閻魔堂の石仏(西東京市向台町)
西東京市向台町(むこうだいちょう)は少し前までは田無市向台町だったが、2001年に田無市と保谷市が合併して西東京市となった。私は東西南北を安易につけるような土地の命名は愚だと思っているので、残念でならない。まだ田無保谷市のほうがはるかにいい。五日市街道から鈴木街道の道は古い道だが、向台町を東西に走る向台中央通りも昔からあった農道を広くした道のようだ。
西東京市立田無第四小学校の向かいに向台墓地がある。路地を挟んで比較的新しい閻魔堂(十王堂)があり、境内には古い石仏が祀られている。閻魔堂(十王堂)は延享2年(1745)10月に開かれた小堂で、江戸時代は寺子屋が開かれたりして集落の中心的な存在だった。閻魔堂の中には閻魔様が祀られている。
閻魔堂の向かって左奥にあったのは笠付角柱型の庚申塔。庚申塔の前には自然石の一面を磨いた石碑があり、「庚申霊」の文字があるが意味は分からない。庚申塔は享保6年(1721)10月の造立で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。「奉造立青面金剛尊 田無村」とある。また「武州多摩郡講中23人」という文字もある。
道路寄りには2基の石仏があり、右の石仏は舟型光背型の聖観音像。「日本回国六十六部供養塔」とあり、造立年はゼニゴケで読み取りにくいがおそらく庚申塔と同じ、享保6年(1721)3月と思われる。左の丸彫の地蔵菩薩像については文字がほとんど読めず不詳。閻魔堂(十王堂)が開かれるより前の石仏が境内にあるということは、閻魔堂以前にはどこにあったのか気になるが、知る由もない。
場所 西東京市向台町2丁目13-14
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