普済寺境内の石仏(立川市柴崎町)
立川市柴崎町にある普済寺は臨済宗の寺院。創建は文和2年(1353)と古い。羽柴秀吉の小田原征伐で立川氏が滅亡、その館城であった土地に普済寺が移転してきたと伝えられる。
普済寺の開基は立川氏である。立川氏は武蔵国の士族で、鎌倉時代からここに居城した。城内にあった草庵が普済寺の元になったという。当然立川氏の菩提寺が普済寺である。一部は常陸国の佐竹氏に流れ、その後水戸藩士になったようだ。
山門脇に地蔵堂があり、新旧沢山の石仏が祀られている。大半は近年のものだが、写真の黒っぽい舟型光背型の地蔵菩薩には天保2年(1831)の造立年が刻まれていた。基壇には「講中」の文字もある。右の白っぽい丸彫の地蔵菩薩立像は弘化4年(1831)8月の造立。こちらの基壇には念仏講中の文字がある。
本堂の裏手、阿弥陀堂の間を抜けると六地蔵が立っていた。基壇などは新しいものだが、中央の石柱には「南無阿弥陀仏」の文字と、文政9年(1826)正月の年号がある。丸彫の六地蔵そのものは資料によると、天明3年(1783)4月の造立らしい。
国宝の六面石幢は堂内に閉ざされ、稀にしか御開帳されない。2025年に新しい保存庫に移され、容易には見られなくなった。ただ本年2026年は9月20日と11月3日に特別公開されるという。実はレプリカが立川氏歴史民俗資料館にある。仁王像(阿形・吽形)と四天王像を浮彫にした6枚の秩父青石(緑泥片岩)板石を合わせたもので、造立年は南北朝時代の延文6年(1361)である。
場所 立川市柴崎町4丁目20-46










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