2015年10月 1日 (木)

紅葉始め

昨日の小菅村、気温は20度くらいでした。 今年は少しずつもう紅葉が始まっていました。 甲信越の高い山ではもう真っ盛りのようですが、小菅は例年10月下旬から11月が紅葉の時期かと思います。 それでも今年はちょっとだけ早めかなというところでしょうか。

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写真は小菅の湯、手前は蕎麦畑で山肌はまだ色づいてはいませんが、山に入ると中にちらほらと色づいた樹木を見ることができます。 この秋のスカッと抜けた青空が毎年ながら気持ちがいい、秋晴れとはよく言ったものです。

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イロハカエデはこれくらいの色づきで、上の写真は鶴峠です。 山歩きにはベストなシーズンがやってきました。 禁漁期に入ったことですし、時間を作って山歩きをしたいと思います。

ただし東京を出るまでが週末は一苦労二苦労なんですよね。トホホ。

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2013年2月16日 (土)

八ヶ岳辺りは真冬の雪景色

明日は忙しいが今日は半日空いたのでひとっ走り八ヶ岳の麓まで行ってきました。佐久のRYONさんが雪だ雪だとつぶやいていたので、そうだ雪を見に行こうと思い立ったのです。

高速道路はチェーン規制が出ていましたが雪はほとんどありませんでした。国道141号も野辺山周辺以外は雪も解けていてチェーンは不要なくらいでした。

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清里手前でわき道に入るとすぐに圧雪路になり、谷口牧場あたりは1m近い積雪の様子で、人っ子一人いません。 もう少し標高を上げ、小海線を横切って清泉寮まで行くと、真冬らしい写真のような道路状態で、雪道ドライブを楽しむことが出来ました。

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野辺山の気温は午後2時でマイナス9度、まるで満州です。それでも今日は解禁日。何人か餌釣りの猛者を見つけました。そういえば自分も1990年代はこの時期に信州へ釣りに来ていたなあと懐かしく思い出しました。

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千曲川は豊かな水量で雪の川原の間をとうとうと流れていました。15年前にはこの近くの抜井川で解禁を迎えました。そのときと同じくらいの雪でした。その年は佐久の臼石荘に宿泊して釣行したのですが、やはり氷点下でした。餌釣りでしたが、糸に氷が付いて数珠のようになってしまって閉口したものです。

最近はもう猛者ではないので、4月くらいになって暖かくなってからの毛鉤釣行をもっぱら楽しんでいます。

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2012年9月23日 (日)

里海

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土曜日に行った九十九里蓮沼の海岸に海に出ることのないボートがあった。 夏の海水浴シーズンはこの船の周りにちびっ子が集まっているんだろうなあ。今は誰にも見向きもされていないようだったけれど。

私が子供の頃、海は生活に密接した存在だった。瀬戸内の港町の育ちだからである。暇さえあれば海に川に釣りに行った。いろんなものが釣れた。五目十目は当たり前だ。それだけ海も川も豊かだった。ここ10年で自然環境はかなり回復したと思うが、その前の30年で壊したものはその何倍もの自然だった。

日本人は流行に移ろいやすい。原発のこともそうだし、荒らしてきた国土のことも、すぐに意識の外に置き忘れてしまう。里山そして里海、それは人が関ることで初めていい方向に戻ることができるということを忘れないようにしたい。

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2012年9月22日 (土)

たまには海に

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たまには海にも行って見よう。そう思ってカミサンと娘の中欧旅行の見送りの後、成田から九十九里浜に行ってみた。成田から太平洋は20kmあまりと意外に近い。

夏も終わって秋風が吹いてくる彼岸の日、海にいるのはサーファーばかり。曇天なのであまりきれいではないが、こういう海もいい。乾いた砂地ではプチ砂嵐もあって、眺めていて楽しい。

場所は蓮沼の南浜。真上を成田へ着陸する飛行機が飛ぶポイント。 今日は雲が低いので、雲間を出たり入ったりするジェット機をまるでもぐらたたきのように感じた。海もいいもんだ。

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2012年8月18日 (土)

道志村

渓流釣りを始めた20年ほど昔のこと、足繁く通ったのが道志川だった。 首都圏の山村が都会の人々を呼込む目的で当時はオートキャンプ場が次々と作られていった。 道志村も例外なく、山を削って多くのオートキャンプ場ができた。

今は果たしてどれくらい残っているだろう。 マナーの問題も大きい。 基本は持ち帰り前提だが、都会派のキャンパーは多くのごみを出す傾向にある。 そしてブームが過ぎると朽ちたオートキャンプ場がちらほら見えるようになる。

都会人は国土を消費していく。 徳川家は江戸の街が肥大して秩序を失わないように様々な対策を行った。 しかし今の政府にそんな計画性はない。 高速道路1000円にすれば、街の人々が田舎に行ってダメージを与え、一瞬の景気に溺れた田舎の人々は先祖代々培ったものを失う。 そういう図式にしてはだめだと思う。

国破れて山河あり。 今世紀初め頃の道志村にはこの言葉に近いものがあった。 国民にとっては景気回復なんか糞食らえ、本当に必要なものは手段じゃなくてその先にある安定して豊かな暮らしなのだ。 もし景気が良くなって格差が広がるなら、それは間違った政治だろう。

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何もないが必要なものがすべてある。 それが大事なんだよな。 しばらく道志村へは行っていないが、たぶん淘汰されて本当に必要なものだけがそこにはあるような気がしている。

※ 今回から「・・・のこと」の題名は卒業しました。

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2012年2月14日 (火)

南アを眺めてのこと

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写真は勝沼のフルーツラインから撮影した甲府盆地。山の見える風景は和む。遠くに見えるのは南アルプスの連山。気持ちがいい。

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最高峰にズームイン。右側の奥のピークは北岳。3193mの日本で二番目の標高を誇る。そこから左へ鞍部が続き、写真中央の雲の右端下から雲の左端下の間ノ岳までが日本でもっとも長い3000mを超える鞍部。

とても登山する気にはならないが、遠くから見ているだけで憧れを感じる。しかしコントラストを強調したので、ケラレがでてしまったが、まっいいか。

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2011年9月21日 (水)

稲刈りのこと

山形から東京まで一般道で帰ってきた。9時間半掛かった。寒河江から山辺、上山を抜け、金山峠から七ヶ宿街道へ、そして小坂峠を抜け国見で4号線に出た。そこからはずっと4号線をひた走った。意外と流れは速く80km/h近いアベレージの区間が多いので、休み休み走っても9時間半。2時間くらいは休んでいるので、正味7時間半である。高速道路の1.7倍という満足の行く所要時間で家にたどり着いた。 途中山形側の原口あたりではすでに稲刈りが行われていた。しばらく車を停めて、広がる田んぼと背景の山を眺めた。

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一生懸命育てた稲を出荷できない地域もある。放射能は体内蓄積レベルがポイントらしいから、私のような半世紀を過ぎた人間は多少食べてもなんともない。なのに地名だけで拒否反応を示す人間もいる。自分の子供が理由の不明瞭な差別を受けたら、その人たちはどう考えるのだろうか。小さな子供のいない家庭はもっと消費すべきだろう。

国も東電も極めて悪い。間接的な傷害と器物破損、そして精神的苦痛を強いておきながら、責任転嫁と知らん顔。しかし風評被害を引き起こす人間もそれに等しい間接的な加害者だと言わざるを得ない。 コウベを垂れる稲を眺めていて、例年は考えないはずのそういうことを強く思った。

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2011年7月22日 (金)

月山の夏、雪景色のこと

毎年というか、ヘタをすると毎月のように月山の周りのどこかに行っている。 月山は信仰の山で、湯殿山、羽黒山、月山の三山からなるが、実際は丸い尾根が数十KMにわたって広がる雄大な山だ。

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大井沢から望む月山は7月でもまだ雪を湛えている。夏スキーで有名な山。6月に月山の沢に入ると、雪渓に行く手を阻まれる。7月からが月山の自然が沸き立つ季節だ。そして9月には静かになり、黄葉が始まる。11月になると雪が降る。つまり半年以上、雪に閉ざされるのだ。だからこそ、7月には月山に向かって走る。

今日は涼しかった。最低気温18度、最高24度と、東京ではありえない涼しさだったが、東北では10度前後の地域もあったようだ。 この涼しさはこの山の沢で真夏の釣りをするときの涼しさに近い。 明日まではまだ涼しいようだ。 再来週の釣りの準備をしよう。

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2011年6月30日 (木)

東北の梅雨のこと

先週1週間は東北の釣り旅。月曜から水曜まで様々な釣友と楽しい釣行をし、木曜日には陸前高田のkurooさんを訪問。ただし木曜以降は梅雨前線が北上し、東北に停滞したので、とても釣りになる状況ではなかった。それでもせっかくだからといくつかの川の様子を伺いに行ったが、水の力というのは凄いものだと痛感した。

Imgp3037普段はそれほどの増水のない川も、濁りこそ少ないものの、いつもの倍以上の水量になっていた。当然釣りはハナから諦めていたが、こういう時は岩魚も岩の下に隠れてじっとしているのだろうと思いを馳せる。

Imgp3050_2山形から二井宿峠を越えて七ヶ宿に入ると雨は降っていないが、山頂付近には雨雲が掛かっており、白石川も大増水。写真は滑津大滝。コーヒー牛乳色の流れが滝を落ちて行く、その音と迫力は圧巻。わずか数mの滝でこうである。以前に雨天時の秋保大滝を観に行ったことがあるが、100m以上離れたところでもずぶ濡れになるくらいの水しぶきだったのを思い出す。

山形に戻り、置賜地方から白鷹経由で朝日町へ向かった。最上川の流れを見るためだ。

Imgp0961大雨を集めて凄し最上川・・・中洲が水没し、中洲に生えている樹木が必死に耐えている。津波も恐ろしいが、河川の氾濫も同様に恐ろしい。水の力、自然の力は人間が容易に抵抗できるものではないことを感じる。

それでも人々は毎日の営みを続ける。都会では知りえない、自然との共生を何千年ものあいだ続けてきた地域だからこそ、風雨に対してコンクリートの壁ではなく、竹のようにしなりながら暮らすのが日本人の本来の姿なのだと思う。

Imgp3064朝日町にある椹平(クヌギダイラ)の棚田。この雨の中でも田植え後の作業を続けている農家の方がいた。椹平は棚田百選のひとつ。段々の傾斜はそれほどでもないが何しろ広い。これだけの面積を開拓しても水害にならないのは、水田が水を蓄え、自然に調和しているからだろう。

荒れ狂う最上川のそばで、こんな風景もあることに、なんだか心が和らぐ。

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2011年6月29日 (水)

山里の記憶つれづれのこと

先週の山形釣行の後半で陸前高田で面影画を描くボランティアをやっているkurooさんを訪ねた。 -山里の記憶つれづれ-

kurooさんは旧瀬音の森の代表。6月から3ヶ月間、被災地の陸前高田の避難所で面影画を描いて被災者にプレゼントしている。

国道107号線を走り大船渡に出ると、眼前にあるはずの大船渡の街が消えている。大船渡は山が海岸に迫っている狭い地形だが、標高20m未満の家屋はすべて瓦礫と化していた。頑丈な鉄塔も二段三段に折れ曲がり、津波の脅威が三ヶ月以上たった今もそのまま残っている。

海岸沿いの45号線を南下して陸前高田に向かうと、途中は普通のローカルな国道。まもなく陸前高田の街に近づいたと思ったら、路肩にたくさんの他県ナンバー、殆どがボランティアの車。

国道が標高を下げると目の前に恐ろしい光景が現れた。大船渡よりももっとひどい。大船渡には世界一の防波堤があった、それでも街が消えた。それほどの驚異的な津波の力だから、陸前高田の街(街というより町というくらい広い範囲)が瓦礫の荒野と化していた。写真を撮る気にもならない。核爆弾でも落ちたかのような風景。声が出なかった。

道路は地盤沈下した為にところどころ水没している。そこを自衛隊の車、警察の車、一般の車が船のように水をかき分けて走る。残った住宅地に登る道はすべて閉鎖されている。大回りして高台から迂回して光寿園という老人ホームを目指すが、場所がわからない。

狭い道の脇の民家で土地の人に訊ねると、笑顔で道を教えてくれた。被災したのに親切な対応、東北や田舎特有の温かい対応に感動するも、ちょっと方言で分かりにくい。それでも親切な説明のおかげで迷うことなく到着した。

Imgp0953老人ホームの玄関脇に小菅村のテントがある。山里の記憶のポスターが貼ってあって、面影画の大きな看板が出ている。午前中に取材を済ませたkurooさんがテントの中で絵を描いていた。

Imgp0951これからが蒸暑くなる時期なのか、カメムシも出てきていたが、野人だから心配はないと思う。PLAさんに頂いたさくらんぼと、途中で入手したビール・燃料・氷などを差し入れする。

kurooさんは毎日、午前中に被災者の話を聞き、亡くなった方の面影を絵にして夕方には仕上げる。取材過程に2時間、文章に1時間、絵には3時間ほどかかるらしい。東北とは言っても暑い日もあるので、テントの作業は苦労が多い。

Imgp0950毎晩このテントで寝泊まりして、被災者の方々の心の支えになりながら、3ヶ月を過ごすというのは容易にできることではない。kurooさんらしいといえばそれまでだが、とうていマネなどできない行動だ。いつもながらに感心する。

あまりお邪魔しても悪いので、小一時間でお別れした。東北も梅雨に入って、過ごしにくい時期になったが、ブログで元気を確認させていただいている。

kurooさん、体には気をつけてくださいね。

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