八軒新田の碑(立川市栄町)
立川市の立川通り沿いのワークマンの向かいに八軒新田の碑がある。石仏ではないが散策していて気になったので立ち寄る。「芋久保新田は郡の中程より少し東に寄れり。この新田は郡中、村山郷芋久保村の農民来て開発せし故に村名とせり。」と説明板にある。芋久保村は現在の東大和市の青梅街道の北側の地域(芋窪)にあった村。
この辺りは江戸時代から八軒と呼ばれた土地。その由来も書かれていた。「享保年間から元文年間のころ(1720~1740頃)には八軒の家があり、今に至っても八軒新田という。江戸日本橋からは八里の距離。」だという。水田はなく陸田のみで、陸稲(おかぼ)を作っていたのだろう。
大きな石には「武蔵国武州多摩郡砂川村八軒」と刻まれている。砂川村に含まれていたようだ。立川通りは昔は道幅五間(9m)もあり、日野宿で甲州街道に繋がっていた。
場所 立川市栄町3丁目10
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