武蔵小金井駅の南、国分寺崖線のハケの直下にあるのが真言宗の金蔵院という寺院。正式には天神山金蔵院観音寺という。創建年代は不詳だが、安土桃山時代に中興された。境内には大きなムクノキとケヤキがあり、市の天然記念物に指定されている。

山門前から北側は崖線になっており、はけの道の上り坂になっている。昔は寺院の北側の道はなくはけの道は山門前で南に折れていたようだ。まっすぐ北に上る階段道がはけの上の道に繋がる急坂。寺の西側の坂道が妙貫坂、その向こうが質屋坂となり(バス通りは近代の道)、国分寺崖線の坂道が並ぶ。

山門をくぐるとすぐ左に石仏石塔が集められており、その後ろ左には、かつては笠付だったと思われる聖観音像と百番供養塔(角柱)が並んでいる。聖観音像の側面はきれいな蓮が描かれており、正面には聖観音が陽刻、「奉納百遍之礼二世安楽成就」の文字と元禄4年(1691)10月の造立年が刻まれている。横の角柱型の供養塔は「奉納百番供養塔」の文字があり、宝暦10年(1760)7月の造立である。

墓所は崖線の斜面にあり、墓所入口近くには古い六地蔵が並ぶ。六地蔵は安永9年(1780)4月の造立で、「念仏講中 内願主7人」「下小金井村下中三谷」の文字がある。世話人は〇村五兵衛と源蔵と書かれている。この辺りの昔の地名は中山谷というらしいが、「三」は「山」の誤字だろうか。〇村はおそらく前原あたりの名家だった磯村家だろうか。

山門の近くには珍しい鶏供養塔が立っていた。新しいもので昭和26年(1951)の建立。上部にはレリーフがあり、鶏・豚・牛が描かれている。当時サンフランシスコ講和条約が結ばれ正式に平和な時代が訪れた記念に、戦火の犠牲となった人間だけでなく、鳥や豚や牛を供養したもの。なぜ馬頭観音に代表される馬がいないのかと不可思議だったが、造立したのが養鶏場、精肉店、孵化場などの人々だったので馬は入らなかったのかもしれない。
場所 小金井市中町4丁目13-25
東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)
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