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2025年12月27日 (土)

滝之院の石仏(1)(国立市谷保)

甲州街道沿いの谷保天満宮の北側の向かいにある滝之院は墓地で、すでに寺はない。もとは滝の坊といって、谷保天満宮別当の安楽寺の六坊のひとつだった。安楽寺は長和3年(1014)の創建だが、明治の廃仏毀釈でダメージを受けさらに火災に遭って廃寺になってしまい、六坊はすでになく、残されたのは滝の坊(滝之院)のみ。私は甲州街道から細い路地の坂を上って入ったが、脇の道のほうが現在は正門になっている。

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滝之院の敷地に入ると大きな石塔が建っている。上部に阿弥陀が陽刻され、「血文阿弥陀如来」と書かれた私の背丈ほどのもの。谷保天満宮中興の津戸三郎為守が割腹した際、その血でしたためた妻子宛書簡を木造阿弥陀如来の胎内に入れたという言い伝え。本尊は谷保天満宮に保存されているらしいが、これはそれを記念して建てられた石塔で、安永7年(1778)の造立。

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血文阿弥陀如来石塔の脇には覆屋があり、4基の石仏が祀られている。左から、駒型の不動明王像で文久2年(1862)4月の造立。このお不動さんは内藤定エ門の夢枕にお不動さんが立ち、お告げで滝之院の境内を掘って現れたものと伝えられる。左面には「越中国富山佐竹入道海詮」とある。隣の大きな舟型光背型の地蔵菩薩像は念仏講によるもので、寛文8年(1668)10月の造立。「念仏誦逆修同行男女65人現生安穏後生善生処」「府中谷保下村・・・」の文字がある。右の丸彫地蔵坐像のうち大きいほうは石橋供養塔で、宝暦11年(1761)2月の造立。これも念仏講中の造立で「奉納扶桑巡国 當三ケ所石橋建立供養塔」とある。右の像は文字が摩滅していてわからないが資料によると寛政7年(1795)のものらしい。

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血文阿弥陀如来石塔の向かいには庚申塔を中心に4基の石仏が並んでいる。左端の小さな舟型光背型の石像は馬頭観音、寛政元年(1789)8月の造立年が刻まれている。笠付角柱型の庚申塔は、日月、青面金剛像、基壇に三猿が描かれており、宝暦13年(1763)8月の造立。「武刕多摩郡下谷保村講中」の文字と願主名が刻まれている。右から二番目の角柱型の馬頭観音文字塔は文久2年(1862)11月のもので、「願主北嶋辰五郎」の銘がある。右端は馬頭観音だが文字が欠けていて詳細は不明。これ以外にも多くの石仏石塔がある貴重な滝之院で、千年の歴史を感じられる石仏が他にもある。

場所 国立市谷保5217

東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)

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