2014年4月29日 (火)

身近な自然

自宅から歩いて3,4分の所にある「経堂5丁目特別保護区」がある。 周辺はかつて長島氏の土地で、保護区の前の小さな公園には10年ほど前に朽ちてモニュメントだけになってしまった巨大なエノキの跡がある。この巨樹にちなんで長島大榎公園と呼ぶ。 エノキの幹回りは10m近くありそうで、樹齢400年ほどで朽ちてしまったらしい。 数年前までは数mの高さのところまでは幹があったのだが、それも切られて今は大きなベンチのようになっている。

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この特別保護区は烏山川の支流の小沢の源頭である。 100年前はこのあたりもこんな武蔵野の雑木林が広がっていた。 三軒茶屋から世田谷の代官屋敷前を通って西へ繋がる道は、この保護区の北側を通って府中まで続いた。 細道を散歩していると庚申塚があったり、道しるべのケヤキ並木が残っていたりと、江戸時代の名残をわずかに見ることができる。

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これも散歩の楽しみ。

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2011年12月23日 (金)

渋谷川沿いのヘンなものたちのこと

イモリ川を下り、渋谷川に出た後は天現寺方面に向かった。私は長州人なのだが、父親は若い時代を天現寺で過ごし、子供たちは都立広尾病院で生まれた。なのでこの辺りは自分に深いかかわりのあるエリアだが、最近は滅多に訪れなくなった。今回も久しぶりで、明治通り沿いの変貌にはいささか驚いた。

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広尾病院は広く樹木も多いので、この辺りの渋谷川には落ち葉が流れている。三面護岸なのが残念だが都会の小河川なので致し方ない。

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天現寺橋では上の写真手前から流れてくる渋谷川本流に左から注ぐ土管がある。これが笄(コウガイ)川。源流は外苑前、根津美術館、青山霊園あたりになる。この支流は後日散策したい川跡だ。

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天現寺橋から広尾を望むとちょっと汚れているが天現寺橋の欄干がある。後ろ側が慶応の幼稚舎。渋谷川の名前はこれより下流で古川と名を変える。

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東京都は水を売っているだけあって水関係にはかなりの予算を使っている。清流を復活させようという事業があちこちに見られるのだが、この渋谷川もそのひとつ。水は結構きれいだ。三面護岸でなくビオトープを作ってくれたら言うことはないのだが、そこまでは予算が付かないのだろう。

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首都高速目黒線の天現寺出口の脇を流れる古川。その護岸上に看板がある。この看板のあるところは誰も立ち入ることができない場所なのだが、いったい何の看板なのだろうと気になった。

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川をきれいにしましょう・・・とある。しかしこの看板、肉眼では読めなかった。望遠でようやく読み取ることができたくらいだ。あたりを調べてみたが、なぜここにこの看板があるのかがどうしてもわからなかった。唯一、護岸の縁を金網につかまってへつって行くと見えるのだが、そんな奴はおるまい。

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次に出くわしたヘンなものはこの表示板。「ここには住めません」とある。こんなところに住む奴などいない。ホームレスでももう少し回りに植え込みでもあって、邪魔にならないところを選ぶだろう。

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四ノ橋の脇で路上に見慣れないものを見つけた。ヘラジカの剥製の首か。延べ3体が空を仰いでいる。手前のやつが一番鼻息が荒そうだった。渋谷川(古川)沿いは面白いものが多い。

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古川橋の手前、高速道路下に軒を連ねるのはほとんどがパーツ屋さん。あちこちにこの風景はあるが、もともと恵比寿周辺は家内製工業が盛んだった。大崎、五反田の大工場の下請け会社が五万とあり、近代の東京の工業文化を支えていたのだ。すぐ後ろはハイセンスな白金だが、なんとなく大正昭和の香りのする景色にほっとした。

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2011年12月22日 (木)

イモリ川散策のこと

表参道の賑わいを見ながら、青山学院大学の東側の路地を下ると首都高3号渋谷線を仰ぐ五叉路に出る。ちょうど青山学院大の南端に近いところ。かつてイモリ川はこの辺りから流れていた。水源は大学の構内だが、現認していない。

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六本木通りを渡り、右手に常陸宮邸のこんもりした緑を眺めながら坂を下り、駒沢通りに続く大通りを渡るとまもなく東京女学館。著名人を多数輩出しているが、興味深いのはここの高校を中退した芸能人が多いこと。浅田美代子、山口いづみ、あびる優などだが、どうも学校が芸能活動を認めていないので転向してしまったらしい。

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その東京女学館の南端がイモリ川のスタートになる。過去を刻むようにいもり川階段という銘板が付いている。この辺りの住所は広尾3丁目。都会のど真ん中だがとても静かな住宅地。(地図①)

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いきなりケヤキの巨木があったりして往年の雰囲気が残っているようだ。路地は最初狭いが徐々に広くなり車も通れる広さになってくる。この下のイモリ川は大きな下水管に変えられてしまったのである。くだりを感じられるところも多く、さぞかし急な流れの小川だったのだろう。

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イモリ川の道には階段が多い。かなりのV字谷だったことがわかる。前述の空川も同様だが、ローム層を深く刻んで流れるのが東京台地の川の特徴なのである。

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広尾2丁目に入ると傾斜は弱まる。それでも左岸側は切り立った崖のまま。斜面には樹木が植えられていたりして、散歩していても往年のイモリ川を彷彿とさせる場所がいくつかある。(地図②)

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臨川小学校脇に到達。振り返ると細い家屋をはさんで台地を登る右の道路に対して、左の路地はイモリ川の跡で上っていない。こういう図はなかなか見られないので面白い。

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明治通りを渡ると公園になっていて、その先数m落ち込んだところに渋谷川がある。昔はこの出合いが滝になっていて、音を立てて水が落ちていたらしい。どんどん橋という橋が架かっていたと伝えられている。

数年前に他界した私の父が戦前にこの辺りに住んでいたことがある。天現寺から路面電車に乗って渋谷へ繰り出していたという話をよく聞いたものだ。彼が若いころはきっとこの滝の存在を知っていたはず。今となっては聞けないのが残念だ。

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2011年12月18日 (日)

空川探索のこと (2)

東大駒場を出て井の頭線をくぐり空川の合流点へ向かう。おおよその水線の痕跡は想像できるが、明確な跡は残っていない。井の頭線の南側で駒場野池から流れてきた支流と合流する場所があり、そこは道路の付き方から推定が可能だった。

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写真の路地奥にその形跡がある。一二郎池からの支流と駒場野池からの支流が路地の突き当たりで合流していたのだ。ここから淡島通りの松見坂下まではほんの数分の距離。

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坂の上が淡島通りと山手通りの交差点で、坂の右側が元は川の流れ、ただし今は通りを潜るトンネルになっている。ブラタモリで「鷹狩り」をやっていたが、徳川将軍が鷹狩りに来てこの辺りで橋を渡り、右に行くと駒場野の鷹狩り場、左へ行くと別の鷹狩り場だったらしい。

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トンネルを潜り交差点下を見ると松見坂地蔵尊がある。この地蔵は300年ほど昔、江戸中期に建立された。その脇にはかつての橋の親柱が残っていた。

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後方右側の欄干の親柱跡には「とおとふみはし」と彫られている。ここは江戸以前は滝坂道と呼ばれ府中方面への道があった。実は私の自宅近くをこの街道は走っていたので、聞き覚えがあり親近感を覚えた。

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この空川沿いにはこんなすごい階段があったりする。こういう階段もまた土地の記憶のひとつなのだ。空川はまもなく山手通に吸収されてしまうので、今回はここまで。松見坂交差点には写真の御影石のきれいな石碑が作られている。

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松見坂の由来はこの上(渋谷道玄坂上)に松の木があり、盗賊(追い剥ぎ)がその松に登り歩いてくる旅人を確認、手下に旅人を襲わせて身包み剥ぎ取った場所だったことからそう呼ばれるようになったと伝えられるが、今でも路地裏ではカツアゲというプチ盗賊が現れることがある。昔から渋谷は物騒な場所だったのかもしれない。

<おわり>

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2011年12月17日 (土)

空川探索のこと (1)

かつて東京には数多の川が流れていた。目黒川や渋谷川は台地を削り谷を作った。渋谷はまさにその名残りだが、渋谷周辺には多くの川の痕跡がある。空川もそのひとつで、目黒川の支流にあたる。現認可能な水源は2箇所ある。ひとつは井の頭線駒場東大前の南西にある駒場野公園、もうひとつが東大駒場校舎の敷地内にある一二郎池だ。

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地図上の①が駒場野公園で源流は試験田圃の奥にある池。旧駒場農学校の実習田だったが、今は筑波大付属駒場中高校の教育水田として生徒が実習に使っている。説明板にはケルネル田圃とあった。明治の初期に科学的な農業アプローチをするのに、北海道大学はアメリカ人のクラーク博士で有名だが、ここ駒場農学校はドイツ人のケルネルが教えた実験田だとある。

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源流の池は上の写真のように決して広くないが今でも水を湛えているということは水源がまだ生きていると思っていいのだろう。

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公園への道がこの水流をまたぐのが蛍橋。実は夏になると蛍が見られるらしい。戦後まで自然発生していたが、今では保護の会の尽力によって復活しつつあるらしい。そして蛍橋の下流には実験田が広がっているが、渋谷から徒歩圏内に田圃があるなんて想像できないだろう。

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ちょうど生徒らしき人影が田圃の昆虫を採取しているようだった(もしかしたらもぐりこんだ子供かもしれないが)。

田圃から井の頭線の踏切を渡って東大駒場校舎へ向かう。妙に人が多いのは何故だろうと思ったら、駒場祭の日だった。

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すれ違う学生たちは垢抜けなさを感じさせるものの知的でいかにも頭がよさそうな会話をしていた。しかし目的は学園祭ではないので、キャンパスの東の端に向かって歩く。だんだん人もいなくなってきて、駒場池(一二郎池)に着いた。上記地図では②の場所である。

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一二郎池はかなりの水量を湛えていた。10万年余り前は東京は完全に海面下にあったが、川からの土砂が溜まり台地になっていった。当然ながら富士や浅間の噴火による溶岩や火山灰の堆積があったものと思われる。それが関東ローム層の成り立ちだが、川の流れはその台地を削っていった。この池はその痕跡なのだが、東大生の何割がそれを知っているだろうか。

<続く>

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2011年1月21日 (金)

代々木川から渋谷川へのこと (3)

Imgp2766 表参道を歩道橋で渡る。 明治神宮へまっすぐに続く道である。 それと交わる渋谷川の上はバス停になっている。

Imgp2769 反対側の親柱。 左にはブルガリの路面店。 はるか遠くに渋谷のセルリアンタワーが見える。

Imgp2775 さらに渋谷のほうに歩いていくとおかしな道が左についている。 これはブラタモリでも引っかかっていた場所。

Imgp2778 手の入らない側道の脇には護岸らしき痕跡がある。

Imgp2781 側道を進むとまたキャットストリートに戻る。 ちょうどキディランドの前だ。 キディランドはご存知の通り、以前は表参道にあった。 こんなところに引っ越したのかと驚く。

Imgp2784 その側道の終わりは面白いマネキンでキャットストリートに合流。 向こうから歩いてきたカップルが指差して笑っていた。

Imgp2787 まもなく穏田橋の親柱。 これに気づいている通行人はほとんどいない。 でもここいらに川があって橋がかかっていたのだよ、それも東京五輪の前までね・・・と教えてあげたくなるが余計なお世話だろう。

Imgp2790 このあたりは古い護岸のパイプを使っているように思える。 まだ道路の下には水流があるのだろう。

Imgp2813 明治通りにぶつかるところが宮前橋。 ここの落書きはアートだ。 でも落書きはよくないのだよ。

Imgp2826 明治通りの歩道橋からキャットストリートを望む。 トラックが邪魔だ。 でもこの斜め感は悪くない。

Imgp2836 宇田川の合流点までは自転車置き場になっている。 しかし右手には工事が始まった宮下公園から逃れたホームレスのブルーシート団地が連なっている。 写真を撮っていたらひとりのホームレスがガンを飛ばしてきた。 動物と一緒で目をそらすと負けだから、睨みかえす。 「チェッ」と舌打ちをして逃げた。 事情はあろうが、都会にいるのは甘えている証拠だと思う。 野に出でてサバイバル生活を送るほうがかっこいいのになあ。

Imgp2853 ゴールのハチ公前交差点。 これが今の渋谷だ。 そういえば夏目漱石の随筆に渋谷は沼地の寂しいところと書いてあった。 それから100年。 街は変わるが、地形は変わらない。 川も痕跡を残す。 その変わらないものを探して歩くことができること、その平和さ加減に大いに感謝したい。

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2011年1月20日 (木)

代々木川から渋谷川へのこと (2)

Imgp2695明治通りと外苑西通りをつなぐ原宿署前につながる広い道路を越える。 道路の向こう側になにやら橋脚の柱のようなものが見える。

Imgp2703 原宿橋とある。 年号は昭和9年5月竣工とある。 ほんとうに戦前のものかは分からないが、移設されたのかもしれない。 ただ、ここが渋谷川で橋がかかっていたことだけは間違いない。

Imgp2710 キャットストリートを反対側から歩くのは初めてだ。 適度に曲がりくねっていて、かつて川だったことが良く分かる。

Imgp2715 ほそい裏路地を見つけた。 建物も戦後だが比較的古いつくりで、これらが建ったころは川があって、そのため川とは反対側にこんな細路地があって人が行き来していたのだろう。 落書きが下品でセンスのカケラもないのが無念だが、路地の存在は嬉しい限りだ。

Imgp2737 このあたりはかつて川だったことを逆に意識したつくりになっている。 受け止め方としては微妙である。 古いものを残すことには賛成だが、模倣して作り直すのはどうなんだろう。

Imgp2743 万年塀に沿うように付いている鉄製の手すり。 こういう残り物のほうがむしろ嬉しい。 ここが川だったというのを隠しながらも、隠し遂(かくしおおせ)せてないところが日本の風情としてはいとをかしなのだ。

Imgp2749 渋谷川(キャットストリート)はとうとう表参道にぶつかる。 表参道は明治神宮とともにできた道路だから、昔から今の道幅があったはず。 なかなか立派な親柱のようだ。

Imgp2752 このプレートはちょっと古いようだが表参道の歩道にしっかりと立っていた。 駅名や、その他名称からすると、大きく変化した周辺の様変わりに取り残された感じがして面白い。 同潤会青山アパートはすぐに気づく。 そこは表参道ヒルズになっているからだ。 あとは明治神宮前駅も駅名が変わっている。 昨年の3月から明治神宮前原宿駅となったのだ。

Imgp2757 やや古めのものとしてはヒルズの裏手にある神宮前小学校。 創立80周年と掲げてあった。 80年前はこのあたりはにまだ田畑が残っていた可能性がある。 こどもたちは学校帰りに目の前の渋谷川で遊んだことだろう。

Imgp2763 一歩表通りに出るとブランドの中心表参道、そのまたメインであるヒルズがある。 トップモードの地でありながらちょうちんや国旗もまた似合う、不思議な街だ。

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2011年1月19日 (水)

代々木川から渋谷川へのこと (1)

Imgp2568 河骨川を水源までつめたあと、今度は代々木川を下って渋谷川を渋谷駅まで歩くことにした。 正確な場所は分からないが、古地図によれば文化服装学院のあたりに代々木川の水源があったことになる。 上の写真は立派になった大学ビルの裏手に残る同校の校舎。 このあたりが水源で、今の裏原宿で渋谷川に合流するのが代々木川だった。

Imgp2571 上記校舎の東側に暗渠らしき道を発見。 車止めつきだ。 高低差もあっておそらくここがかつての代々木川に間違いないだろう。 ちなみに代々木川は道路1本に特定できにくいくらい曖昧になっているので、何度も迷いながら歩いた。

Imgp2581 秀和代々木レジデンスという大きな低層マンションの南側のこの道がたぶんそうだと想定して進む。

Imgp2586 ところが道は代々木小学校に突き当たって折れる。 古地図を確認する。 位置的には小学校の敷地の真ん中を通っているようだ。 仕方ないので外周を迂回する。

Imgp2592 小学校の裏手の道、正面は小田急線の南新宿駅。 道路の右側にだけマンホールが続いている。 何本か川があったようだが、この道がそのひとつであることを確信する。

Imgp2596 小田急線をくぐると銭湯を発見。 というか毎日通う小田急の中から見ていた銭湯の煙突だ。 河骨川沿いにも銭湯があった。 この代々木川沿いにもまたある。 やはり水場の近くにあるのが自然である。 それだけ湧水も多かったのだろう。

Imgp2604 並行する細い路地。 これは完璧に暗渠の跡だ。 それにしてもこういう細路地が沢山あるのが代々木の特徴。 行き止まりも多い。 ただ曲がり方とほかの道とのつながりから見てこの路地が代々木川の最有力候補だと考えた。

Imgp2613 代ゼミからの道路にでる手前の路地は間違いなく暗渠の跡。 しかも井戸も複数ある。

Imgp2617 代ゼミからの道路(代々木駅前から西参道に抜ける広い道路)を横切ると暗渠の路地が魅力的につながっている。

Imgp2622 道幅2mに満たない路地をどんどん進む。 代々木川はこの先で明治神宮の宝物殿脇の池から流れ出した水流と合流していたはずだ。

Imgp2628 高速4号線の下、ちょうど北参道の手前でついに昔の護岸が姿を現した。

Imgp2645 山手線のガードをくぐり千駄ヶ谷側へ抜ける。 ここで悩んだ。 古地図は線路近くを流れているが、同定できない。 ただ真ん中にイチョウの巨木がある。 保存樹木で、ここに川が流れていた頃からあっただろうと推測される。 それが右岸だったか左岸だったかが問題だが、残念ながら確認することは出来なかった。(のちに航空地図で見たら線路沿いが川の跡だと分かった)

Imgp2666 北参道駅(地下鉄の新駅)周辺は良く分からない。 うろうろしたが諦めた。 この先千駄ヶ谷小学校の裏手あたりまではほとんど分からず難儀をする。

Imgp2676 右手にこども鉱物館というあやしい博物館のようなものがある。 周辺の道がまっすぐなのに対してこの道だけは曲がっているのでたぶんここだろう。

Imgp2691 そして渋谷川の本流筋の路地へぶつかった。 正確な合流点は分からない。 ただ、写真中央の植え込みあたりが怪しい。 ここからは渋谷川の流れを中流から下ることにした。

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2011年1月18日 (火)

春の小川を歩くのこと (3)

Imgp2511 線路を勝手に横断するわけには行かないので踏み切りに回ると線路脇に恰好の路地があった。 これで線路をくぐった暗渠の場所にいけるはずだ。

Imgp2514 まさに線路の反対側は一番下がった場所だった。 しかもマンホールがあり、線路にはそれらしき痕跡もある。 これが河骨川の上流だ。

Imgp2517 歩いていくと参宮橋駅から富ヶ谷に抜ける道路との交差点に春の小川の看板があった。 この道に間違いない。 ちょうど正面にオペラタワーが見える。

Imgp2521 路地を進むと塀が凹んでいて車止めブロックがあるのに柿の木が植えてあるおかしなポイントがある。 この間に車を止めるのはなかなか難しそうだ。

Imgp2527 やがて銭湯の跡。 最近まで営業していたのだろう。 このあたりは昔は学生下宿も多かった。 今は高級住宅とリッチなマンションが幅を利かせているが、ターミナルから1~2駅の各駅停車しか止まらない街は家賃も安く昭和時代は学生にはうってつけだった。

Imgp2544 路地は狭くなるがきちんと看板が設置されている。 まるで誘導されているみたいだ。 先の路地にはお約束の車止めがある。

Imgp2547 路地の奥で暗渠の道は右へ折れ曲がる。 長妻氏のポスターがしつこいほど貼ってあった。 そういえば暗渠の道には選挙ポスターも多い。 とはいえ選挙用ではなく日常用のポスターばかり。 人が通って見て行くからこそ貼るのだろう。 それだけ生活に密着した道だということか。

Imgp2550 代々木4丁目35番地で水源この先という表示があった。 あまりの親切さに驚きがさらに増す。 これで最後に井戸でもあれば完璧なのだが。

Imgp2556 曲がった先は刀剣博物館。 なにやら物々しい。 首都高4号線方面を望むと下り坂が途中から上りになっている。 あのあたりかな。

Imgp2559 ついに春の小川の水源にたどり着いた。 電柱に春の小川の水源スグとある。 しかしその差すほうにあるのは豪華なマンションだけ。 どうやらこのマンションの少し下がった駐車場が水源だったようだ。 親切な看板が電柱にずっと付いていたのが一番の驚き。 最後は井戸や池ではなかったのがちょっぴり残念。

おまけだが、このまま首都高を目指して歩くと、行き止まりになるように見えるが、まるでマンションの通用口のような道をたどり階段を上ると高速脇の西参道に出られる。 河骨川・・・なかなか面白い都会の探検だった。

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2011年1月17日 (月)

春の小川を歩くのこと (2)

Imgp2418 宇田川から河骨川へ入ると路地は急に狭くなる。 暗渠らしくきちんとした車止めが設置されているので、すぐにこれが正しいルートだと分かる。

Imgp2421 このカラフルな万年塀は右が暗渠のルート。 大体がマンホールの多さで判別できる。 ここも車止めが複数設置されている。

Imgp2430 代々木八幡駅のホームの新宿側の踏み切りの道を過ぎると線路が見えてくる。

Imgp2440 河骨川は小田急線の側道になってまだまだ続く。 この線路側の塀もだんだん少なくなってきたタイプ。 進行方向には新宿の高層ビル群が見えてくる。

Imgp2442 やがて昔の護岸らしき石組みが現れる。 こういうのを発見するのがなかなか楽しいのである。そして各民家はすべてといっていいほどこちら側が裏口になっている。

Imgp2445 右手に公園が見えてくるが、これが春の小川コミュニティパークという公園。 まずは写真の色あせた春の小川を守る会の看板が出現する。

Imgp2447 そして黒御影石の立派な石碑。 大正元年に高野辰之がこの場所にあった河骨川の小川のほとりを散策して作詞したとある。

Imgp2452 歌碑の説明板もあった。 コウホネとはスイレン科の草で水中の地下茎が水面に葉を敷き詰めるように広がり、夏に黄色い花を咲かせる植物。 目を閉じると明治大正時代の風景が浮かんでくる。

Imgp2453 その歌碑の後ろを小田急線が走る。 しかし小田急線新宿駅から参宮橋、代々木八幡駅の開業は昭和2年だから実際には当時鉄道はない。 おそらくのどかな水辺だったのだろう。

Imgp2472 歌碑を後に歩いていくと暗渠に富士重工のラビットが置いてあった。 すこぶる程度のいいスクーターに驚いた。 幼少の昭和30年代、亡父のラビットのタンデムシートにのっていろんなところへ出かけたものだ。家にあったのは3段ギアの付いたモデルだった。

Imgp2479 間もなくするとやっとこさ痕跡を残した護岸を見つけた。 この先200mほどで参宮橋のホームに届くあたりである。

Imgp2496 線路から離れた暗渠は突然広い西参道の通りに出て消える。 ちょうど代々木五丁目のバス停前だ。 ここからは書物を手がかりに進む。

Imgp2499 首都高速道路の代々木ランプの前、この足元を流れていたようだ。 でもこの先は上り坂になっている。 どこかで左側に折れているはず。

Imgp2502 救いだったのは電柱に春の小川の表示があったこと。 ここを左側から流れていたように記されている。

Imgp2505 と、矢印のほうを見るとマンション脇の駐車スペース。 だがこの車とマンションの間の1mくらいのところを流れていただろうという推定は十分に可能だった。 しかしその後ろは線路である。 でも思い起こせば、河骨川は線路が出来る前からここに流れていたわけで、線路を横切っていてもなんら不思議はないのである。

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