米津寺の石仏(東久留米市幸町)
東久留米市幸町はかつての前沢村や小山村の地域。明治22年(1889)に神奈川県北多摩郡久留米村として10カ村が合併。4年後に多摩地区全体が東京府に移管された。東久留米町になったのは1956年、市政を引いたのが1970年であった。幸町は東久留米市の中では中央北部に位置している。
米津寺は臨済宗の寺院で江戸時代の初期に地頭米津出羽守田盛が開基となり創建した。米津氏は徳川の御家人で、幕末まで徳川幕府に仕えている。両側に民家の立った長い参道を進み本堂にお参りすると、向かって左手に石仏が並んでいる。
畜魂供養塔、鰻之供養塔が並んだ右に覆屋があり、角柱型の石仏が祀られている。上部には馬頭観音が陽刻されており、馬頭観音塔と思いきや、その下には石橋供養塔と書かれている。造立年は安永4年(1775)5月で、「武州多摩郡前澤邑」の銘があり、「念仏講中 願主浄圓」の文字がある。この供養塔は昔は小山村と前沢村の境の楊流橋のたもとにあったもの。昭和40年代に道路改修を行った折に米津寺で預かることになったという。
場所 東久留米市幸町4丁目2-40

























最近のコメント