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2026年3月30日 (月)

墓地前の廻国供養塔(東久留米市浅間町)

東久留米市浅間町は落合川よりも南東側の地域で、かつては落合村の一部であった。旧道の落合橋で落合川を渡り南へ進むと、まもなく墓地があり、墓地前に覆屋がある。

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墓地の西側には長寿池という湧水があり、湧水が落合川に流下している。この辺りは湧水が多く、古代から人が生活を営んできた土地である。覆屋の傍には説明版がある、回国供養塔の説明に加えて、「この回国供養塔は、はるばる讃州(香川県)豊田郡から旅をしてきた全無という人物が、落合村の人々の協力を得て建立したものとある。

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回国供養塔は櫛型角柱型で、正面に「奉納大乗妙典六十六部日本廻国供養塔」とあり、その右に宝暦13年(1763)10月の紀年と「讃州豊田郡北岡村願主全無」の銘がある。左には「武州多麻郡落合邑世話役 名主大野平次良、細田清兵衛、細田半三良、惣村中」とあり、造立のいきさつが分かる。

場所 東久留米市浅間町2丁目5-8

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2026年3月27日 (金)

落合三叉の庚申塔(東久留米市新川町)

東久留米市新川町の旧道の三叉に庚申塔の堂宇がある。三叉の北側の道は浄牧院に向かう道、南側の道は南沢の多聞寺に向かう道で、その分岐点にある。この辺りは昔は落合村で川岸という字名だった。すぐ先には落合川が流れていたのでついた地名だと思われる。

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駒型の庚申塔は、日月、青面金剛像、ニ邪鬼、三猿の図柄で、邪鬼が複数あるのは珍しい。邪鬼の表情がユニークである。造立年は文久3年(1863)7月、「多摩郡落合村」の銘があり、基壇には「惣村中」と大きく刻まれている。世話人として、西川家など5人の名前があるが、幕末のこの時代になるとそれぞれに苗字がついている。

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左にあるのは、僧形の刻まれたくし形角柱型の供養塔で、仏形の下に「霞月禅定門霊位(ヨ+大は霊の俗字)」とあり、文久2年(1862)8月の紀年がある。庚申との関係は分からない。昔はこの庚申塔は南側の道路に面して建てられていたというが、いつからか三叉の頂点に東向きになったらしい。

場所 東久留米市新川町2丁目8-11

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2026年3月24日 (火)

落合の不動明王(東久留米市新川町)

東久留米市新川町と浅間町の間を流れるのが黒目川支流の落合川。落合川に架かる橋に「不動橋」があるが、これは橋のたもとの不動明王に因むものである。不動橋の辺りは昭和後期に流程を変えて直線化しているが、それまでは不動通りに並ぶように流れていた。

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今は立派な堂宇が建ち、その中に不動明王が祀られているが、東久留米市の資料に載っている昭和50年代頃の写真には堂宇はない。古い角柱型の不動明王と新しい舟型の不動明王が野ざらしになっている。舟型の方は新しいもので、昭和53年(1978)5月の建立とある。こちらの不動妙を宇は座像で「東久留米市落合講中 町田金蔵」の銘がある。

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右の角柱型の不動明王像は上部に明王が陽刻されており、こちらが元からのお不動様。造立年は文政9年(1826)11月と刻まれている。「武刕多摩郡落合邑 氏子中 町田市右エ門」の銘がある。この町田市右エ門は新しいほうの像を建立した町田金蔵のご先祖様だという。

場所 東久留米市新川町1丁目18番地先

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2026年3月21日 (土)

江戸東京たてもの園の石仏(小金井市桜町)

江戸東京たてもの園は都営の博物館。両国にある東京都江戸東京博物館の分館の位置づけである。平成5年(1993)に敷地面積7haの敷地に開設し、文化って気価値が高い歴史建造物を移設して保存展示している。私はシニアなので200円で入館できるのでお得感が高い。屋外展示も石仏や燈籠から都電までいろいろとあって興味深い。

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園内にある石仏には庚申塔が3基ある。上の写真の左は駒型の庚申塔で造立年は元禄5年(1692)9月。駒型だが古いものである。日月、三猿が描かれており、「奉造立庚申供養堂」の文字が正面にある。右側は同じく駒型の庚申塔で、元禄13年(1700)10月の造立、「庚申供養塔」の文字があり、日月と三猿が陽刻されている。

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三つ目の庚申塔も駒型で、上部が欠損しているがおそらく日月はあったようだ。下部には三猿が陽刻されており、「庚申供養堂」の文字がある。造立年は元禄9年(1696)9月とある。右の駒型の石仏は馬頭観世音である。造立は安政4年(1857)9月と記されており、「鹿毛、栗毛」と馬の毛並み色も記されている。

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次は角柱型の石橋供養塔で「石橋三ケ所供養塔」の文字がある。造立年は文化元年(1804)12月で、「鈴木新田、野中新田、念仏講中」とあることから小平市にあったもの。また「多摩郡野中新田 願主武兵衛」の銘もある。右の駒型の石仏には「奉納百番観世音」とあり、造立年は文化8年(1811)3月。

場所 小金井市桜町3丁目7-1 江戸東京たてもの園

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2026年3月18日 (水)

海岸寺境外墓地の石塔(小平市御幸町)

海岸寺脇の路地を北にまっすぐ歩いていくと広い墓所に出る。海岸寺の境外墓地である。囲いはほとんどなく、西側は広い畑になっているが、南、北、東のどの方角からも入ることができる。この東の入口(小金井街道側)脇にあるのが背丈ほどの角柱型の三界万霊塔である。

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上部に陽刻されているのは一般的な僧形の座像である。正面には三界万霊の文字があり、造立年は弘化4年(1847)仲冬と側面に記されている。基壇に「惣檀中」とあるので、海岸寺の檀家がまとまって建立したものと思われる。その後ろには無縁の石仏が集められていたが、背後に移っている駒型の陰刻の地蔵菩薩立像が嘉永3年(1850)3月の紀年を読み取ることができた。

場所 小平市御幸町325

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2026年3月15日 (日)

海岸寺の石仏(小平市御幸町)

小金井市の北にあるのが小平市、玉川上水が境かと思いきや、意外に市境は上水から離れたりくっついたりで凸凹している。ただ小金井街道の小金井橋から西側、茜屋橋までは玉川上水が市境である。この小金井橋の近くにあるのが臨済宗の海岸寺。臨済宗は曹洞宗とならぶ禅宗系の宗派。京都の建仁寺が本山である。

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海岸寺の創建年代は不詳だが、江戸時代元文年間(1736~1741)には当地に引寺されたようだ。参道を進むとケヤキ造りの茅葺屋根が見事な山門があり、極めて貴重な建築物である。参道の入口には大きな2基の石塔がある。

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左の道路側がくし形角柱型の馬頭観音。正面には「馬頭観世音」の文字、基壇には願主名や村名が多数刻まれている。造立年は慶応3年(1867)10月。右は自然石で造られた庚申塔。基壇には講中の文字がある。造立年は天保4年(1833)10月と刻まれている。

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山門をくぐり本堂にお参りし、西側に出ると背の高い馬頭観音と六地蔵が並んでいた。馬頭観音は背丈以上の高さがあり、文政6年(1823)3月の造立。「26軒講中」の銘がある。六地蔵は丸彫の立像で、明治33年(1900)4月の造立。「念仏講中13軒」の文字が刻まれていた。

場所 小平市御幸町318

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2026年3月12日 (木)

赤稲荷の庚申塔(小金井市本町)

武蔵小金井駅から都道15号線を北上、北大通りとの交差点が本町二丁目交差点。この北東角にあるのが大松木之下稲荷神社で、通称を赤稲荷と呼んでいる。ここは多摩川支流野川に注ぐ仙川の源流近くで、この交差点周辺は現在も開渠になっている。この辺りは昔は上山谷と呼ばれたエリアである。

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大松木之下稲荷の名の由来は、ここにはもともとご神木の大きな松の木があったことに由来する。神社の由来などについては不明ながら、上山谷の講中が信心深く祀ったという。江戸時代末期に松の大木とともに火災に遭い、社ともに消失してしまい、後年今の形で再建されたという。

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鳥居をくぐってすぐにあるのが写真右の黒っぽい石色の庚申塔。上部が欠損しているが、青面金剛像と三猿は見て取れる。欠損の為に造立年は不詳、主尊右にかすかに文字が見えるが判読できなかった。左の笠付角柱型の庚申塔は、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、寛政4年(1792)2月の造立。「武州多摩郡府中領小金井村上山野講中」とあるが上山谷との違いは分からない。「世話人 傳右衛門 亦七」の銘もある。

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奥に石灯籠が2基あるが、手前の石灯籠には「庚申」の文字があり、「大山石尊大權現 大天狗 小天狗 不動尊」 「榛名大権現」と刻まれている。造立年は享和2年(1802)7月の紀年が見られる。奥の石灯籠には「前沢村・南野中新田・砂川村・貫井村・梶尾新田」などの講中が建立したものだが、造立年は不詳。

場所 小金井市本町3丁目8-3

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2026年3月 9日 (月)

黄金の水と地蔵幢(小金井市本町)

JR中央線武蔵小金井駅から少しだけ南に下った前原坂上の東側の路地にあるのが井戸「黄金の水」と地蔵堂。もともと武蔵小金井駅前のこの南北の都道15号線沿いには用水路が流れており、南流した用水は前原坂上の交差点辺りで東に流れを転じていた。この東に向かう都道は連雀通りで、西武多摩川線の東側の道路わきに水路跡の痕跡がある。

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もともと水路だった傍に井戸があるのもいささか不思議だが、国分寺崖線の上だからかなり掘らないと水は出ないように思う。井戸の脇の説明書を読むと、この井戸の掘削は平成16年(2004)とあった。やはり昔からの井戸ではないようだ。井戸の後ろには六角堂があり、これが地蔵幢である。覆屋の下には六角幢と丸彫の地蔵が祀られている。

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六角幢は立派なもので、宝永4年(1707)9月の造立とある。「奉建立地蔵壹品念仏講中為二世安楽也」と書かれており、「武刕多麻郡小金井村念仏同行46人」とあることから、この地の念仏講中で建立したものらしい。脇にある丸彫の地蔵菩薩像は大正8年(1919)3月に造立されたもので、「小金井村六地蔵講中」の銘があるので、六角幢を守ってきた講中が建てたものである。

場所 小金井市本町1丁目7番地先

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2026年3月 6日 (金)

金蔵院の石仏(小金井市中町)

武蔵小金井駅の南、国分寺崖線のハケの直下にあるのが真言宗の金蔵院という寺院。正式には天神山金蔵院観音寺という。創建年代は不詳だが、安土桃山時代に中興された。境内には大きなムクノキとケヤキがあり、市の天然記念物に指定されている。

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山門前から北側は崖線になっており、はけの道の上り坂になっている。昔は寺院の北側の道はなくはけの道は山門前で南に折れていたようだ。まっすぐ北に上る階段道がはけの上の道に繋がる急坂。寺の西側の坂道が妙貫坂、その向こうが質屋坂となり(バス通りは近代の道)、国分寺崖線の坂道が並ぶ。

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山門をくぐるとすぐ左に石仏石塔が集められており、その後ろ左には、かつては笠付だったと思われる聖観音像と百番供養塔(角柱)が並んでいる。聖観音像の側面はきれいな蓮が描かれており、正面には聖観音が陽刻、「奉納百遍之礼二世安楽成就」の文字と元禄4年(1691)10月の造立年が刻まれている。横の角柱型の供養塔は「奉納百番供養塔」の文字があり、宝暦10年(1760)7月の造立である。

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墓所は崖線の斜面にあり、墓所入口近くには古い六地蔵が並ぶ。六地蔵は安永9年(1780)4月の造立で、「念仏講中 内願主7人」「下小金井村下中三谷」の文字がある。世話人は〇村五兵衛と源蔵と書かれている。この辺りの昔の地名は中山谷というらしいが、「三」は「山」の誤字だろうか。〇村はおそらく前原あたりの名家だった磯村家だろうか。

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山門の近くには珍しい鶏供養塔が立っていた。新しいもので昭和26年(1951)の建立。上部にはレリーフがあり、鶏・豚・牛が描かれている。当時サンフランシスコ講和条約が結ばれ正式に平和な時代が訪れた記念に、戦火の犠牲となった人間だけでなく、鳥や豚や牛を供養したもの。なぜ馬頭観音に代表される馬がいないのかと不可思議だったが、造立したのが養鶏場、精肉店、孵化場などの人々だったので馬は入らなかったのかもしれない。

場所 小金井市中町4丁目13-25

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2026年3月 3日 (火)

はけの森の供養塔(小金井市中町)

武蔵小金井駅は四半世紀で大変わりした。昔は事故も多かった長い開かずの踏切があり、南に向かっては多摩墓地まで多くの石屋さんが並んでいた。東京で「ムサコ」というと、武蔵小山、武蔵小杉(神奈川県)、そして武蔵小金井のどれを指しているのかわからない。ただ中央線沿線は間違いなく武蔵小金井だろう。

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駅を南に歩くと、前原坂上からバス通りも長い下り坂になる、途中はけの道が東に分かれた場所から階段坂の妙貫坂の下りになる。ここは国分寺崖線でハケと呼ばれる河岸段丘の崖。急な妙貫坂を降りると間もなくはけの森緑地2がある。ハケの自然を残して自然を育む公園で、週4日のみ10時~16時の間のみ開いている。

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森の中にあったのは大きな六十六部回国供養塔。造立年は宝永5年(1708)8月とあるので、富士山宝永噴火の翌年である。六十六部は法華経を書写して全国66か所の霊場へ奉納する行脚のことで、この供養塔は紀州(和歌山)の森氏が両親の供養のために造立したもの。当初は旧志木街道(質屋坂通り)と薬師通りの交差点にあったというから、現在地からは100m余り西の辻である。

場所 小金井市中町4丁目12番地

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