普済寺墓地の石仏(立川市柴崎町)
普済寺は鎌倉時代の立川氏の館城跡に創建された寺院だが、境内の東側では立川氏の館城跡が発掘されており、長さ40m高さ2mの土塁に囲まれていた中世の館城だった。また境内の北側には首塚と呼ばれる塚があり、この首塚の辺りを明治初期に開墾していたところ、多数の板碑が発見されたという。
普済寺の広い墓地の西側に古い石仏が集められている場所がある。写真の奥の方にあるのが普済寺の本堂である。雨ざらしなので傷みは激しい。その為、情報については資料に頼るところが大きい。
左の端にあったのは2基の馬頭観音。どちらもくし形角柱型で、左の馬頭観音が草書体、右が楷書体で書かれている。左の馬頭観音は明治11年(1878)9月の造立で、正面には「馬頭観世音」と紀年、施主名の中島長蔵の銘がある。右の馬頭観音も正面は「馬頭観世音」、明治10年(1877)10月の造立年と、「石川半治郎立之」の文字がある。
横並びにある多数の石仏のうち左端から2番目のこの右上に延びたタケノコのような石仏は実は笠付角柱型の庚申塔である。資料によると享保年間のもので、右側面には「祈願中村」とあるらしい。石川博司氏の情報を確認すると、享保15年(1730)の造立とある。立川市の史料の古い写真ではちゃんとした笠付角柱型の庚申塔で、日月、青面金剛像、三猿が陽刻されていた。左側の上部にゼニゴケの付いた石仏は、その古い写真でも上部が欠損していて詳細は不明だが、見た感じは聖観音っぽい。
庚申塔の右は舟型光背型の地蔵菩薩立像。寛文9年(1669)12月の命日が刻まれているのでここでは最古だが墓石の可能性が高い。施主は中村平右衛門。右の丸彫の地蔵菩薩立像は岩船地蔵と呼ばれるもの。享保4年(1719)9月の造立で、「岩船光瑞鮮・・・」「岩船地蔵念仏供養」などの文字がある。「柴崎村馬場」の銘がある。
右端の2基も丸彫の地蔵菩薩立像。大きいほうは享保11年(1726)4月の造立。正面には「念仏供養」、側面には「新屋敷南北講中」の文字がある。新屋敷というのは古い地名で、近年は使われていないらしい。右の地蔵菩薩立像にも「新屋敷南北講中」の文字があり、造立は天明8年(1788)4月である。
場所 立川市柴崎町4丁目20-46
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