先週の山形釣行の後半で陸前高田で面影画を描くボランティアをやっているkurooさんを訪ねた。 -山里の記憶つれづれ-
kurooさんは旧瀬音の森の代表。6月から3ヶ月間、被災地の陸前高田の避難所で面影画を描いて被災者にプレゼントしている。
国道107号線を走り大船渡に出ると、眼前にあるはずの大船渡の街が消えている。大船渡は山が海岸に迫っている狭い地形だが、標高20m未満の家屋はすべて瓦礫と化していた。頑丈な鉄塔も二段三段に折れ曲がり、津波の脅威が三ヶ月以上たった今もそのまま残っている。
海岸沿いの45号線を南下して陸前高田に向かうと、途中は普通のローカルな国道。まもなく陸前高田の街に近づいたと思ったら、路肩にたくさんの他県ナンバー、殆どがボランティアの車。
国道が標高を下げると目の前に恐ろしい光景が現れた。大船渡よりももっとひどい。大船渡には世界一の防波堤があった、それでも街が消えた。それほどの驚異的な津波の力だから、陸前高田の街(街というより町というくらい広い範囲)が瓦礫の荒野と化していた。写真を撮る気にもならない。核爆弾でも落ちたかのような風景。声が出なかった。
道路は地盤沈下した為にところどころ水没している。そこを自衛隊の車、警察の車、一般の車が船のように水をかき分けて走る。残った住宅地に登る道はすべて閉鎖されている。大回りして高台から迂回して光寿園という老人ホームを目指すが、場所がわからない。
狭い道の脇の民家で土地の人に訊ねると、笑顔で道を教えてくれた。被災したのに親切な対応、東北や田舎特有の温かい対応に感動するも、ちょっと方言で分かりにくい。それでも親切な説明のおかげで迷うことなく到着した。
老人ホームの玄関脇に小菅村のテントがある。山里の記憶のポスターが貼ってあって、面影画の大きな看板が出ている。午前中に取材を済ませたkurooさんがテントの中で絵を描いていた。
これからが蒸暑くなる時期なのか、カメムシも出てきていたが、野人だから心配はないと思う。PLAさんに頂いたさくらんぼと、途中で入手したビール・燃料・氷などを差し入れする。
kurooさんは毎日、午前中に被災者の話を聞き、亡くなった方の面影を絵にして夕方には仕上げる。取材過程に2時間、文章に1時間、絵には3時間ほどかかるらしい。東北とは言っても暑い日もあるので、テントの作業は苦労が多い。
毎晩このテントで寝泊まりして、被災者の方々の心の支えになりながら、3ヶ月を過ごすというのは容易にできることではない。kurooさんらしいといえばそれまでだが、とうていマネなどできない行動だ。いつもながらに感心する。
あまりお邪魔しても悪いので、小一時間でお別れした。東北も梅雨に入って、過ごしにくい時期になったが、ブログで元気を確認させていただいている。
kurooさん、体には気をつけてくださいね。
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