江戸街道庚申塚(国立市西)
国立市は武蔵野に開発された都市で、大正時代の末期に箱根土地(株)によって谷保村北部の山林が開発された折に、国分寺と立川の間なので国立という名前を付けた。紛らわしいが、国立音大は国立市ではなく立川市にあり、国立市からかなり離れているが、もとは谷保村にあったことで今も国立音大と名乗っている。国立市に今もある有名大学と言えば国立(こくりつ)の一橋大学である。市内の小学校も幼稚園も「国立」と地名を冠すると知らない人には「この街には国立の学校が沢山ある」と勘違いさせそうである。
そんな国立市も開発前の大正以前は武蔵野の山林でおおわれて、一部甲州街道や村街道である江戸街道が東西に延びる人口過疎地帯であった。今は北に学園通り、南にさくら通りという生活幹線道路が通る間に、昔の江戸街道があった。その道筋は今も健在である。江戸街道が分岐する角の家に覆屋があり、風化した庚申塔が祀られている。
笠付角柱型の庚申塔は摩滅が激しく、現在では文字はほとんど読めない。情報は国立市の資料から参照する。かつての江戸街道に面したこの庚申塔には、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれており(今は視認困難)、造立年は寛保元年(1741)とある。「奉造立庚申一躯」と書かれ、「是右(江戸)街道、左矢(川)」と記され道しるべにもなっていたようだ。
場所 国立市西3丁目6-3
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