東久留米市にある宝泉寺は天台宗の寺院。創建年代不詳だが、寺伝によると承和5年(838)慈覚大師による創建とされている。慈覚大師は天台宗の比叡山延暦寺を開いた最澄の一番弟子で、当時の天皇から「大師」の号を受けたのは最長と慈覚(円仁)だけである。出身は下野国(栃木県)なので近いと言えば近いが、真偽は不明。

宝泉寺の筋塀の線の本数は3本。そこそこの格式を持つ寺院だとわかる。ちなみに塀の改築は平成に入ってから。江戸時代は神山村の北部に位置しており、堂坂という小字だったようだ。歴史的にはそれ以前の寺の規模がどうだったのか気になるが、資料は見当たらなかった。

山門入って右手に丸彫の六地蔵が前後2列に並んでいる。前側の六地蔵は新しいもので、平成19年(2007)12月の造立とある。後ろに並んでいるのが先代の六地蔵で、天保15年(1844)10月の造立である。「武州多摩郡神山村」の銘がある。

六地蔵の手前にあるのが駒型の庚申塔。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、青面金剛は頭が蛇頭で左手にショケラを下げている。造立年は文化9年(1812)11月。「多摩郡神山村 施主 志加野忠右衛門」の銘がある。資料によると、昭和の初めのころまでは神山二又の道路沿いに建っていたのを、宅地造成で宝泉寺に移したという。神山二又は宝泉寺の西側角だろうか。今は交通安全地蔵が祀られている。

六地蔵と庚申塔の向かいには立派な六地蔵の六面幢がある。造立は文化9年(1812)11月で高さは1.6mほどある。上部には西國・秩父・坂東の文字もあるので観音信仰も同居しているようだ。基壇には「多摩郡神山村 施主志加野忠右衛門」の銘があり、向かいの庚申塔と同じ人物による造立のようだ。

いちばん山門に近いところにあったのは、嘉永2年(1849)3月造立の丸彫の子育地蔵尊。基壇正面には「三界万霊塔」の文字がある。地蔵菩薩には三体の童子がしがみついている。神山村の念仏講中による造立で、周辺の村々の人々の協力もあったようだ。基壇には沢山の人名が記入されており、神山村念仏講中を中心に、八軒村、所沢村、栗原村、井草村、田無村、前沢村、亀ヶ谷村、西堀村、落合村、八石村、石神村、下清戸村の村名が読める。
場所 東久留米市神宝町2丁目13-9
東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)
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