2022年11月30日 (水)

小嶋の庚申堂(江戸川区西葛西)

地下鉄東西線西葛西駅の北側、現在は荒川に沿って流れる中川の土手の近くに庚申堂がある。現在の住所は西葛西だが、昭和の高度経済成長期までは小島町、大正時代までは小島(小嶋)という字名だった。小嶋の西の中川河口域には干潟が広がり、東京湾の豊富な漁場だったらしい。

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典型的な住宅街の一角に2畳ほどの堂宇があり、その中央に庚申塔が祀られている。小島の地名は団地の名前などに残っていて、比較的地元でも忘れられることのない地名のようである。バス停も「小島」で、結構本数も多い。

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堂内の庚申塔は板状角柱型の庚申塔で、日月、青面金剛像、三猿の図柄。何となく新しい様子だと感じ、確認すると、昭和27年(1952)の再建で、「庚申再建者 田中文雄」と書かれていた。そしてこの庚申塔には「旧像  享保十四年建立之者也」とも記されている。

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ふと台石の左脇を見ると石柱が横たわっていて、「享保14年」と造立年が刻まれている。これが古い庚申塔で、戦後田中氏が戦災などで傷んだのを再建したのだろうか。再建したものをこうして残しておいていただけると嬉しいものである。

場所  江戸川区西葛西1丁目9-29

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2022年11月29日 (火)

安楽寺の庚申塔(江戸川区北葛西)

北葛西にある安楽寺は浄土宗の寺院。江戸時代の初期に創建されたという。「安楽」という言葉の意味を現代では「安楽に暮らす」「安楽椅子」「安楽死」など何となく怠惰だったり尊さを感じさせない風に捉えている気がする。しかし仏教の世界では、安楽は阿弥陀仏の極楽浄土を意味するのである。安楽寺はそういう意味の名前であることを憶えておきたい。

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都道308号船堀街道からの入口には鐘楼付きの山門がある。この山門は山梨県石和の古寺にあったものを移築したらしい。梵鐘は新しい。この辺りは大字西宇喜田というのが明治以前の地名で、1970年代になるまでは田んぼが広がるのどかな土地であった。安楽寺の北西には運河の新川から宇喜田川が分岐して南流しており、東西線の西葛西駅から南は殆ど海であった。

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本堂の裏側に立ち入らせていただくと、綺麗に無縁仏が並べられていた。中央の角柱は三界万霊塔で安政6年(1859)7月造立と刻まれている。ここに在るのは大半が墓石だが、一つだけ珍しい庚申塔が含まれていた。

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中央右の後ろから二番目にある舟型光背型の阿弥陀如来像がそれである。尊像の右には「奉供養庚申結衆等」とある。左には紀年があり、元禄2年(1689)10月の造立とわかる。宇喜田村(西宇喜田村)の経緯については、法蓮寺のところに書いたとおりである。

場所  江戸川区北葛西1丁目25-16

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2022年11月28日 (月)

法蓮寺の石仏(江戸川区北葛西)

江戸川区北葛西にある法蓮寺は浄土宗の寺院。創建は寛永3年(1621)で、当時宇喜田新田の開拓者宇田川氏が亡父追悼の為にその隠居屋敷に一寺を建てたことに始まる。その亡父宇田川喜平定氏は天文3年(1533)に品川で生まれ、22歳の時に小松川村に移り、慶長元年(1555)に葛西浦の芦原三千石の地を開拓して宇喜新田(宇田川喜平の新田の意)と名付け、幕府にも認められ、入道して法蓮の号となった。

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その宇喜新田が後に宇喜田新田となり、宇喜田村となったが、江戸時代後期には東宇喜田村、西宇喜田村、その間が長島村という形になった。ここは西宇喜田村で、明治時代には葛西村の大字西宇喜田になっている。山門と本堂の間に広い堂宇があり、複数の石仏が祀られている。左端は駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、尊像は左手にショケラを下げている。造立年は正徳5年(1715)11月で、「法供養庚申為二世安楽」と記されている。

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左から二番目は舟型光背型の地蔵菩薩で光背輪がはっきりしている。造立年は元禄15年(1702)とあり、「奉供養講中」と書かれている。右から二番目手前は首が新しいが如意輪観音のようである。台石には「南無阿弥陀仏」とあるが紀年等は不詳。その後ろの地蔵は新しいもので、右端の丸彫の聖観音像は宝暦11年(1761)2月の造立で、台石に「講中二拾人」とある。

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住職にお聞きして墓所の庚申塔も拝見した。左がその庚申塔で珍しい阿弥陀如来の舟型光背型の庚申塔である。造立年は延宝5年(1677)2月とある。右側の大きい方の舟型光背型の阿弥陀如来像は右側が欠損している。そこに造立年があったようだが、左側にある9月しかわからない。上部には「二世安楽也」とあるが、庚申塔か供養塔かなどは不明である。

場所  江戸川区北葛西4丁目5-18

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2022年11月27日 (日)

法龍寺の石仏(江戸川区船堀)

真言宗光明寺の南隣りにあるのが浄土宗の法龍寺。創建年代は慶長年間(1596~1615)と伝えられる。まさに徳川家康の時代である。山門前に4基の石仏が並んでいる。

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一番道路側は大きな角柱型の供養塔で、「南無阿弥陀仏」の六文字。側面に「奉納大乗妙典六十六部日本廻国成就供養」とあり、武刕葛飾郡東葛西領二之江村新田の銘がある。建立は元文5年(1740)10月で念仏講同行中の文字もある。二番目は舟型光背型の地蔵菩薩立像。摩滅が進んでいるので読み取れないが、寛文▢▢年10月の文字があるので、江戸時代初期のものである。

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その右の舟型光背型の庚申塔は見事な彫りである。日月、青面金剛、三猿の図柄だが、それぞれがしっかりと造形されている。文字がいくつかばらばらに彫りこまれており、「奉建立石像庚申」「法龍寺深誉判」などの文字があるので、当所から法龍寺に在ったものだろう。造立年は古く寛文4年(1664)9月とある。一番右の白っぽい石塔は珍しい「食用蛙供養塔」で説明板には昭和27年建立とあるが、裏側には平成30年3月建立と刻まれていた。

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一方寺の南の隅に立っていたのは舟型光背型の阿弥陀如来像。どうも墓石のようではあるが、左下に「結衆」という文字があるので、これも合同の供養塔であろう。紀年は摩滅していて読み取れなかったが「8月」という文字は読めた。ちなみに前述の食用蛙供養塔だが、この辺りでは昭和の初め頃から周辺の水田や蓮田に自然繁殖していた食用蛙を捕えて生業にする産業のひとつだったらしい。

場所  江戸川区船堀6丁目9-30

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2022年11月26日 (土)

光明寺の石仏(江戸川区船堀)

江戸川区船堀にある光明寺は真言宗の寺院。創建年は慶長9年(1614)で、大坂冬の陣の年(当時は大阪ではなく大坂)。江戸時代光明寺は「横道の不動様」として知られ、成田山への参詣途中に立ち寄る人も多かったという。

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寺のすぐ東側をかつては境川という小河川が流れていた。現在では親水公園として河川跡に遊歩道が設置されている。江戸時代この辺りは東船堀村で、明治になってからは東船堀は大字になったようだ。江戸時代には荒川は存在しなかったので、旧中川番所の渡しを経て船堀川(新川)沿いに東進、境川が出合うと北に向かって光明寺前を通り、一之江を経て成田山方面に街道が繋がっていた。

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山門脇に複数の石仏が並んでいる。一番右にあるのがこの駒型庚申塔。造立年は享保6年(1721)9月で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄である。側面には「奉供養庚申ノ為二世安楽 敬白」とあり、「當寺▢▢」とあるので当初から光明寺前に在ったものだろうか。

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その左にあるのが舟型光背型の地蔵菩薩立像。造立年は享保12年(1721)10月とあり、「奉供養為二世安楽也」と刻まれている。念仏供養のための造立だろうか。

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その左、山門脇にあるのが上の写真の右の駒型庚申塔と左の聖観音菩薩。右の庚申塔は宝暦8年(1758)11月の造立で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。青面金剛の左手にはショケラが下がる。ゼニゴケが付着しているが、「二世安楽所、講中、奉造立青面金剛」などの文字が確認できる。左の舟型光背型の聖観音像は享保19年(1734)11がつの造立。「奉納為二世安楽也」という文字が刻まれている。

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山門の左側に立つ舟型光背型の聖観音像はかなり摩滅が進んでいる。文字を辿ってみると、造立年は古く、寛文11年(1671)正月とある。右側に書かれている偈文は読み取れなかった。地図を見ていて興味深かったのは明治時代の地形図ではこの辺りの標高は1m程度になっているが、現在の地理院地図の標高はマイナス1mとなっている。やはり2mほど沈下しているのだろう。

場所  江戸川区船堀6丁目8-18

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2022年11月25日 (金)

法然寺の庚申塔(江戸川区船堀)

東京メトロ東西線船堀駅の南西にある法然寺は浄土宗の寺院。すぐ南には新川という江戸時代からの運河が旧江戸川と中川(荒川)を結んで東西に舟運を可能にしている。江戸時代のこの辺りは船堀村。新川の南側は西宇喜田、東小松川という地域になり、運河によって分断していたのだろう。

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法然寺の創建は元和2年(1616)、後に幕末に船堀小学校の前身として平船学校がこの地に開設している。山門をくぐると正面に本堂が嵩上げして建っている。これは低地の水害対策だろうか。本堂の手前左側に無縁仏が集まり、その脇に3基の石仏が立っている。一番左の丸彫の地蔵菩薩像は年代を経ていそうだが情報は全く不詳である。右の2基は形は異なるがどちらも庚申塔である。

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中央の舟型光背型の庚申塔は極めて優れた彫りである。日月、青面金剛像、三猿の図柄だが、尊像は左手に邪鬼を下げている。最初はショケラ化と思ったがよく見るとやはり邪鬼である。造立年は寛文6年(1666)10月。隙間に文字が刻まれ、「奉彫庚申石像」「一座結衆」「法然寺」などの文字が見られる。右の笠付角柱型の庚申塔は正面に「青面金剛」とあり、下部に三猿がある。左面は万治2年(1659)の紀年、右面には天明3年(1783)の紀年が刻まれているのでいささか混乱。資料を確認すると天明3年は改修年のようだ。

場所  江戸川区船堀2丁目10-10

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2022年11月24日 (木)

勝養寺の庚申塔(葛飾区青戸)

青砥駅の西、京成本線の高架脇にある真言宗の勝養寺は、大永7年(1527)の創建とされる。まだ関東は小田原北条氏の支配下にあった時代である。北条氏の家臣である遠山直景という人物の居城の鬼門にある渋江郷(現在の四つ木)に鬼門として創建され、後に現在地に移転したと伝えられる。

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駅前の寺院なのであまり広くないがきれいなお寺である。本堂の階段下にあった庚申塔と地蔵菩薩だが、なぜか元禄12年(1699)造立の舟型光背型の地蔵菩薩しかなく、庚申塔は見当たらない。実は寺院の裏口(勝手口兼車庫)の脇に堂宇を建てて移してあったのである。

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綺麗な御影石の堂宇に庚申塔がぴったり収まっている。舟型光背型で日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が陽刻されている。尊像脇には「奉造立庚申石像 結集」とあり、造立年は元禄14年(1701)正月とある。なぜこちらに移されたのかは分からない。

場所  葛飾区青戸3丁目25-14

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2022年11月23日 (水)

中原稲荷神社の庚申塔(葛飾区青戸)

京成電鉄青砥駅前にある中原稲荷神社はかつてこの辺りが中原村だった頃からの鎮守である。創建は中原村が成立した江戸時代初期とされている。中原という地名はシンプルな命名で、昔この辺りに広大な野原があったのでその真ん中ということで中原となったらしい。

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商店の間に鳥居がありそこから参詣する。ちなみに地名は青戸、駅名は青砥であるが、昔から地名はずっと青戸である。江戸時代に人気となった鎌倉武将青砥藤綱がこの辺りに住んでいたという言い伝えがあったということだが、駅名は京成か関係者がつけたもの。ちなみに環七の橋名が青砥橋だが、もしかしたら東京都(東京市)の関係者が昭和の初めに史実を知らずにつけた可能性もゼロではない。

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境内本殿脇には祠と並んで板碑型の庚申塔が立っている。文字がかなり摩滅している。資料と合わせてみると、造立年は宝永6年(1709)2月、富士山宝永噴火の前年である。正面中央には「奉造立青面金剛」とあるようだ。願主名等も下部に刻まれており、勝養寺の名もある。駅の反対側にある勝養寺は当稲荷の別当寺である。

場所  葛飾区青戸2丁目2-2

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2022年11月22日 (火)

法問寺の石仏(葛飾区青戸)

葛飾区青戸にある法問寺は浄土宗の寺院。中川の右岸に近く、創建は室町時代末期の永禄2年(1559)と古い。当初は現在地よりも100mほど南東にあったが、江戸時代の享保14年(1796)に中川の開削工事の為、現在の場所に移転した。この辺りは明治時代までは表青戸と呼ばれた土地である。

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駐在所の横が寺の入口。入口脇に2mを超える大きな石塔が立っている。傍に説明板があった。「施餓鬼音楽法要碑」という葛飾区の指定有形民俗文化財。「施餓鬼(せがき)とは飢餓に苦しんでいる餓鬼に飲食を施すための法会のことで、餓鬼を救済すると同時に自分の長寿を祈願するというもの。法問寺では文化3年(1806)に施餓鬼音楽法要が行われた。その時、かつて出羽三山供養塔として建てられた奉納大乗妙典碑を削り直して造ったものとされている。裏の紀年は出羽三山供養塔の時の寛政8年(1796)3月と記されている。移転と供養塔建立が同年なのも何か経緯がありそうだ。

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境内に入ると、本堂手前に舟型の地蔵菩薩と駒型の庚申塔がある。庚申塔は日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、享保6年(1721)11月の造立。「奉庚申建立  同行▢▢▢  講中 拾八人」と刻まれている。左の舟型光背型の地蔵菩薩像は、宝永6年(1709)10月の造立。「念仏講中 三十五人」と大きく書かれている。庚申塔は元々青戸7丁目30-10の路傍にあったもの。寺から200m余り北の位置にあたる。

場所  葛飾区青戸6丁目16-20

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2022年11月21日 (月)

延命寺の石仏(葛飾区青戸)

真言宗の延命寺は、国道6号線水戸街道が中川を渡る中川橋の右岸にある古刹。橋の近くから参道がまっすぐに伸びており、本堂の手前に山門がある。延命寺は中川のほとりにあるため、何度となく中川の洪水に襲われてきたが、今もまだ続いているのは凄いことだと思う。

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延命寺の創建は嘉応元年(1169)という古さ。平安時代末期である。当時坂東(関東地方)には武士団が割拠するようになり、まずは東山道に近い秩父氏が勢力を広げた。その子孫のひとつが江戸氏で、江戸重長の頃には江戸の広いエリアを支配していた。本拠地は世田谷区喜多見である。

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山門脇に堂宇がありその中には丸彫の地蔵菩薩立像が祀られている。台石には、延享元年(1744)6月の造立年が刻まれ、中央に「奉造立地蔵菩薩」と刻まれている。台石左右にはそれぞれ、浄真信士、授迎童子の命日が刻まれているので、墓石だったのかもしれない。

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延命寺で有名なのはこの板碑型庚申塔である。「二十一仏庚申供養塔」の名で葛飾区の指定有形文化財になっている。二十一仏というのは上部に刻まれた梵字21文字で山王二十一社の種子を指す。その下には「奉彫建石佛 庚申結衆 行蓮坊」「庚申待成就」などいくつもの文字が刻まれている。造立年は承応4年(1655)とある。

場所  葛飾区青戸8丁目24-29

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