で、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。「武州新座郡上保谷村講中17人」の銘と、世話人名がある。上部には「奉造立庚申塔」とあり、寛政10年(1798)4月の造立年が見られる。右の板碑型庚申塔は日月、青面金剛像、三猿の図柄で、「奉造立庚申像二世安楽攸」「上保谷村 本願 池野谷仁左衛門一緒之同行12人」と刻まれている。造立年は元禄10年(1697)10月である。
右側の2基のくし形角柱型の地蔵菩薩像は全く同じ大きさなのでおそらく対として造立されたもの。側面をみるとどちらも明治30年(1897)11月の造立で、どちらにも「北足立郡上保谷村 又六講中30人 世話人保谷新造、保谷六蔵、池ノ谷金太郎」の銘がある。手前に小さな地蔵坐像があったが詳細不明である。
場所 西東京市住吉町3丁目18-19
| 固定リンク | 0






コメント