2023年12月10日 (日)

塀の庚申塔(三鷹市新川)

三鷹市新川の仙川左岸に丸池公園という広い公園がある。公園内に勝淵神社がある。この神社は柴田勝家の孫である柴田勝重が、大坂夏の陣ののちに上仙川村、中仙川村付近を所領とした。勝重は祖父勝家から与えられた兜を水神の森に鎮めて勝淵神社をそこに建立したと伝えられる。

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勝淵神社の裏手(北側)の道を西に進み稲荷橋で仙川を渡ると角の家の塀の凹みに庚申塔が祀られている。笠付角柱型の庚申塔で、擬宝珠も残っている立派なもの。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、側面には蓮葉が描かれている。

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側面には文字も刻まれているが、中折れしているので文字が切れている。三鷹市の資料も参考にすると、造立年は享保元年(1716)霜月(11月)と左面にあり、「武州多麻郡上仙川村講中22人 永成村裏鎮護神敬白」の文字があるらしい。右面には「奉拝立庚申尊天伏攸 得無上楽宗念寺記元」と書かれているようだ。

場所 三鷹市新川3丁目21-16

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2023年12月 8日 (金)

新川三丁目の石仏(三鷹市新川)

三鷹市新川は野川支流の仙川の上流部の流域の地名。明治初期、野川村と上仙川村が合併した際に新川村と名付けられたのが始まりで、後に三鷹村大字新川となり、三鷹市新川に至る。給田から北西に走る都道117号線の交差点新川三丁目の西側に道の分岐がある。江戸時代から明治にかけてこの田有は谷端と呼ばれた土地で、仙川の左岸にあたる。谷端の名前は仙川に架かる橋の名前に残っている。

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分岐している細い方の道が昔からの道筋である。周辺はかつては桑畑が広がっており、農家では養蚕が盛んだったのだろう。この分岐の南側に大きなお宅があり、その塀の凹みに石仏が祀られている。

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暫く見入ってみたが何の石仏なのかが分からない。何かの座像である。資料を確認しても不明とある。右側面には「志ん大寺ミち」、左側面には「東▢ごうミち」と書かれているようだ。右は深大寺道だろう、左はわからない。個人宅にこういう石仏が現代まで守られているのは嬉しいことである。

場所 三鷹市新川3丁目6-1

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2023年12月 6日 (水)

苦楽院地蔵堂(三鷹市中原)

中原の庚申塔の向かいには墓所があり、春清寺の境外墓地で苦楽院と名付けられている。墓所の前の道は古い道で、是より東側には多くの村人が住み中仙川と呼ばれた地域。墓所の南西端に道に向かって開いた堂宇があり、地蔵菩薩が多数祀られている。中央の丸彫の地蔵菩薩坐像は宝暦4年(1754)2月の造立で、「中仙川村75人」の銘がある。

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丸彫の地蔵菩薩が手前に2基、後ろに3基あるが、手前の左右は享保4年(1719)11月のもの。どちらも「武刕多摩郡府中領中仙川村」の銘がある。後ろの3体は、右と中央が宝暦4年(1754)2月、左が享保4年(1719)11月のものなので、元は享保4年の六地蔵だった可能性がある。何らかの理由で欠けると新しい地蔵を建立してきたのだろう。すべての地蔵の台石に府中領中仙川村とあるので、歴代大切にされたものと思われる。

場所 三鷹市中原3丁目6-19

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2023年12月 4日 (月)

石造庚申供養塔(三鷹市中原)

三鷹市立中原小学校脇を入り進むと中嶋神社の裏手に出る。中嶋神社は周辺の神社を集めた神社で、境内には厳島神社、須賀神社、稲荷神社などの境内社がある。神社の裏の路地を出て、そのまま南に進み、突き当りを右に折れると次の角に庚申堂がある。

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なかなか頑丈なコンクリート製の堂宇である。住居表示の脇に説明板がある。三鷹市の指定文化財らしい。「この庚申塔は三鷹市域で最も古いもので、青面金剛が像として刻まれる初期のものです。」とある。

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堂宇の中にあるのは舟型の庚申塔で、日月はなく、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄である。造立年は寛文6年(1664)11月。「奉造立所宝塔為庚申供養也 願主23人」の文字がある。資料によると、「願主33人 中仙川村」の文字もあるようだ。

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堂宇の手前にある2本の石柱を見ると、手前の低い方の石柱はこの堂宇の寄進碑で、「寄進土地庚申堂」とあり、昭和38年(1963)9月30日の日付がある。右奥の角柱は燈籠の竿部のようである。「奉納御宝前」の文字があり、寛政10年(1798)11月の建立と書かれている。

場所  三鷹市中原4丁目16-27

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2023年12月 2日 (土)

春清寺の石仏(三鷹市新川)

三鷹市新川にある春清寺は曹洞宗の寺院。通常禅宗系の寺院は石仏が少ないが、ここは豊富である。創建は江戸時代初めの慶長7年(1602)で、中興の柴田三右衛門は柴田勝家の子孫と言われる。柴田勝家と言えば織田信長の重臣で信長の妹のお市の方の二番目の主人。清須会議にも参加した。

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山門をくぐると正面に本堂があり、右に小ぶりな三重塔がある。三重塔の右手には幼稚園がある。とてもきれいな寺院である。本堂手前の左側に鐘楼と堂宇がある。

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堂宇の右側には駒型の庚申塔が祀られている。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれており、明和4年(1767)仲春(2月)の造立年が刻まれている。左側面には「神仙川村東講中9人」の銘がある。

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庚申塔の隣りにあるのは3枚の板碑。右の大きな板碑は上部が欠損している。摩滅が進んでおり戒名が2つ見られるが紀年等は分からない。左奥の背の高い板碑は「逆修」の文字があり、造立年は貞和5年(1249)2月とある。その手前に立てかけてある小さな板碑は文字不詳。

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板碑の左にあるのが舟型光背型の地蔵と角柱型の石柱。舟形の地蔵は顔の部分が凹んでいる。右肩上には「南 ぢんだいじ道」とあるが風化が進んで読めない。どうも庚申地蔵らしい。造立年は宝暦6年(1756)で、左の角柱は明治20年(1887)の馬頭観音である。以前は300mほど南東の三叉路にあったものだという。

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隣りにあるのは地蔵六面堂である。比較的新しいもので、造立年は明治16年(1883)霜月(11月)とある。三界万霊塔のようだが、明治時代のものとしては質の良い地蔵六面幢である。

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鐘楼の脇には珍しい草木供養塔が立っていた。かなり新しいものである。造立年は平成15年(2003)2月。平成以降のものでぼちぼち見かけるようになったが、古いものは山形県にほとんどがある。

場所  三鷹市新川4丁目4-22

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2023年11月30日 (木)

観音寺の石仏(三鷹市北野)

北野庚申堂を管轄する寺院が曹洞宗の観音寺。北野庚申堂から南東へ数百mほどのところにある。お寺の入口が市境で、山門に向かって左側の電柱には「調布市緑ヶ丘2-12」の表示、向かって右側の電柱には「三鷹市北野4丁目7」の表示がある。道路舗装の状態から、南西側1.5mほどが調布市で北東側が三鷹市だろう。

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寺院は訪問時境内の改修工事中で、確認できたのは通り沿いの堂宇に祀られた六地蔵と角柱型の弘法大師等「南無大師遍照金剛」のみ。六地蔵は元禄年間から正徳年間にかけてのもので、それぞれなかなかの像形である。武刕多摩郡世田谷領北野村の銘や、念仏講中供養施主同行男女92人の銘がある。

場所  三鷹市北野4丁目7-8

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2023年11月28日 (火)

北野庚申堂(三鷹市北野)

仙川の流れと中央自動車道が交わる辺りは市区境が複雑なところ。仙川河畔の天神山城跡は三鷹市北野、北野庚申堂から東へ200mほど行くと世田谷区給田、庚申堂の南50mからは調布市新川になる。現在は外環自動車道と中央自動車道のインターチェンジ工事が着々と進んでおり、北野庚申堂はインターチェンジの一画に位置するようになる。

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庚申堂の入口はとても分かりにくい。写真左の高架は外環自動車道になる部分。その脇にブロック塀があって戸建の屋敷の門のようになっているのが北野庚申堂の入口である。玄関前に立つとコンクリート製の立派な堂宇に納められているが、この堂宇は昭和49年(1974)に建立されたもの。

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正面には4基の庚申塔が並んでおり、右端は上部が欠損しているのものの日月、三猿の図柄のここでは最古の庚申塔。造立年は延宝8年(1680)9月と刻まれている。「奉供養庚申」「同行十五人」の銘が見られる。左の舟型光背型の庚申塔は日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれており、享保9年(1724)10月の造立。右側に「奉造立供養庚申待」の文字がある。

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左から二番目の背の高い駒型の庚申塔は上部に日月、基壇に三猿?と思われる彫刻がある。しかし眺めていると12猿くらいに見えてくる。造立年は宝暦13年(1763)11月で、中央には「奉供養青面金剛庚申需為二世安楽」とあるが、一部意味が分からない。左の板駒型の庚申塔は延享元年(1744)11月の造立で、日月、青面金剛像、三猿の図柄。

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左隅の脇には角柱型の馬頭観世音が立っている。造立年は弘化2年(1845)とあるが他の文字は読み取れない。

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対角の右脇隅にあったのは「神」と書かれた角柱。右側面には「建之」の文字が見えるので、上部が欠損したものだろう。地神なのか水神なのか、はたまたそれ以外なのかは全く分からない。

場所  三鷹市北野4丁目15-6

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2023年11月26日 (日)

新川天神社の庚申塔(三鷹市新川)

三鷹市新川の東八道路沿いにある新川天神社、創建年代は不詳ながら、野川村天神山に鎮座していたのを寛永16年(1640)に現在地に遷座して今日に至るという。東八道路と並行して東西に延びる人見街道は府中市の若松町と杉並区の大宮八幡を結ぶ街道。野川村の天神山というのは仙川が中央自動車道を潜る北にある天神山遺跡(城跡)のことだろう。戦国時代に築かれ今でも土塁が残っているらしい。

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東八道路側から鳥居をくぐると社殿は彼方突き当りの右手にある。天神様なので勿論菅原道真を祀っている。江戸時代初期に台風で天神山の社殿が大破したので移転し、元禄時代に再建、明治時代には村社に昇格した。

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鳥居の左手に進むと庚申塔が祀られている。古いもので、舟型で日月、そして三猿のみの図柄である。造立年は延宝8年(1680)9月とあるので、遷座してから間もなくの時代である。「奉供養庚申」の文字があり、下部には10人ほどの願主名が刻まれている。

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今回戸惑ったのはこの黒御影石に載せられた2基の石仏。右の駒型の庚申塔は、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれている。造立年は宝暦7年(1757)とあり、右側面には「右天神みち 多摩郡瀬田谷領 野川村領主 武右門」、左には「左 神大寺みち 講中拾貮人」とある。これはここから南へ進んだ新川2丁目2番地の角にあったもので、何らかの理由でここに移設されたもの。脇の破片もどうやら青面金剛像の道部分で右下に鶏の上部が見える。これも同じ場所に在ったもの。確認のため、その場所に行ってみると戸建の新築が建築中であった。

場所  三鷹市新川2丁目1-21

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2023年11月24日 (金)

火の見櫓の庚申塔(三鷹市牟礼)

牟礼6丁目の都道110号線と都道134号線の分岐の少し西の辻に三鷹市消防団第五分団の施設があり、火の見櫓が立っている。手前の都道の分岐もこの火の見櫓の辻も江戸時代からの道筋で、昔から往来のあった場所。火の見櫓の脇に小屋根があり、石仏が並んでいる。

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左端は説明の碑だが、屋根の下にあるのは庚申塔が2基、とあと小さな庚申塔の一部がある。左側の背の高い擬宝珠までしっかりとある笠付角柱型の庚申塔は、造立年が元禄5年(1692)9月とある。日月、青面金剛像、三猿の図柄で、「奉造立庚申供養攸 結衆 敬白」の文字がある。下部には沢山の願主名がある。

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この庚申塔の基壇の右下に頂部だけが見えているのもどうやら庚申塔らしい。見えているのは一猿(不聞猿)の上半身のみで、下半身は石とコンクリートで固められている。もしかしたら見えない(あるいは欠損した)下部に2猿があるのかもしれないが、全く分からない。

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右側の笠付角柱型の庚申塔の造立年は、元禄3年(1690)9月とある。こちらも日月、青面金剛像、三猿の図柄で、青面金剛の顔面が壊されているのが残念である。右側には「奉供養庚申二世安楽所」の文字、左側には「武刕多摩郡牟礼村結衆等敬白」の文字がある。

場所  三鷹市牟礼6丁目1-3

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2023年11月20日 (月)

大盛寺別院の石仏(三鷹市牟礼)

大盛寺別院は牟礼にあるが、大盛寺は井の頭にあり、井の頭公園のすぐ南側である。井の頭弁財天から公園の外に出るとすぐに大盛寺になる。とはいえ牟礼のこの場所から本院までは1.5㎞程の距離ながら昔からの街道筋で結ばれていた。

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墓所の北側を走る都道110号線側から入ると、両脇に3体ずつの六地蔵が迎えてくれる。造立年は不詳。花がいっぱいに供えてあり台石の文字が読めない。資料によると、念仏講中による建立で、秩父坂東西国の巡拝供養塔として建てられたらしい。

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別院の建物の脇に複数の石仏が並んでいる。墓所側にあるのが丸彫の地蔵菩薩像で、享保4年(1719)霜月(11月)の造立。「▢供養地蔵念仏講中」「武刕多麻郡無礼村」の文字があるが、牟礼を無礼と書き間違えた石仏がいくつかあるのが興味深い。右の角柱型石塔には「大乗妙典千部塔」とある。こちらは弘化4年(1847)仲春(2月)の紀年がある。

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向かいにあったのが角柱型の不動明王像。こちらは嘉永5年(1852)2月の造立。角柱型の不動明王像はあまり見かけない。台石には多くの願主名が並んでいるが板橋姓が7名もあった。

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墓地脇にあったのがこの隅丸角柱型の石塔。これは墓石ではないようである。「浄心念仏請中」とあり、文化4年(1807)5月の造立年が刻まれている。三鷹市の資料を見ると念仏塔となっているが、どんな目的で建てられたのだろうか。

場所  三鷹市牟礼2丁目14-16

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