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2026年9月23日 (水)

四ツ谷の石仏(日野市栄町)

中央本線より西側にある日野市栄町は昔、4軒が固まって住んでいたところから、字名を四家と呼んでいた。 それが後に四ツ谷と呼ばれ、かつてはこの一帯は水田が開けていたという。「四谷」の地名は、江戸時代中期からの村方文書などによると、四姓(天野、加藤、小島、宮原)の家から始まり四家、四屋とも呼ばれていた。

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水田の名残りとして覆屋の前を用水路が流れている。水量は比較的多い。四谷にはうなぎ伝説がある。昔多摩川で大洪水があり堤防が決壊しそうになった。その時うなぎが堤防に張り付き固まりになって洪水から村人を守ってくれた。以来この辺りの人々は感謝と加護を思う心を込めて現在でもうなぎを食べない家が多いという。なかなか面白い。

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左端にあるのは角柱型の大きな庚申塔。正面に日月と「庚申塔」の文字があり、側面には天保15年(1844)9月の造立年がある。基壇には三猿がかすかに残り、側面には講中の文字がある。右隣りは笠付角柱型の庚申塔で摩滅剥離がかなり進んでいる。日月、青面金剛像は見えるが下部は分からない。造立年は宝暦7年(1757)10月、宝暦以下は資料による。

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右の2基は丸彫の地蔵菩薩立像。左側は文字がなく造立年も不詳。右の背の高い地蔵は基壇に文字がある。造立は享保15年(1730)3月で、施主は日野四ツ谷の念仏講村中と記されている。施主名には天野姓があり、四ツ谷の中心人物だったのだろう。

場所 日野市栄町1丁目20-1

東京:時代の痕跡を歩く(ぼのぼのぶろく)

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