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2026年8月 6日 (木)

日野の渡しの馬頭観音(立川市錦町)

立川市柴崎にある市民体育館の南側は江戸時代は多摩川の河川敷であった。ただ暴れ川だった多摩川の土手の位置は江戸末期も今とさほど変わらない。現在は河川工事後で立川市寄りに流程があるが、江戸時代から戦前までは日野市側に主流が通っていた。そして、現在は日野橋と立日橋という2本の橋があるが、昔は日野の渡しという渡し舟で往来していた。この渡しがここに決まったのは貞享年間(1684~1688)と伝えられる。

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日野の渡しの碑の前には馬頭観音が立っている。大きな角柱型の馬頭観音は大正13年(1924)2月の造立で、「馬頭観世音菩薩」と正面に、基壇には「講中」の文字がある。とりわけ大正時代は馬による運搬が主流で、馬子達の観音講が各所にあって馬頭観音塔を建てたという。この馬頭観音は30人ほどの馬子によるもので、土地は地主の小川氏が寄付したもの。

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脇には3基の石塔があり、右は摩滅が激しく詳細不詳。中央は正面に「馬頭観世音菩薩」の文字、側面には「施主大久保政吉」の銘と、昭和13年(1938)建之の文字がある。左の馬頭観音は上部が欠損しているが、昭和4年(1929)2月に松村福造氏によって建てられたものである。

場所 立川市錦町5丁目20番地先

東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)

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