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2026年10月14日 (水)

スポーツ公園角の庚申(日野市万願寺)

日野市の浅川近くにある浅川スポーツ公園の北東の角に庚申塔がある。庚申塔の下には日野用水の支流がとうとうと流れている。昔はこの辺りは一面の田んぼで、その中を用水路が流れていた。

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庚申塔としてはかなり新しいもので、造立年は昭和48年(1973)4月とある。紀年の脇には「三角庚申待講」という文字がある。三角は「ミスミ」ではなく「サンカク」と読むらしい。由来はわからない。辺りに三角点があるわけでもない。

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庚申塔は櫛型角柱型で正面には「庚申塔」の文字がある。側面には由来が刻まれており、ここが三角という地区で先人が開拓をして農地にしたという話が書かれている。そして「再建した」とあるので、昔は古い庚申塔が立っていたのだろう。石川博司氏の史料を見ても昭和48年の庚申塔とあるので、それ以前であったことは間違いないだろう。

場所 日野市万願寺5丁目3番地先

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2026年10月11日 (日)

浅川堤庚申(日野市石田)

浅川は多摩川の最大支流である。全長約30㎞、陣馬高原を源頭にしてかつての甲州街道沿いに下る。というより甲州街道が浅川沿いに通ったというほうが正しい。石田の新井橋で浅川に注ぐ日野用水のひとつ、その暗渠上に庚申塚がある。

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丸石で築かれた立派な土台の上に、庚申塔が2基と庚申講記念碑が立っている。右の庚申講記念碑は自然石を削ったもので、裏側には「万願寺区画整理に付移転」とあり平姓の9人の名が刻まれている。建立は平成3年(1991)11月とある。左の2基は古い庚申塔である。

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左の笠付角柱型の庚申塔は前面がかなり剥離してしまっている。文字も読めないので造立年などは不明。石川博司氏の情報を見ても、「新井 西耕地路傍」としかない。右の大きいほうは角柱型の庚申塔で、正面に「庚申塔」の文字、裏に嘉永6年(1853)11月の造立年があり、「両組講中」とある。両組は新井と西耕地だろうか。台石にはかつて三疋申の文字があったらしいが、全く痕跡もない。

場所 日野市石田2丁目7番地先

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2026年10月 8日 (木)

石田寺の石仏(日野市石田)

NHKの『ダーウィンが来た』でおなじみの多摩川トライアングル、そのすぐ手前にあるのが真言宗の石田寺(せきでんじ)。石田の地名の由来は、多摩川と浅川の合流点にあって、洪水が頻繁に起こり、河原石が大量に田んぼに流れ込み、石がゴロゴロした田んぼであったことが元になっている。

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また石田は幕末の新選組土方歳三の故郷。石田地区の大きな家の多くは土方姓である。集落には日野用水の支流が張りめぐらされ、水害と闘いながらも農地を守ってきた様子がうかがえる。石田寺には土方歳三の墓所がある。

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墓所の最奥に無縁仏塔があり、その脇に自然石の馬頭観音がある。「馬頭観世音」と書かれ、造立年は平成2年(1990)2月と新しいものである。無縁仏塔の辺りには朽ちた庚申塔があったようだが見つからなかった。

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無縁仏塔の後ろに複数並んでいる古い地蔵のひとつに「庚申」の文字がある。「奉造立地蔵尊」「庚申講中」「石田村」の文字があるが造立年などは確認できない。首は近年加えられたもののようである。以前は石田寺の手前の民家の塀に庚申塔があったらしいが、現在は新しい戸建てが複数建っており、残されていなかった。

場所 日野市石田1丁目1-10

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2026年10月 5日 (月)

東浦地蔵尊(日野市万願寺)

多摩モノレールは極めて高い位置を走るので景色がいい。遠くの山並みもみられるし、天気が良ければ富士山もよく見える。立川から南下して3駅目、京王線高幡不動から北上して次の駅が万願寺駅である。開業は平成12年(2000年)である。万願寺駅のすぐ脇にあるマンションの駐車場の一角に地蔵堂がある。

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覆屋の軒下に「東浦地蔵尊」と書かれた一枚板がある。中を覗いてみると、多数の石仏、庚申塔や地蔵菩薩が並んでいる。昔の地名では地蔵堂の辺りが万願寺、日野バイパスの南側が新井で、東側が石田、万願寺の西が下田という字名になっている。実は万願寺という寺院は周辺には存在しない。江戸時代初期は万願寺の渡しで多摩川を渡り、現在のモノレール沿いに北西へ甲州街道が通っていた。

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堂内の右側には丸彫の地蔵菩薩像が沢山あるが、どれも時代は新しそうである。しかし人形(ひとがた)に似ているので今も庚申塔などに比べて地蔵菩薩はより祀られている感じがする。それぞれの造立年などは読み取れなかった。

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左側には笠付角柱型の庚申塔がある。日月、青面金剛像、三猿が描かれ、宝永4年(1707)2月の造立年が刻まれている。側面には蓮葉が描かれている。左の小さな祠風の石塔の台石には「申、申、申」の文字がある。台石なので、この石祠が庚申と関係するのかどうかは分からない。石祠は安永3年(1774)の造立で、「奉再造立」「女念」の文字があるので、再建もの。

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堂内の左隅にあったのは角柱型の庚申塔である。正面には「庚申供養塔」の文字。台石には三猿が印刻されている。造立年は文化10年(1813)10月で「當村講中十人」の文字がある。

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堂宇の外側にあったのは、自然石の馬頭観音。大きな自然石に「馬頭観世音菩薩」の文字と、文政2年(1819)2月の造立年が彫り込まれている。ブロック塀の隅にあるのは、角柱型の庚申塔。日月に「青面金剛塔」の文字があり、寛政4年(1792)9月の造立年と「當村講中」の文字がある。

場所 日野市万願寺4丁目2-2

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2026年10月 2日 (金)

大坂上の庚申塔(日野市大坂上)

JR中央線日野駅は段丘の際に作られた駅である。かつては段丘の上にあったが、昭和12年に少し北寄りの段丘の下に移動した。その為、現在は改札を入るとホームまでかなりの登りになる。ホームに出るとロータリーを見下ろすが、甲府方面にホーム上を進むと両側の土地がホームの高さになる。

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西側の坂の上は崖の中腹という感じで、さらに数十m上まで崖線が見える。その中腹に「加組」と書かれた倉庫があり、その手前に庚申塔が並んでいる。この倉庫はおそらく祭りの神輿のようなものを格納しているのだろう。レールらしきものがコンクリートの床面に埋め込んである。

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いちばん奥にある高い角柱には「高幡山八十八箇所」とある。明治43年(1910)3月に建てられたもの。高幡不動と関係がありそうである。右側の笠付角柱型の庚申塔は、日月、青面金剛像、三猿の図柄。造立年は宝暦10年(1760)3月と刻まれている。

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3基の庚申塔の中央にある笠付角柱型が一段大きく、これも日月、青面金剛像、三猿の図柄。元禄7年(1694)7月の造立年があり、「奉造立庚申」の文字と、側面の蓮葉が特徴。下部に願主名が多数刻まれている。右の笠付角柱型の庚申塔は、宝暦11年(1761)4月の造立で、日月、青面金剛像、三猿が描かれている。側面に「庚申供養塔」の文字がある。

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一番道路側にあったのは櫛型角柱型の馬頭観世音菩薩。「3月」の文字は読めるがそれ以外は判別できない。この石仏群を見ていると、私より一回りほど上の女性に声を掛けられた。ここにある庚申塔は昔は山の上や他の場所にあったのを、母たちが集めてここにまとめたのだという。おそらく大正時代以前のことだろう。この場所を古地図で見ると、ちょうど甲州街道の急坂にあたる。坂下と坂上では30mほどの高低差がある。村人が旅人の往来のある甲州街道脇に石仏を集めたのだろう。坂を上ってきた旅人は、坂下地蔵堂とこの庚申塔にお参りをして、次の大和田へと歩いたに違いない。

場所 日野市大坂上1丁目19-2

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