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2025年11月30日 (日)

地蔵堂の石仏(小平市花小金井)

田無のスカイタワーから南下する科学館通りは西東京市(田無)と小平市の市境である。そこを東西に走るのが江戸街道(東京街道)で、江戸時代は幅員4間(7.2m)の街道だった。南北の科学館通りの筋より西は小平村で、その境には今も覆屋があり石仏が祀られている。

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覆屋の中には地蔵菩薩、外には2基の石仏がある。覆屋の中の地蔵は丸彫の地蔵菩薩立像で、宝暦3年(1753)12月の造立。基壇正面には造立年と「奉建立…」の文字(下部は見えない)、「武刕多摩郡 柳窪新田」の銘が見られる。造立したのは小林原左衛門と川里伝六。

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覆屋の脇に立つ2基の石仏は庚申塔と馬頭観音である。江戸時代から明治大正にかけて多摩エリアのこの辺りは作物を江戸に運んで売るために牛馬が大活躍していた。加えて村境ということで、場所としては典型的である。

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右の馬頭観音は弘化3年(1846)5月造立のくし形角柱型。左面には川里捨五郎の銘が入っている。右側面には造立年が刻まれていた。左側の同じくし形角柱型の石仏は庚申塔である。文字塔で正面には「庚申…」とあり一部読めない。その脇には宝暦12年(1762)11月の造立年が刻まれている。

場所 小平市花小金井3丁目11番地先

東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)

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2025年11月27日 (木)

鎌倉街道の馬頭観音(西東京市芝久保町)

東京街道(江戸街道)と鎌倉街道が交差する芝久保町の交差点にかなり傷ついた馬頭観音が立っている。まさに辻の角に立っているので、何度となく車に激突されたのではないかと見える。

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鎌倉街道を挟んで向かいにはセブンイレブン西東京芝久保5丁目店がある。東京街道も鎌倉街道も古くからある古道である。残念ながらこの大きな角柱型の馬頭観音の詳細は分からない。田無の古い資料が入手できればと思うばかり。

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欠損と摩滅でほぼ読めないが、セブンイレブン側からみると「〇〇龍集…報」の文字が残るが、それ以外の面の文字は全く読めない。なぜ馬頭観音とわかるのかというと、それもどこで入手した情報か記憶にない。なんとも不甲斐ないが、記録にはとどめておきたい。

場所 西東京市芝久保町5丁目3-41

東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)

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2025年11月24日 (月)

小沢農園の庚申塔(東久留米市南町)

新青梅街道を走ると眼前に飛び込んでくる田無タワー。当初東京都西部の通信インフラ整備のための電波塔として電電公社(今のNTT)が建てたものだが、地元のお金持ちが道楽で建てたなどという都市伝説もあった。高さは195mあり、完成した1994年には都心以外にはこんな高い構造物はなかったから本当に目立ったが、今でも田無のランドマークである。

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田無タワーの北方向、約200mほどのところの小沢農園の角に庚申塔が祀られた堂宇がある。新青梅街道ではなく一本北側の久米川街道(柳新田通り)にある。柳新田通りはこの辺りが柳窪新田という土地だったことに由来、ヤナギクボではなくヤギクボと昔から呼ばれていたようだ。覆屋の中にあるのは駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、青面金剛像は蛇頭を巻き、ショケラを下げている。

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右側面には「奉供養庚申塚」と書かれ、左面には明和元年(1764)11月の造立年とともに「武刕多摩郡柳久保新田講中16人」の銘が刻まれている。また「是より左 ふちう道」とも書かれており、ここから南西に行くとやがて府中に行くことができる。

場所 東久留米市南町2丁目5番地先

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2025年11月21日 (金)

五差路の地蔵堂(東久留米市南町)

西東京市(旧田無市)と東久留米市の境界の辻に地蔵堂がある。この辺りは江戸時代は柳窪新田という土地で、地蔵堂の位置は東久留米市側にあり東西に延びる道は久米川街道と呼ばれる。田無方面に向かうと田無町で青梅街道に出る。

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北に延びる道も古くからある道で、10分ほど歩くと所沢街道に出ることができる。堂宇は立派なもので、手前に「柳窪新田自治会管理」とあるので、今もまだ柳窪新田としてのコミュニティが残っているのだろう。近年はこの地蔵は田無側の下田家の管理になっていたという情報があるが、昔の柳窪新田としての集団で保存しているのは好ましい形かと思う。

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祀られているのは舟型光背型の地蔵菩薩立像で、宝暦13年(1763)8月の造立。「武刕多摩郡柳窪新田 石橋建立」の銘があるが、この場所にはかつて玉川上水の水を引いた農業用水が掘削されていたらしい。その水路に架けた石橋の供養として建立されたものと思われる。

場所 東久留米市南町2丁目1番地先

東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)

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2025年11月18日 (火)

馬頭観音文字塔(西東京市西原町)

六角地蔵尊交差点から北へ、六角地蔵通りを歩くと、農地がいくつもあってその間に新築の戸建てが建っているベッドタウン化途中の風景が広がる。まもなく緑町二丁目の交差点に到着。

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交差点から南西に延びるのは西原自然公園通りという道だが、実はこの道も新しそうでいて古くからある村道である。西原自然公園は南西にしばらく行ったところにある植生豊かな公園。昔の武蔵野の一部を残したような雰囲気である。

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さて、緑町二丁目交差点の角にある堂宇の中に、自然石で造られた馬頭観音が祀られている。正面には「馬頭観世音」の文字があるがそれ以外は何もない。前の六角地蔵通りも古道で、江戸時代は幅二間半(4.5m)の道だったので牛馬も往来できたのだろう。東京に残る4.5m道路は概ねこの二間半の道である。

場所 西東京市西原町5丁目5-1

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2025年11月15日 (土)

西原の庚申堂(西東京市西原町)

新所沢街道が開通して景色が大きく変わった六角地蔵尊交差点付近は、ちょっと複雑な新旧の街道が交じり合う道になっている。交差点の北西側、所沢街道がさらに脇道に分岐する角に庚申堂が建っている。所沢街道(この辺りは新旧同一)が拡幅されて今の位置に落ち着いたらしい。

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堂宇に向かって右側に横向きに記念碑が立っている。「庚申塔改修記念 平成3年9月10日 所沢街道拡張の為、移転落成記念」とあり、並木重子、並木市郎、九区講中一同の銘がある。平成初期にはまだ講中があったと理解していいのだろう。堂宇の中央には笠付角柱型の庚申塔、脇には新しい別の庚申塔、そして手前に燈籠が立っている。

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石灯籠もかなりの年季ものなのだが、特に文字は見当たらない。後ろの左わきの御影石で造られた角柱型の庚申塔は、正面に「庚申塔」の文字があり、左面に平成3年(1991)10月吉日改修の文字がある。右の大きな庚申塔改修記念の石塔と同じ時期である。

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本尊の庚申塔は笠付角柱型で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれており、青面金剛は蛇頭になっている。造立年は寛延2年(1749)11月で、尊像右に「奉造立庚申尊像」の文字、基壇手前には「講中35人」の文字がある。右側面には「これより右 まへさわみち」、左側面には「武州多摩郡田無村」の銘と、「これより里左りところさわ ちゝふ道」と書かれている。街道の辻なので道しるべを兼ねているようだ。

場所 西東京市西原町5丁目1-1

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2025年11月12日 (水)

石幢六角地蔵尊(西東京市西原町)

旧所沢街道、新所沢街道、鎌倉街道が交差する六角地蔵尊交差点。この名前の由来になるのが南西角にある石幢六角地蔵尊。地蔵堂が面しているのが旧所沢街道、広い道幅の新しい通りが新所沢街道、そして脇道のようになっているのが鎌倉街道である。鎌倉街道はあちこちにあるが、この鎌倉街道は青梅街道の芝久保で消える。

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この場所は角にある中野家の敷地の一部らしい。しっかりと管理されているが、この六角石幢そのものが西東京市の指定文化財第一号であることもその重要性を物語る。造立年は安永8年(1779)11月で、六面幢のそれぞれに地蔵菩薩が陽刻されている。建立したのは田無村の地蔵信仰講中の43人と記されており、多くの信者がいたと思われる。

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この場所は昔から六方に道がつながっていたので、地蔵信仰の六道に因んで六角石幢になったのだろうか。各面にはそれぞれ、南沢道、前沢道、所沢道、小川道、保谷道、江戸道と六方向への道標も刻まれている。もっともこの地蔵幢は以前は所沢街道の向かい側にあったものを昭和60年(1985)に移設したとのこと。方向は乱れているが、文字はもうほとんど読めない。

場所 西東京市西原町2丁目5-43

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2025年11月 9日 (日)

西原町の馬頭観音(西東京市西原町)

街道の交差する田無の北原から所沢街道を北西に進むと、600mほどで府中道の分岐がある。ここから南へ行くと旧青梅街道をクランクで横切って小金井方面に街道が伸びていた。旧青梅街道のクランクには田無上宿の庚申塔がある。

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西原町の辺りも昔の地名は北原だったようだ。南へ下り青梅街道周辺に行くと田無でかなり大きな宿場町だった。この三叉路分岐近くに馬頭観音があるのは自然である。昔の所沢街道は道幅四間(7.2m)、府中道は道幅二間半(4.5m)だから当時から広い道で、牛車や馬車が通る道幅だった。ちなみに青梅街道は五間(9m)とさらに広かった。

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堂宇内の馬頭観音は座像。板状駒型か板状くし形が微妙だが、下部に尊像が陽刻されている。造立年は寛政9年(1797)7月と記されている。左側の文字は欠損と摩耗で読み取れない。「〇所澤〇〇衛門」とある。この辺りは今でも農地が多く残っており、昔ながらの広い農家も散見されるのどかな地域である。

場所 西東京市西原町1丁目9-13

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2025年11月 6日 (木)

大圓寺門前の石仏(東久留米市小山)

東久留米市小山にある大圓寺は天台宗の寺院。創建年代は不詳だが、天長年間(824~834)に慈覚大師円仁が創建したという言い伝えがある。円仁は比叡山延暦寺の高僧、最澄の弟子として天台宗を継承した。遣唐使として唐に渡り9年間も過ごした。

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山門をくぐり本堂に向かうと、間にもうひとつ立派な山門。扁額に「仁王文殊楼」とある。この山門手前に矢部藤九郎の墓がある。小山集落に伝わる殿様だった所の矢部さんの墓、とあるがよく意味が分からない。江戸四谷の全長寺にあったものを移設したらしい。本堂にお参りして最初の山門前に戻る。

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山門に向かって右手手前が笠付角柱型の庚申塔。三猿のみだが、文殊菩薩の種子と「奉信礼庚申待諸天納受所」の文字がある。造立年は延宝8年(1680)8月で、「武刕小山村 大圓寺法印天蔵」、「不動院」の文字が見られる。もとは小山生活センターの敷地に薬師堂があり、その境内に立っていたものらしい。左の角柱型の石仏は石橋供養塔だが上部に馬頭観音が陽刻されている。馬頭観音の下に「石橋供養塔」の文字と、天保6年(1835)3月の造立年が刻まれている。黒目川に架かる橋のたもとにあったものを移設した。

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山門に向かって左側には手前に大きな角柱型の馬頭観音。「馬頭観世音」の大きな文字と、基壇には「下里邑中」と記されている。天保9年(1838)4月に下里村で建立されたもの。右面には「武蔵国多摩郡下里村」の銘、左には「東いたはし5里、西八おうし5里、南江戸四ツ谷5里、北川ご絵5里」と書かれており、その為にゴリゴリ馬頭と呼ばれてきた。もとは八幡町三丁目のかね塚と呼ばれた三角地点にあったという。右の小さいほうは駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれている。造立年は延享3年(1746)9月で、左面に「江戸牛込原町三丁目 當摩傳衛門」とある。小山村は小山姓、当間姓が多い。

場所 東久留米市小山2丁目10

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2025年11月 3日 (月)

石橋供養塔と力石(東久留米市小山)

東久留米市小山は東が西武池袋線、北が水道道路、西を都道15号線、南を黒目川を境とする。南の黒目川にはいくつかの橋が架けられており、西から落馬橋、中橋、曲橋である。中ほどの中橋は小山通りが黒目川を渡る橋で、そのすぐ北(左岸)で東西に延びる大圓寺通りと交差する。この交差点の南西角に小山生活改善センターの建物があり、その前に供養塔と力石がある。

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三つの橋の数と手前に祀られた3個の力石の数にはおそらく関係はない。石橋供養塔は角柱型で明治23年(1890)4月に建之、「落場橋、中橋、曲橋、供養塔」と書かれている。落場は落馬の誤字だろうか。側面には「北多摩郡久留米村小山」の銘があり、明治時代なので小山村も東久留米村に統合されていたことがわかる。

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基壇にも沢山の文字が刻まれているが、正面中央にあった「頼母子講連盟」という文字が気になった。実は山口県で育った自分の子供のころ、近所の人々が集まって頼母子講を開いていた。「頼母子講(たのもしこう)」とは、日本の相互扶助制度の一種で、簡単にいえば「お金の持ち寄りグループ」「無利子の相互金融サークル」のような仕組みで、江戸時代から明治・大正にかけて全国で広く行われていた。それが昭和30年代から40年代初頭にかけては間違いなく私のコミュニティに存在していたことを思い出したのである。

手前の力石は一番右が大きく、45貫とある。古老の話では、昔村の若い衆が集まってこの一番大きな石を背負って坂を上って降りたものに与えようという話になり、当時樵(きこり)で山仕事で鍛えた力自慢の徳さんがそれを達成したので、それ以来徳さんの石と呼ぶようになったという。

場所 東久留米市小山4丁目1-25

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