2022年7月 5日 (火)

民家塀の庚申塔(足立区西綾瀬)

綾瀬駅の西を流れる綾瀬川。かつては日本一汚い川として有名だった。1980年から15年連続でワースト1の座をキープしたが、近年は水質改善が進みかなりきれいになってきた。そんな綾瀬川だが堤防はカミソリ堤防で、川と人々の間が刑務所のように分断されているのは残念である。

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そんな綾瀬川右岸(西岸)のある民家の塀に凹みがあり、その中に駒型の庚申塔が祀られている。なかなか広いお宅で、古い地図を見てみると子には江戸時代から民家があったようだ。

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庚申塔は、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄だが、三猿は左の一匹が摩滅で確認できなくなっている。側面には「丹波野講中」とあり、造立年は文化2年(1805)11月と記されている。綾瀬川は江戸時代からある農業用水河川で、江戸時代は東側が五兵衛新田、西側が弥五郎新田と呼ばれていた。丹波野というのは、ここから400mほど北に丹波野公園という区立公園があることから、この辺りの古い小字と思われる。

場所  足立区西綾瀬4丁目2-25

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2022年7月 4日 (月)

路傍の馬頭観音(足立区綾瀬)

足立区綾瀬の綾瀬駅北部は五兵衛新田と呼ばれた農村地帯であった。綾瀬駅は現在は大きな駅前の商業ゾーンを持つ駅だが、常磐線に綾瀬駅が出来たのは昭和18年と新しい。馬頭観音がある場所は江戸時代から五兵衛新田と北にある嘉兵衛新田を結ぶ主要路だった。嘉兵衛は現在では加平と呼ばれる地域のことである。

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中華料理屋の脇の駐車スぺースの一画に屋根があり、その下に板駒型の馬頭観音が祀られている。摩滅が激しくて造立年やその他の情報については全く読み取れない。

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足立区の資料によるとこの場所にはかつて明和2年(1765)造立の庚申塔があったということが記されていた。しかし探してみたが庚申塔は見つからない。それでも今もなおこの馬頭観音を守る人がいることは想像できた。

場所  足立区綾瀬4丁目20-17

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2022年7月 3日 (日)

観音寺の石仏(足立区綾瀬)

常磐線綾瀬駅西口からすぐのところにある真言宗の観音寺。創建は江戸時代の初期だと伝えられる。この辺りは江戸時代に入って開発が進み、五兵衛新田と呼ばれていたらしい。その時代からの地元の菩提寺である。

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境内に入るには左の方にある勝手口のような門から。本堂前にあるのはひときわ大きな舟型光背型の聖観音立像で、造立年は寛文4年(1664)極月(12月)と刻まれている。「奉造立庚申供養二世安穏所也」とあるので、庚申講中による建之である。下の方には右に10名、左に8名の願主名が刻まれている。

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左脇にある駒型の庚申塔は、寛政10年(1798)11月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、左手にはショケラを下げている。右側面には「庚申講中廿五人」とある。右の一部欠損した舟型の地蔵菩薩像は元禄4年(1691)8月のものだが墓石らしい。

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3基の後ろには2基の石仏がある。左は舟型の丈菩薩像で、文政10年(1827)3月の造立。「為有縁無縁先祖代々菩提」と書かれている。右の舟型光背型の如意輪観音像は上部が欠損している。造立年は全く同じで、分析10年(1827)3月。こちらには「先祖代々三界万霊増進仏果」と書かれている。脇にある願主名「現住憲澄代 金子左内」というのも同じなので同時に建てられたものだろう。

場所  足立区綾瀬4丁目9-6

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2022年7月 2日 (土)

根岸幼稚園前庚申塔(台東区根岸)

資料には根岸小学校前とあるが正確には根岸幼稚園前である。とても有名な庚申塔群で、あちこちで紹介されている。外から見えるのは3基だが、コンクリートの堂宇の中にも1基あり、計4基の庚申塔が祀られている。

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コンクリートの堂宇の中には資料によると、天明5年(1785)7月造立の駒型庚申塔がある。もとは安永元年(1772)に造立されたものだが、破損等により僅か13年後に根岸・新田講中が再建したとされる。今回は隙間からも撮影が困難であったため、写真は宿題となった。

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一番左の手水鉢の脇にあるのは舟型光背型の聖観音立像。造立年は寛文8年(1668)9月と古いものである。正面には「庚申供養二世安樂所」と刻まれており、下部に願主名が6人銘ある。中央部分斜めに折れたような跡が残っている。

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右隣りにあるのが駒型の庚申塔で、三角形の配置で三猿が描かれている。造立年は元禄16年(1703)9月である。これも保存状態はかなり良い。

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堂宇の脇にあるのは板碑型の庚申塔。下部に三猿が陽刻されている。中央には「奉待庚申供養二世安樂所」と刻まれている。三猿の下には11人の施主願主名が記されている。庚申塔の上部にある扁額には、「猿田彦大神」と大きく中心に書かれており、「日光山中禅寺立木観音講」とある。ずらりと並ぶ木板の千社札が素晴らしい。

場所  台東区根岸3丁目9-7

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2022年7月 1日 (金)

西蔵院の庚申塔(台東区根岸)

台東区にある真言宗の西蔵院は不詳ながら寺伝では推定1400年代としている。2012年に落成した山門を額縁に見立てて本堂を見る。この場所にはかつて根岸小学校があったらしい。先代の林家三平の出身校である。明治7年(1874)に開校し、大正に入るまでここに在ったようだ。

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江戸時代この辺りは金杉村根岸という土地で、切絵図にはウグイスの絵が描かれている。JR山手線の鶯谷駅のもとになったウグイスである。ただ現在の地名に鶯谷はない。江戸時代に寛永寺の住職として京都から皇族が赴任してきていた。元禄時代に公弁という住職が「江戸の鶯は訛っている」と言ってわざわざ京都から鶯を運ばせて放したという伝説がある。

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山門をくぐると左手に堂宇があり、珍しい石仏が祀られていた。笠付の角柱だが、3面にそれぞれ二地蔵が描かれ、四面六地蔵となっている。三吉朋十氏は有蓋四面塔と記している。造立年代は不明。そもそも有蓋の四面六地蔵はここと文京区向丘の蓮光寺にしかない、極めて珍しいものらしい。ただ蓮光寺でその存在には気づかなかった。

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本堂の左手、墓所への入口に多数の石仏が並んでいる。どうも拝観を好んで受け入れていないようで、さっと撮影するのみであった。手前にあった写真の板碑型庚申塔は文字塔で下部に蓮花が描かれている。造立年は宝永5年(1708)霜月(11月)とある。中央には「奉待庚申爲供養」とあり、脇に願主名が8人銘刻まれていた。

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その先にあるのが板碑型だが中央に三猿が陽刻されている庚申塔で、下部には蓮華と蓮葉が描かれている。造立年は寛文8年(1668)8月と古いもの。中央上部には「奉待庚申供養二世安樂処」とあり、三猿の下には8名の願主名がある。

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継にあるこの舟型光背型の地蔵菩薩像は、足元に三猿があることで庚申地蔵とすぐに分かる。地蔵の右手には「奉造立庚申供養」と大きく書かれており、造立年は欠損していて読めないが、資料によると正徳元年(1711)7月らしい。「金杉村講中」の銘がある。

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庚申地蔵の右隣りにある板碑型の石仏だが、どうも庚申塔らしい。下部には蓮華が陽刻されているが、文字はほとんど読めない。造立年不明だが、資料でもよく分からない。

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少し先にある駒型の庚申塔は上中部が折れて補修した跡があり、書かれていた文字などは殆ど分からない。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が陽刻されている。左手にあるのは資料によるとショケラらしい。おそらく3つに割れてしまったものを何とか修復したようである。

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さらに奥にある板碑型の庚申塔は左肩が欠損している。造立年は最も古く明暦2年(1656)12月とある。この翌月に明暦の大火が起こっている。下部には線刻の蓮華があり、正面には「庚申供養修営貴躰」「寒念佛明暦ニ丙申天」「一生成辨極月吉辰」とある。縁にある文字は「願主金杉村」「内田丹後修行之」と刻まれている。

場所  台東区根岸3丁目12-38

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2022年6月30日 (木)

世尊寺の石仏(台東区根岸)

根岸にある真言宗の世尊寺は豊島氏の左近将監輝時が開基となり、応安5年(1372)に創建したという古い寺。この辺りは江戸時代は金杉村という村で、金杉通りという通り名にその名は今も残っている。金杉通りはかつての日光街道である。

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山門をくぐると左右に立派な堂宇がある。左の堂宇は子育地蔵と書かれている。おそらくは中央に祀られている全体的にとろけた様子のお地蔵様が中心の子育地蔵だと思われるが、左右にも丸彫の地蔵尊が立っている。

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後ろの壁には沢山の小さな舟型地蔵が奉納されていて、小さいながら存在感を出している。台石には「角尾張 見世 二階中」と書かれているが意味は分からない。

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その少し先にあるのが笠付の地蔵六面幢である。地蔵の六面幢は珍しいが、旧下谷区には5基が纏まっている。そのうちのひとつがこの六面幢である。造立年は文化11年(1814)11月と台石に書かれている。台石正面には「地蔵尊像壱基 百萬紙供養塔」とあるが百万遍の誤字だろうか。

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その先の無縁仏塔の頂上にある舟型光背型の石仏は墓石ではないようだ。「奉造立地蔵尊庚申講衆二世安樂攸」とあるので庚申地蔵である。造立年は元禄6年(1693)2月とある。なかなか美しい彫りの地蔵菩薩像である。

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反対側の堂宇にはとても珍しい線刻の六地蔵碑が祀られている。その脇には念仏車があり、これもなかなか良いものである。六地蔵臂は文久3年(1863)7月の造立。台石にはなぜか8月と刻まれていた。願主名は村田市兵衛の名がある。

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本堂左の墓所への通路脇に珍しい駒型の庚申塔が立っている。駒型なのに造立年は延宝2年(1674)11月とかなり古い時代のもの。日月、青面金剛像、その脇に二童子、足元には四夜叉があり、その下に一猿と二鶏が陽刻されている。このパターンは他に例がないのではないかと思う。少なくともこれまでに見た庚申塔にはなかった。

場所  台東区根岸3丁目13-22

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2022年6月29日 (水)

小野照崎神社の庚申塚(台東区下谷)

台東区下谷は地下を東京メトロ日比谷線が通る昭和通りとその西を並走する金杉通りに挟まれた南北に長い地域である。昭和通りは近年の大通りだが、金杉通りは江戸時代の日光街道そのもので歴史のある街。江戸時代は坂本村という村だったが、日光街道沿いは完全な街道筋で裏手には多くの寺社仏閣が並んでいた。寺域の後ろが民地の坂本村であった。

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小野照崎神社の「小野」には由緒があり、仁寿2年(852)に小野篁が亡くなった時に、彼が風光を楽しんだ上野照崎(忍岡といい現在の上野公園あたり)に霊を勧請したものらしい。上野寛永寺が開かれた時に、それを現在地に移転したという説があるが、別説もあるようだ。小野篁はあの世とこの世を行き来した霊力のある人物だったという言い伝えがある。

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本殿の向かいに5~6畳ほどの庚申塚が築かれている。石段の右には燈籠があり、肥大には「日本三庚申 庚申塚」と刻まれた昭和34年(1959)8月造立の標柱がある。これは後述する一番背の高い庚申塔に対する標柱である。

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庚申塚の左側にあるのは、六面幢のうちの三面に一猿、計三猿を陽刻したもの。造立年は延宝8年(1680)9月。もとは石燈籠の竿部だったらしい。一対で奉納されたが片方は無くなってしまった。「奉寄進石燈籠両基 武州坂本村」の銘がある。右側の板碑型庚申塔は延宝4年(1676)9月の造立で、下部に三猿を陽刻する。いたずらを受けたのか削られた跡があるが、「奉待庚申供養所願成就攸」と書かれているらしい。

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奥の列の一番左の庚申塔は面白い形だが板碑型のようだ。造立年は延宝3年(1675)9月。三猿が下部にあるが少し削られている。中央には「奉待庚申供養所願成就攸」の文字。右の背の高い角柱型庚申塔は他の庚申塔に比べて極めて新しい昭和34年(1959)の造立。上部に日月、基壇にデフォルメされた三猿が描かれている。

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その右にはもう一つ上部が欠けた板碑型の庚申塔。造立年は延宝4年(1676)10月。上部に日月、下部に三猿でその上に二鶏が陽刻されている。これも坂本村の講中によるものである。その右の板碑型庚申塔は寛文12年(1672)9月の造立でここでは二番目に古いもの。中央の膨らみはもともと三猿の陽刻だがかなり傷んでいる。その下にはうっすらと線刻の二鶏が見える。

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右列に移ると、一番奥(写真左)が駒型の庚申塔。元文5年(1740)正月の造立で、上部に日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が彫りこまれている。右側面には「奉供養庚申爲二世安樂也」とある。中央は板碑型の庚申塔。正保2年(1645)9月の造立でこれがこの庚申塚では最古のもの。台東区内でも最も古いものらしい。中央には「奉供養庚申」の文字がある。右は中折れしているが駒型の庚申塔で、延宝8年(1680)6月の造立。「奉寄進庚申待信心如意攸」の文字の下に三猿を陽刻する。これだけの庚申塔が揃うとなかなか壮観である。

場所  台東区下谷2丁目13-14

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2022年6月28日 (火)

五条天神社の庚申塔(台東区上野公園)

上野のお山の不忍池側の斜面に建つ五条天神社は伝説では景行天皇の御代(紀元110年頃)に日本武尊が上野山に創建したとなっている。寛永18年(1641)に菅原道真公を合祀、しかしすぐに寛永寺の創建により移転をし、昭和3年(1928)に現在地に落ち着いた。

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五条天神社には複数の庚申塔が祀られているらしく訪問したが、本殿右脇の奥にあり、その手前には立入禁止という大きな看板が立っていた。おそらくは物珍し感覚の外国人旅行者や、ポケモンGOで遊ぶ一部の非常識な輩に困って神社側が対応したものだろうと思うが、日本語で大きく書かれているということは後者が主因だろうか。あとはマッチングアプリでカメラ小僧が女子を撮影する場に使うとか、昨今撮り鉄問題と同じような問題が寺社仏閣をも襲っている。

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この立入禁止の看板の奥10m余りのところには4基の庚申塔が並んでいる。手前から、駒型の庚申塔で造立年は享保16年(1731)2月。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれており、青面金剛はショケラを下げている。資料によると文字は「願主 井桁屋弥兵衛  諸願成就庚申供養塔」とあるようだ。

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手前から2番目の駒型庚申塔は下部に三猿を陽刻したもの。「奉納御庚申諸願成就所」とあり、造立年は享保10年(1725)正月。手前から3番目も駒型の庚申塔で、元禄7年(1694)11月の造立。こちらには「奉待庚申諸願成就所」とある。奥のひときわ大きな庚申塔は板碑型で、慶安2年(1649)3月の造立と江戸時代の庚申塔としては相当古いものである。「奉信心庚申待生生加護不堕悪趣必定證得殊勝妙果処」と刻まれているらしい。

どうも俗に侵されて疲弊した都心の寺社を訪問すると哀しくなることが多いように感じる。文化財や歴史に対する一部の人間の身勝手な行動がしばしば問題になるが、そういう人間は長年の人類の歴史の中ではほぼ死罪になったと思われる。現代法が悪をはびこらせているというのは皮肉である。

場所  台東区上野公園4-17

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2022年6月27日 (月)

上野聖天島の庚申塔(台東区上野公園)

都民の憩いの場である不忍池、その真ん中に島があり、六角の弁天堂が目立っている。弁天堂の北側にひっそりとある小島が聖天島で、そこには庚申塔がある。訪問時は巳の日ではなかったため、中には入れなかったが遠目に庚申塔1基は確認できた。

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巳の日というのはカレンダーに書かれていないので困るのだが、月に2~3回訪れる。事前に調べて行かなかったことを後悔した。聖天島入口の鉄格子から左奥を覗くと上部が欠損した青面金剛像が見える。

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『台東区の庚申塔』によると舟型で上部欠損、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄。造立年は元禄3年(1690)2月である。「奉造立庚申供養二世安樂所」と刻まれているらしい。下部には10名ほどの施主願主名があるという。

また表から見えない場所に延宝8年(1680)4月造立の手水鉢があり、それには三猿が陽刻されているようだが、宿題になった。そして隣接する大黒天にあったらしい庚申塔も訪問時は見当たらなかった。どちらも要再訪である。

場所  台東区上野公園2-1

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2022年6月26日 (日)

足立二丁目の庚申塚(足立区足立)

住居表示は足立区足立だが、向にあるのが足立東プチテラスなので、足立東という地域があるのだろうか。1964年以降の住居表示は足立で、それまでは五反野南町、江戸時代末期から明治初期にかけてはどうやら弥五郎新田という地名だったらしい。この辺りは江戸時代の開墾地らしく、周辺には五兵衛新田、次郎左衛門新田などの小字があった。

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辻の角には3基の石仏がある。庚申塔が2基、巡拝塔が1基である。左端の角柱型の庚申塔には日月の下に「庚申塚」と彫りこまれている。もしかしたらこれは庚申塔の標識なのかもしれないが庚申塔として扱っておく。造立年は文久2年(1862)2月とある。中央にあるのが駒型の庚申塔。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が陽刻されており、主尊の左手にはショケラがある。造立年は寛政8年(1796)11月。台石には「庚申講中」と大きく書かれている。

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右端は駒型の巡拝塔で、羽黒山 湯殿山 月山の順礼を記念する供養塔である。また西国、秩父、坂東の巡拝供養塔も兼ねており、「先祖代々二世安樂」とある。造立年は天保8年(1837)9月で、三田金右衛門の願主名が刻まれている。 

場所  足立区足立2丁目36-4

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