日野宮神社の石仏(日野市栄町)
日野市栄町にある日野宮神社は創建年代不詳。日野の地名の由来となった日奉宗頼が武蔵国の国司となり、その子孫が祖先の霊を祀って日野宮権現としたと伝えられる。この地は江戸時代は多摩川の河岸であったようだ。
この辺りは昔は四ツ谷と呼ばれた土地で、うなぎを食べない伝説は別述したが、この神社でお祀りしている虚空蔵菩薩の召使がうなぎとされていることと関係があるのかどうかは不明。
本殿の向かって右側に新調された覆屋があり、この辺りにあったという石仏や石塔を集めてある。右後ろの大きな石板(昭和47年建之)に書かれていたのは「江戸時代より前、武田家の家臣であった、天野、加藤、小島、宮原が当地に移り住み、四つの家があったことから四家、四屋などと呼ばれ、やがて四ツ谷となった」という言伝え。
左端にあるのは笠付角柱型の庚申塔。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれている。造立年は寛保元年(1741)11月で、説明板の施主名は加藤、小島、天野、谷津とある。宮原の姓はなかった。
庚申塔の後ろに詰め込むように置かれているのはおそらく3基とも馬頭観世音菩薩である。左奥は全く見えず詳細は不明。右の角柱は馬頭観世音の文字と、天保5年(1864)正月の紀年がある。手前の中折れ補修したものも馬頭観音で、こちらは明治18年(1885)1月の造立年が刻まれている。
隣にあるのは笠付角柱型の庚申塔だが笠は欠損している。日月、青面金剛像は見えるが、それ以外は不詳。説明板には元禄14年(1701)11月の造立年と、天野、加藤、佐藤姓の名前がある。右隣りの背の高い石塔は石橋碑とある。嘉永3年(1849)仲秋の建之で、世話人名は加藤、天野、谷。常に人に踏みつけられている石橋を供養すると、悪いものが村内に入ってくるのを防げると信じていたようだ。
場所 日野市栄町2丁目27-19
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