手前ネタを暴露すると今年(2015年)の夏は4人の小学生の孫たちとのスケジュールで散策ままならず、それ以上に余りの酷暑で昼間は身の危険を感じて散策などできなかったため、8月に至っては一度も石仏巡りに行くことができなかった。自分の少年時代は3~4度は低かったと記憶しているが、AIに聞いてみると
江戸時代の夏の気温(推定値)
- 最高気温:おおよそ 27〜28℃前後
- 夜間の気温:20℃前後まで下がることが多かった
- 猛暑日(30℃以上):ほとんど存在せず
- 真夏日(30℃近く):数日程度とされる
この時代は「小氷期」と呼ばれる寒冷期の後半にあたり、現在のような都市化やヒートアイランド現象もなかったため、気温は自然のままに近く、川や海からの風が町を涼しくしていたそうです。
という答えが返ってきた。シーボルトは江戸で34.4度の最高気温を記録したということもあるが、かなり気温は低かったようだ。

というわけで古い散策の記録(2015年)から引っ張ってきた写真で、上の写真は港区の広尾稲荷神社。社殿の天井には江戸時代の画家高橋由一の天井墨龍図がある。弘化2年(1845)1月に青山から麻布一円を焼いた青山火事によって社殿を焼失したが、翌々年に再建している。その時に描かれたもので、なかなか素晴らしいものである。そして神社の隣にあるのが庚申堂で、こちらには古い庚申塔が3基並んでいる。

手前の手水鉢も庚申講中によるものらしく、三猿が描かれ「塔前」「庚申」の文字がある。造立年は元禄8年81695)11月。後ろに並ぶ庚申塔は左が笠付角柱型で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。ショケラの痕跡もあり、元禄9年(1696)11月の造立。「庚申供養一結衆志」「現当二世安楽也」の文字がある。中央も笠付角柱型の庚申塔で、日月、青面金剛像、三猿の図柄。少し古く元禄3年(1690)10月の造立で、同じく「庚申供養一結衆志」「現当二世安楽也同行17人」の銘がある。右は摩滅して年代不詳だが、説明版によるとさらに古いものらしい。笠が小さい笠付角柱型で、日月、青面金剛像、三猿の図柄。こちらも「庚申供養一結衆〇」「現当二世為安楽也」の銘がある。
江戸名所図会によると当時の広尾は笄川が渋谷川に合流する低地で、ススキの原が広がり、草摘み、虫取り、月見などで江戸町民が行楽地として親しんだ土地。三代家光や八代吉宗らがこの原で鷹狩を楽しんだ。そんな時代のものが今もここにあるのが感動ものである。
場所 港区南麻布4丁目5-61
東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)
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