2024年5月28日 (火)

帝釈天王庚申塔(稲城市大丸)

JR南武線南多摩駅の近く、自動車用品店の駐車場にポツンと立っている石塔がある。医王寺の石仏で前述したが、南多摩駅にはかつて大きな露頭があり、また駅寄りも多摩川側のエリアは「砂場」という地名。法面が養生されたこの露頭は稲城砂層という地層で昭和40年代から継続して採掘が行われてきた痕跡である。

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露頭とは反対の東側の道路脇に立つ石塔には「帝釈天王擁護庚申塔」と書かれている。裏面を見ると昭和27年(1952)8月の造立とあり、吉野伊太郎建之と刻まれている。前の道路は実は古い道で、是政の渡しに向かう道。昔は南多摩駅付近が川岸のこともあった。

場所  稲城市大丸942  map

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2024年5月26日 (日)

医王寺の石仏(稲城市大丸)

稲城市大丸(おおまる)にある医王寺の後ろにはJR南武線から望める広大な露頭があったのだが、近年法面工事が行われ地層が見えなくなってしまい残念に思う。とはいえ災害対策としては必要な工事なので致し方ない。ちなみに南多摩駅というのは新しい駅名で、昔は大丸駅という駅名であった。地形図を見ると、この大露頭が出来たのは戦後まもなくの頃らしく、おそらくは土砂を採ったのだろう。

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医王寺は道路面よりも数m高い。蓮光寺を経て関戸に至る道は昔からある峠越えの道なので、道路拡幅時に高低差が出来たのだろう。また昔の地図では医王寺は新大丸交差点の辺りにあったようだから、少し移動したのだろうか。この医王寺は一向宗(浄土真宗)であった寺院を元文2年(1737)に天台宗に改宗して開山した寺院で、一向宗時代の創建年は不詳。

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本堂向かって右手の墓所入口に新しい六地蔵があり、その脇に古い丸彫の地蔵座像が並んでいる。左の大きな方の地蔵の台石正面には「賢者全栄塔」とある。造立年は文政5年(1822)。右の地蔵は稚児を抱いている。こちらは嘉永3年(1850)9月の造立である。

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地蔵の後ろには笠付角柱型の庚申塔がある。日月、青面金剛像、二鶏、三猿の図柄で、造立年は正徳6年(1716)2月と刻まれている。正面には「奉納庚申供養二世祈所」と書かれ、側面には「武列多摩郡大丸村」の銘がある。

場所  稲城市大丸1417  map

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2024年5月24日 (金)

大山福地地蔵尊(板橋区大山町)

板橋区大山町の商店街ハッピーロード大山は昔ながらの商店街だが、最近は周辺にマンションも増えて風景が変わってきた。東武東上線大山駅からハッピーロードを西に進むとアーケードが切れたところで川越街道に出る。

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アーケードの終わりの交差点が大山西町交差点だが、そこを北に向かうとすぐに綺麗な玉垣が現れて、大山福地地蔵尊がある。手前に丸彫の新しい地蔵尊があるが、そちらは「お身洗い地蔵尊」というらしい。近年のものである。奥の頑丈な堂宇に祀られているのが大山福地地蔵尊。現在の者は昭和26年(1951)に再建されたものである。

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文化文政の頃というから1800年代の初め頃、この辺りが山中村と言われていた時分に、お福と呼ぶ女行者がこの地に棲み付き、多くの庶民の難病や苦業を救った。お福の死後も周辺の人々が慕って、地蔵尊を築いたのが先代の大山福地地蔵尊である。かつては参詣者が絶えなかったと言われる。

場所  板橋区大山町54  map

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2024年5月22日 (水)

仲町の庚申塔(板橋区仲町)

川越街道から北上する古道鎌倉街道の途中に大きなサミットというスーパーマーケットがある。その南角の向かいに小さな堂宇があり、庚申塔が祀られている。仲町というのは最近の地名で、ここは山中村と上板橋宿の境あたりになるだろう。

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堂宇に祀られているのは駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が陽刻されえ、主尊の左手にはショケラが下がっている。右側面には「奉造立庚申供養塔敬紀」の文字、左には造立年があり、宝暦6年(1756)2月とある。下部には願主名があるようだが、確認はできなかった。資料によると、小宮姓、山本姓、高橋姓が多いようだ。

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江戸時代以前もここから100mほど南に川越街道が通っており、そこから少し下った位置になる。おそらく別述の轡神社の道標ももともとはこの辺りにあったのではないかと推測する。

場所  板橋区仲町21  map

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2024年5月20日 (月)

轡神社の石仏(板橋区仲町)

板橋区仲町の西側を南北に走る古い道はかつての鎌倉街道と言われている。石仏の多い専称院から南下すると200mほどで小さな神社がある。名前を轡(くつわ)神社という。創建年代は不詳だが、徳川家康の乗馬の轡(くつわ)を祀ったとも、馬蹄を祀ったとも言われる神社。昔は轡権現社と呼ばれていたらしい。

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この神社は百日咳に霊験あらたかな神社として知られ、参拝者も多かったという。神社の境内の南角には明治4年(1871)10月建立の角柱型の道標があり、「是より二丁 轡神社道」とあるので、これは二丁(218.8m)という距離から川越街道の辺りにあったものだろう。

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もう一つの石塔は櫛型角柱型の巡拝塔である。「奉納大乗妙典六十六部日本廻国」とあり、造立年は寛政2年(1790)3月。「轡大権現社建立 初戸谷村 山中村 下板橋宿」の銘がある。江戸時代は川越街道からこの旧鎌倉街道に入って轡神社にお参りする人も多かったのだろう。

場所  板橋区仲町46  map

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2024年5月18日 (土)

金子家の馬頭観音(板橋区仲町)

板橋区仲町は東武東上線大山駅と中板橋駅の間にある地域。明治時代の地図を見ていると、仲町を第1コーナーと第2コーナーに見立てたような競馬場が描かれている。実は明治41年(1908)に開場した板橋競馬場で、一周1マイルの距離があった。しかし2年後には廃止となり、目黒競馬場に統合された。

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現在の仲町あたりはかつては山中という字名であった。さらに江戸時代に遡ると、豊嶋郡下板橋宿山中村という村名になる。現在の豊島病院通り沿いには複数の路傍の石仏がある。その中でも一番山中の集落に近いのがこの金子家の馬頭観音である。競馬場と何らかの関係があったのかは分からない。

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頂部が欠損しているが舟型だろうか。三面六臂の馬頭観音が描かれているが、摩滅が酷く文字はまったく読めない。堂宇のお宅は金子家。今も綿々と馬頭観音を守っておられるようだ。

場所  板橋区仲町32  map

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2024年5月16日 (木)

延命子育地蔵尊(板橋区中板橋)

東武東上線中板橋駅のホームから北側に見える寺院が曹洞宗の福泉寺。埼玉県の坂戸に創建したのは寛保年間(1741~1744)で、昭和17年(1942)に中板橋に移転した。福泉寺が移転してくる前、この場所には石神井川の水を利用した「遊泉園」というプールがあったらしい。当時の地図を見ると東上線の北側におむすび型のプールがあったようだ。

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その遊泉園プールがあったので、現在の中板橋駅の場所には臨時停車駅が出来た。それが昭和8年に常設されて中板橋駅となったという近代史である。昭和17年に福泉寺と共に移転してきた、門前の延命子育地蔵尊は、一時中板橋の商店街に移設され、それをきっかけに縁日が始まったりして中板橋の発展と共に信仰を厚くしてきた。

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地蔵菩薩は丸彫の半跏像で、説明板には延享3年(1746)10月とあり、台石右側に刻まれている。造立年の脇には講中150人、当寺三世孤峯とも書かれている。正面には「万霊塔」、左面には「願以此功徳普及於一切 我等與衆生皆共成仏」の文字がある。

場所  板橋区中板橋29

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2024年5月14日 (火)

武蔵野大学裏の馬頭観音(西東京市向台町)

深大寺街道を南下、ほうろく地蔵、背の高い馬頭観音を過ぎて、田無工業高校と武蔵野大学の境の辻に来ると、武蔵野大学側の角に一基の馬頭観音が立っている。角柱型の馬頭観音は中折れと欠損を補修してあり、文字が読めないところが多い。

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高さは1mほどだろうか。正面上部には馬頭観音の座像が陽刻されている。馬頭観音像の下には、「武列多摩郡田無村向台」「荒井安右衛門、松原三右衛門、講中三拾人」ときざまれている。向台はこの深大寺街道よりも西側、かつての田無市側の地名である。

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造立年は一部欠けているが干支から安永7年(1778)9月のようである。左面右面には道標が刻まれているが側面の傷みがひどいので解読が難しい。「西 府中道」「東 ?」「北 ?」「南 ?」というくらい読めない。

場所  西東京市向台町1丁目10  map

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2024年5月12日 (日)

馬頭観音文字塔(西東京市柳沢)

かつての田無市と保谷市の市境になっていた深大寺街道を青梅街道から五日市街道に向かって南下すると、二つの街道のほぼ真ん中あたりの辻に背の高い馬頭観世音塔がある。

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今はマンションの角の植木に覆いかぶさられるようになっていて目立たないが、この馬頭観音単独で立っていたらさぞかし目立つだろうと思われた。角柱型の馬頭観音の高さは180㎝もある。上部には梵字と「馬頭観世音」の文字があり、脇に天下泰平、風雨順時と刻まれている。

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造立年は文政元年(1818)10月で、「奉供養秩父西国坂東為二世安楽也」とあるので、馬頭観音と巡拝塔の合体か。「武州多摩郡上保谷村新田 願主平井嘉右衛門」の銘がある。下部には道標が兼ねられており、「右 深大寺道」「左 柳沢所沢道」と書かれている。

場所  西東京市柳沢4丁目1  map

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2024年5月10日 (金)

ほうろく地蔵尊(西東京市南町)

青梅街道から南下する深大寺街道は以前は田無市と保谷市の市境であった。深大寺街道の東が保谷市柳沢、西が田無市南町である。斜めに交差する文化通りは西武新宿線の都道ガードから分岐し、南東に延びるが、ほうろく地蔵尊の辻から先は柳沢団地通りと名前を変える。おそらく合併前の地名を引きずっているのだろう。

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植込みもある境内があって堂宇は古いもののしっかりしている。斜めに交差する文化通りは昔は札野道と呼ばれた村道で吉祥寺方面へ伸びていた。堂宇の中には小さな地蔵もあるが他は新しいもののよう。主役のほうろく地蔵は地蔵菩薩半跏像で立てた左足の膝が雨ざらしの時代があったのか凹んでいる。造立年は不詳だが、立派な頭光がある。

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この頭光がほうろく(焙烙)と呼ばれる小さな土製の鍋に似ていることからほうろく地蔵と呼ばれるらしい。文京区向丘の大円寺にもほうろく地蔵があった。由来の全く分からない地蔵だが、相当な年月を経ていることは見てとれる。

場所  西東京市南町1丁目9-9  map

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