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2025年12月 9日 (火)

円成院の石仏(小平市花小金井)

小平市花小金井にある野中山円成院は珍しい黄檗宗の寺院。野中山の由来はこの土地がかつての野中新田であったことで、江戸時代の武蔵国多摩郡上保谷村に創建されたのが宝永2年(1705)である。享保年間に幕府が周辺の新田開発を命じ、そこで尽力した矢沢大堅という人物が開基となった。

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江戸時代はまだまだ未開墾の武蔵野台地であったが、江戸時代も後期になると桑畑などが広がる農村地域になっている。円成院の北側には青梅街道が通っており、野中新田善左衛門組という土地である。立派な山門をくぐり本堂にお参りする。

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本堂脇に並んでいる石仏は7基、入口寄りの4基は小さな石仏。一番右は男根信仰の石棒で「根勢大権現」と書かれている。根勢は金精の意味だろう。この手の金精様には紀年などの文字がないことが多いがこれもない。その隣の地蔵菩薩像は摩滅が激しく詳細は不明。左の2基のうち、道側は墓石で享保7年(1722)と延享2年(1745)の日付がある。左端は舟型の地蔵菩薩像で、寛政2年(1790)5月の造立。

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本堂横に並ぶのは大きな3基の石仏。左の舟型光背型の聖観音菩薩は立派な石仏だが、詳細は不明。右の屏風風のものも描かれているのは施無畏印の聖観音っぽいが、側面には「當庵開祖…」の文字があるので違うかもしれない。これも詳細は不明。中央の駒型の庚申塔は素晴らしい彫りで感心する。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれており、青面金剛はショケラを下げている。ただし小太りの青面金剛像である。造立年は嘉永元年(1848)9月で江戸末期。「多麻郡野中世話人村役人 同善蔵」「願主講中」の文字がある。

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少し墓所よりの一角には石橋供養塔があった。文化5年(1808)3月のもので、願主は川里徳兵衛。「同所念仏講中」の文字もある。現在は完全に暗渠化されているが、青梅街道に並行していくつかの用水路が開削されていた。正面には「石橋四か所供養塔」とあるので、その水路に架けた石橋を供養して安全祈願したものだろう。

場所 小平市花小金井1丁目6-29

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