小金井市中町2丁目の路地裏の角地になかなか立派な地蔵堂がある。「下小金井村地蔵尊」と説明版には書かれている。『ここに置かれている地蔵尊、庚申塔は、その昔この南の江戸道(今の連雀通り)中念坂の分離点西側の三角地にお祭りしてあったもので、中山谷部落の農民が信仰する仏様・・・』とある。

江戸時代から近年にかけてこの辺り、野川左岸は中山谷と呼ばれた地域で、江戸道は現在の都道134号線(連雀通り)で三鷹の牟礼につながっていた。面白いのは牟礼のこの江戸道沿いも中山谷と呼ばれ、同じ地名だったことで、それは偶然かもしれない。中念坂はおお坂とも呼ばれる坂で、連雀通りと薬師通りの分岐の三叉から下る。明治末期までこの三叉路に地蔵堂があり、念仏講が行われており、中山谷の念仏講から中念坂の名前が付いたもの。

堂前にある大きな燈籠の基壇は文化9年(1812)に建てられたもので、農民の守護神「大山石尊大権現」と「榛名大権現」をお祭りした燈籠の下部になる。前述の三叉に建てられたが、土砂崩れに遭い、道路拡張もあって連雀通り(江戸道)の北側に移されたが、昭和45年(1970)に現在地に移転した。

堂宇内の右端にあるのが笠付角柱型の庚申塔。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、文化2年(1805)10月の造立。「講中30人 世話人権八」の銘がある。その隣は地蔵菩薩立像らしいが本体はほとんど見えない。頭部も欠損しているようで、基壇の情報のみになる。享保元年(1716)7月の地蔵菩薩像で、「右国分寺道 左加奈川道」の道標記載がある。堂内の板書きによると基壇のみで本体はいつかしら失われたとあり、明治期に隣の地蔵とともに本体を載せたらしいと書かれている。なお新しい説明版には「左手に錫杖、右手に宝珠を持った地蔵立像で、加茂下忠右衛門他3名によって建てられた」と記載されていた。

その隣の地蔵が上の写真の右の舟型の地蔵菩薩像である。造立年は庚申塔と同じ文化2年(1805)で、「念仏講中 下小金井村」の銘がある。下小金井村の念仏講によって造られたものだが、これは前述の中念坂の記載からの歴史がわかっているだけに興味深い。左下の小さな舟型光背型の地蔵菩薩像は文字が消されており詳細は不詳である。
場所 小金井市中町2丁目15-40
東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)
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