南養寺の石仏(2)(国立市谷保)
南養寺のある谷保の地名の由来は、地域の南部にあって川が近く、水田を切り開いて稲作をできる地域だった、つまり丘の上に対して谷を充てたという。鎌倉時代後期には谷保郷という地名が成立し、江戸時代になって甲州街道沿いに民家が増え、谷保村を形成した。その後本格的な発展は大正末期からで、国立音大や一橋大学が出来たのもこの時期である。
庚申塔の少し奥、墓所の入口脇に大きな地蔵堂がある。堂宇の中には大きな舟型光背型の地蔵菩薩像と六地蔵が祀られている。堂宇の手前には対の宝篋印塔が建ち、堂内には燈籠がこれも対で立っている。燈籠の竿部には「万人講」の文字が見られる。同様に「万人講」の文字は主尊の地蔵菩薩像の光背にもあった。
中央の地蔵菩薩像は慶安2年(1649)7月の造立で、高さは2m余りある。周りには万人講の願主名が多数刻まれていた。六地蔵は主尊を挟んで左右に三体ずつ並んでいる。丸彫で造立年は明和5年(1768)のもの。主尊の地蔵菩薩像は元は現在の久保公会堂付近にあったもので、江戸時代は今の矢川駅から南養寺を通る道を地蔵街道と呼んでいた。今の矢川通りである。
堂宇の脇には角柱型の三界万霊塔が建っている。「萬霊等」となっているのは意図的なのか誤字なのかは分からず、調べてみると、All living thingsの意味で生きとし生けるものを意味して「等」の字を使うらしい。造立年は寛政3年(1791)9月とあるが、この塔の願主名は佐伯氏とある。前述の馬頭観音も佐伯氏、山門の総門製作も佐伯氏だった。
場所 国立市谷保6218
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