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2026年9月11日 (金)

普門寺の石仏(日野市日野本町)

日野市日野本町にある普門寺は真言宗の寺院。創建は室町時代初期の応永5年(1398)らしい。室町時代は日野宿の本宿にあったが、元亀元年(1570)に現地に移転したという。足利義満の室町幕府のピークに創建され、織田信長全盛期に移転したという古い話である。

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参道が道路にほぼ並行している不思議な位置関係だが、この道路そのものが元は参道だったと考える方が自然だろうか。入口に地蔵があり、健康長寿地蔵とされているがこれは平成になってからの新しいもの。

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参道を進むと本堂があり、立派な松が目に入る。本堂は再建されて新しい。現在は普通の広さの寺院だが、明治初期の廃仏毀釈で弾圧を受けて狭くなった。寺は日野小学校の校舎校庭にされてしまい、行政に乗っ取られる状態となったが、のちに寺として復活したという。本堂の左手を進むと墓所に入るが、その入口に石仏が並んでいる。

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右端の2基については全く分からない。その隣の舟型光背型の地蔵菩薩立像は延宝2年(1674)で「逆修」の文字があることから生前供養に建てられたものと思われる。市内で一番古い地蔵菩薩像らしい。その隣の摩滅著しい石仏は、笠付角柱型の庚申塔。まったく読み取れないが、石川博司氏の情報だと、合掌の阿弥陀如来像と三猿が描かれており、三猿は三面にそれぞれあったらしい。笠の上に載っている擬宝珠のようなものは何だろうか。小幡晋氏の『多摩の庚申紀行』には、「武州多摩郡日野領〇〇石井〇右衛門」の銘が記録されている。

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左隣には形の残っている笠付角柱型の庚申塔。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、宝暦9年(1759)の造立。文字は読めないが前述の石川氏の情報に基づいた。その左隣の石仏は上部が欠損しているが、青面金剛像と三猿が判別できるので庚申塔である。駒型なのか舟型なのかは不明。造立年も不詳である。

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隣のゼニゴケ満載の石仏は駒型の庚申塔。日月、青面金剛像、三猿が見える。「庚申供養一基」の文字があるらしい。造立年は元禄7年(1694)。上の写真の真ん中も庚申塔だが上部欠損で型は不明。青面金剛像、三猿が見られる。造立年は読めないが、延享4年(1747)らしい。左端も実は庚申塔の下部で、青面金剛・三猿が分かるが、造立年は不明。

場所 日野市日野本町7丁目5-19

東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)

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