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2026年4月30日 (木)

浄牧院の六地蔵(東久留米市大門町)

東久留米駅の東口からまっすぐに伸びる駅前通りに面した曹洞宗の寺院が浄牧院。山門や総門の向きが道路に直角ではなく斜めなのは、この駅前通りが新しい道で、もとは東西に走る都道234号線が古道の筋で、そこからの参詣道に建っていたからである。創建年代は不詳ながら室町時代から存在したらしい。

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山門をくぐると次にあるのが立派な惣門。平成5年(1993)に建てられた比較的新しいもので、表側に仁王像、裏側に風神雷神がある。木漏れ日のなかで静かな環境の境内である。惣門をくぐると本堂に向かって左側に六地蔵がある。

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造立年は不詳だが、近隣の村々の有志による建立。市の史料によると、前沢村、清戸村、神明山村、石神村の有志による造立とある。施主は寂栄とあるが、浄牧院の僧侶だろうか。

場所 東久留米市大門町1丁目3-4

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2026年4月27日 (月)

東本町墓地の石仏(東久留米市東本町)

東久留米市の東本町(ひがしほんちょう)は東武東上線と黒目川と門前大橋通りを境とする三角地帯の新しい地名。この辺りは昔は門前村の一部だったようだ。東久留米駅の開業は大正4年(1915)。当時の東武東上線の駅は、池袋・東長崎・練馬・石神井・保谷・東久留米・所沢しかなく、東久留米駅は当初からの駅であった。

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優先的に東久留米駅が出来たのは地元の村議であった神藤庄太郎氏が土地を無償提供し、かつ陳情を繰り返したお陰だという。また東久留米の地名は、久留米町だったこの地が福岡の久留米市との識別のために「東久留米市」としたのが由来である。この東本町にある墓地は浄牧院の境外墓地である。墓地の入口には昭和49年(1974)造立の六地蔵があり、その脇に古い舟型地蔵がある。

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舟型光背型の地蔵菩薩は明和2年(1765)12月の造立だが、尊像向かって右には「即應最新沙彌 宝暦8年(1958)」とあるがこれは西心という層の菩提を弔うために建立されたもの。左側には「扶助 當村中 願主自得全員」の文字がある。

場所 東久留米市東本町12

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2026年4月23日 (木)

門前金山塚の庚申(東久留米市氷川台)

東久留米市氷川台は市の北部にある地域。西側は西武池袋線が境だが、東側は門前大橋通りが境となっている。門前というのは古い地名で現在の大門、氷川台、東本町の地域にあたる。昔は門前村で、古い地図を見ても門前大橋通りが門前氷川神社の北で二股に分岐している。

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この二又の頂点に覆屋があり、庚申塔が祀られている。ちょうど地元のご老人がお参りされていたので話を伺った。「昔はここは急な坂でねぇ、庚申様も崖の上にあったんだよ」とおっしゃる。この坂道は金山坂と呼ばれ、坂上で清戸道・所沢道に合流する。

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市の史料に当時の写真があったので拝借した。確かに今とはまったく違い7~8mは高い場所にある。石仏探訪をしているとたまに地元のご老人に話を聞くことがあり、いつも参考になる。こういう民間の記憶は大切にしたいものである。

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庚申塔は笠付角柱型で享保19年(1734)2月の造立年がある。日月、青面金剛像、二鶏、三猿の図柄で、青面金剛はショケラを下げている。右面には「惣村供養佛」の文字があり、多数の願主名がある。貫井姓、野嶋姓が多い。左面にも同じく「惣村供養仏」の文字があり、こちらには女性名がある。

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堂宇の左わきにあるのは燈籠で、「猿田彦・・」の文字がある。これも庚申塔と呼べそうだが、剥離が進んでいて文字が読み取れない。造立年は明治15年(1882)4月とある。当時はもちろん崖の上にあったわけで、史料によると「三叉路の塚上にあり、以前は道路いっぱいに老樹が覆いかぶさり昼間でも暗かった」とあるので、明治時代に燈籠が建てられたのだろうか。今は笠部と竿部だけになっている。

場所 東久留米市氷川台2丁目3-2

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2026年4月20日 (月)

金山森の広場の観音(東久留米市金山町)

東久留米市金山町(かなやまちょう)は昔は金山(こうやま)という字名だった地域である。黒目川左岸の斜面に広がる地域であり、一般的に金山と呼ばれるのは鉱山があったり、鍛冶屋がいたりしたことに由来するが、この土地の起源は不明。ただ、氷川神社の前の坂は昔から金山坂と呼ばれているらしく、古くからの呼び名であることは違いない。

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金山坂の少し東側に武蔵野の森を保全したエリアがある。「金山森の広場」というこの場所は自然豊かな雑木林が残されており、東久留米市が保全に努めている土地のひとつである。市ではここ以外にも前沢、柳窪、南町などに計5ケ所の森の広場を保全している。この金山森の広場の北側のネットの切れ目に角柱型の石仏がある。

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かなり摩滅はしているが、正面には十一面観音像が陽刻されており、「十一面・・」の文字がある。造立年は文政9年(1826)とあり、左面には「武刕多摩郡 神山村」の文字がある。しかし観音像の頭部にはかすかに馬頭らしき造形もみられるので、もしかしたら馬頭観音と混じって造られたのかもしれない。

場所 東久留米市金山町1丁目14番地先

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2026年4月17日 (金)

宝泉寺の石仏(東久留米市神宝町)

東久留米市にある宝泉寺は天台宗の寺院。創建年代不詳だが、寺伝によると承和5年(838)慈覚大師による創建とされている。慈覚大師は天台宗の比叡山延暦寺を開いた最澄の一番弟子で、当時の天皇から「大師」の号を受けたのは最長と慈覚(円仁)だけである。出身は下野国(栃木県)なので近いと言えば近いが、真偽は不明。

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宝泉寺の筋塀の線の本数は3本。そこそこの格式を持つ寺院だとわかる。ちなみに塀の改築は平成に入ってから。江戸時代は神山村の北部に位置しており、堂坂という小字だったようだ。歴史的にはそれ以前の寺の規模がどうだったのか気になるが、資料は見当たらなかった。

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山門入って右手に丸彫の六地蔵が前後2列に並んでいる。前側の六地蔵は新しいもので、平成19年(2007)12月の造立とある。後ろに並んでいるのが先代の六地蔵で、天保15年(1844)10月の造立である。「武州多摩郡神山村」の銘がある。

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六地蔵の手前にあるのが駒型の庚申塔。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、青面金剛は頭が蛇頭で左手にショケラを下げている。造立年は文化9年(1812)11月。「多摩郡神山村 施主 志加野忠右衛門」の銘がある。資料によると、昭和の初めのころまでは神山二又の道路沿いに建っていたのを、宅地造成で宝泉寺に移したという。神山二又は宝泉寺の西側角だろうか。今は交通安全地蔵が祀られている。

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六地蔵と庚申塔の向かいには立派な六地蔵の六面幢がある。造立は文化9年(1812)11月で高さは1.6mほどある。上部には西國・秩父・坂東の文字もあるので観音信仰も同居しているようだ。基壇には「多摩郡神山村 施主志加野忠右衛門」の銘があり、向かいの庚申塔と同じ人物による造立のようだ。

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いちばん山門に近いところにあったのは、嘉永2年(1849)3月造立の丸彫の子育地蔵尊。基壇正面には「三界万霊塔」の文字がある。地蔵菩薩には三体の童子がしがみついている。神山村の念仏講中による造立で、周辺の村々の人々の協力もあったようだ。基壇には沢山の人名が記入されており、神山村念仏講中を中心に、八軒村、所沢村、栗原村、井草村、田無村、前沢村、亀ヶ谷村、西堀村、落合村、八石村、石神村、下清戸村の村名が読める。

場所 東久留米市神宝町2丁目13-9

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2026年4月14日 (火)

神山の地蔵尊(東久留米市神宝町)

都県境の野猿坂が境の道から西に分岐しているのが清戸道・所沢道の古道。分岐してまもなく北側に広い境内を持った覆屋根のある地蔵菩薩像がある。この地蔵菩薩像は東久留米市の指定文化財になっている。

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指定文化財なのできちんとした説明板も備えられている。地蔵菩薩自体は舟型光背型の地蔵菩薩立像で、造立年は元禄8年(1695)2月とある。「為寒念仏三歳頓證菩提敬願成就所」との記述があり、「武刕多麻郡神山村 木村半兵衛敬白」の文字が刻まれている。

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この地蔵菩薩は元は神山村と石神村の境の野猿坂にあったというので、庚申塔があるあたりだろうか。そこからここに移設されたらしい。神山村の人々が先祖の供養のために3年間寒中30日念仏を唱えて巡業する、いわゆる寒念仏を行ったことが分かる。東久留米市内で最も古い地蔵だと説明板に書かれていた。

場所 東久留米市神宝町2丁目3番地先

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2026年4月11日 (土)

石神三丁目庚申塔(新座市石神)

新座市栗原で清戸道と所沢道を合わせた街道を北へ進む。黒目川の蛇行の痕跡の地域を抜けると、現在の黒目川に架かる神宝大橋を渡る。その先で北上する清戸道・所沢道は左へ曲がり、真北へ伸びる都県境の道と分岐する。この分岐点の少し南に小さな堂宇がある。

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庚申塔の祀られた堂宇の前の道は野猿坂という名のある坂道。東久留米の神山地区と新座の石神地区の区界の道でもあり、この庚申塔に由来して野猿坂の名前があるという。三猿に因んでいるのである。

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堂内の庚申塔は駒型で、三猿のみのシンプルな図柄。三猿の上部に「庚申供養攸」の文字があり、造立年は貞享5年(1688)7月と刻まれている。庚申塔の中では古いもの。下部には「武刕新倉郡石神村」の銘のほか、願主名が並んでいた。

場所 新座市石神3丁目13-23

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2026年4月 8日 (水)

駐車場の馬頭観音(新座市栗原)

所沢道と合流した清戸道を北へ進む。黒目川の神宝橋へ向かって緩やかな下り道。下りきった所には黒目川の無名の小さな水路の痕跡が残っている。どうやらこの水路はかつての黒目川の流程で、この辺りで旧黒目川は南北に分かれて複雑な流れになっていた。今の水路になったのは昭和の後期になってからである。

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旧水路を跨ぐ手前に駐車場があり、その一角に石仏がある。覆屋もなく野ざらしである。右の石仏は、丸彫の馬頭観世音坐像で、明治8年(1875)10月の造立年が刻まれている。台石には大きく「栗原」の文字がある。左の方は櫛型角柱型の石仏で、「馬頭観世音菩薩」の文字が正面にある。「武刕新倉郡石神村」の銘がある。

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石神村は黒目川をはさんで栗原村の北側対岸の村だった。栗原村と石神村の関係は位置的なものだけなのかどうかは分からないが、江戸時代から明治時代になった時に、片山十か村と呼ばれた野寺村、中沢村、十二天村、下中沢村、下片山村、石神村、原ケ谷戸村、辻村、堀ノ内村、栗原村の10村が片山村と合併し、昭和になって周辺との合併で新座町が出来た。清人道は牛馬運搬の時代の重要な街道であった名残りの石仏である。

場所 新座市栗原1丁目14

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2026年4月 5日 (日)

清戸道の馬頭観音(新座市栗原)

東久留米市旧落合村を散策していたら気づくと埼玉県に入っていた。ただしローソンのある交差点までは都道234号線、それより東は県道24号線になるので、この無名の交差点が境と言えるかもしれない。行政上の境は確固たるものではなく、昔のある一時点に決めたものを役人都合で頑なに守っているだけのものが多い。

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ローソン前の無名の交差点ははるか昔から街道の辻だった場所。南から来る所沢道と東から来る清戸道がここで出合い、北に街道は進む。これより少し北の地域ではこの街道(所沢道・清戸道)が都県境になる。清人道は練馬区から清瀬(昔の清戸)を結ぶ街道で、農産物運搬の重要な街道だった。ローソンの向かいの駐車場に覆屋がある。

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堂内にあったのは御影石で造られた比較的新しい石塔で、正面には「馬頭観世音」の文字がある。右面には昭和19年(1944)3月の造立年があるが、左面の願主名などは御影石の模様のせいで読み取ることができない。この街道筋の要衝に馬頭観音があることからも、この道が農産物の往来に重要な道だったことが分かる。

場所 新座市栗原3丁目11-33

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2026年4月 2日 (木)

宮前橋の石仏(東久留米市浅間町)

黒目川に神宝町で注ぐ落合川、その落合川に都道234号線の新落合橋脇で合流するのが立野川という支流である。南沢あたりを源頭にして、浅間町を流れ下っている細流。落合浅間神社の傍を下り、旧道でクランクした後、落合川に合流する。浅間神社の前でこの流れを渡るのが宮前橋である。

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上の写真の青いネットに沿って立野川は流れている。宮前橋脇の角にシンプルな覆屋があり、大小の石仏が祀られている。左の小さい方は舟型光背型の地蔵菩薩像。宝暦8年(1758)11月の造立年が刻まれている。基壇には「川傳横松?」という意味不明の文字が見られる。もしかしたら右からの読みで「松横傳川」、ただそれも意味不明である。

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右の笠付角柱型の石仏は馬頭観音である。三面六臂の馬頭観世音菩薩が陽刻され、「武刕多摩郡落合村 願主 西川作五エ門」の銘がある。造立年は文化9年(1812)2月。世話人の名前や願主名もあり、南沢、前沢、小山、上保谷、その他いろいろな村の願主が並んでいる。これらの人々は馬主で、共同して造立したものらしい。

場所 東久留米市浅間町2丁目5-5

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