2017年10月 4日 (水)

壱岐坂(本郷)

ぶった切られた坂である。 江戸時代からの壱岐坂は現在の細路地。 江戸時代は壱岐殿坂と呼ばれていた。 切絵図にも「イキトノサカ」と描かれている。 東洋学園大学の裏手に説明板がある。

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説明板には、「壱岐坂は御弓町へのぼる坂なり。彦坂壱岐守屋敷ありしゆへの名なりといふ。按に元和年中(1615~1623)の本郷の図を見るに、此坂の右の方に小笠原壱岐守下屋敷ありて吉祥寺に隣れり。おそらくは此小笠原よりおこりし名なるべし。」(改撰江戸志)と書かれている。

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壱岐坂通りを斜めに横切り、東洋学園大学本郷キャンパス裏へ道は続く。 小笠原壱岐守は唐津藩の藩主である。

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2015年1月12日 (月)

古地老稲荷神社

初夏に予定している長女の挙式の(親の)衣装合わせに八芳園へ行った帰りに、式場の玄関の隣にひっそりと稲荷神社があるのに気づいた。古地老稲荷という。

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全国のこういう小さな社には神主さんは居ないが、地元の人々が守り続けている。この稲荷神社もそうらしい。1830年頃の建立なのでまだ200年と若いが、江戸の大火、関東大震災、第二次大戦のすべての火を避けたという。またこの神社の縁日には必ず雨が降るという言い伝えもあるようだ。シロガネーゼには知られない白金台の歴史。

さすがに近代の神社だけあって秋祭りは9月1日の防災の日に合わせてあった。9月1日って関東大震災の日だったなあ。神奈川県相模湾沖を震源としたマグニチュード7.9の直下型地震。 かなりの確率で次が来そうだといわれるが、ここに居れば大丈夫かもしれない。

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2014年1月21日 (火)

地下化

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写真は東北沢駅のホームから下北沢駅方向を覗いたものです。 都市は徐々に進化します。鉄道や首都高速道路はいずれ地下化されていく運命にあるでしょう。

先日東北沢駅から環七まで歩くイベントがあり、ちょっくら参加してきたのですが、どうも地上にできた空間の利用方法が十分に決められていないことに驚きました。 工事については、http://www.shimochika-navi.com/02_now/index.html で細かに紹介していますが、地上空間の使い方を決めていないとは、やはり工事することが優先だったのでしょうね。

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複々線化されて輸送量が増え通勤通学が楽になるのはいいことですが、20年前と今とで電車が空いたかというとむしろ混雑は増えています。既存の鉄道を地下化しても輸送量は微増に過ぎないのでしょう。やはり新線が作られないとダメなんだなと実感します。

あと4年でこの地下区間は複々線化されます。そのころ自分はというとほぼ定年を迎えています。なので通勤に恩恵を受けることはないかもしれません。 残念ながら・・・

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2013年10月12日 (土)

新宿内藤町散歩

今日はメタボ対策散歩。新宿駅を中心に都会の喧騒を離れるコースを歩いた。スタートはJR南口。甲州街道の南側の人工地盤の新駅舎は骨組みがほぼ出来上がっていた。街の変化は速い。

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休日になると心なしか都会の空も澄んでいるような気がする。新宿は江戸時代は西の外れで江戸の外だったが、今では東京の中心のような存在感を持つ街に発展した。喧騒と言うよりも、騒音のデパート。

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新宿高校の手前に雷電稲荷がある。歴史上の力士雷電とは関係ない。800年前からの氏神で雷様信仰の神社らしいが、花園神社に合祀された話などもある。ちょうどここは玉川上水の流れていた場所なので、水害を収めるために建てられたのだろうと勝手に想像した。江戸時代は新宿という小さな宿場町の南側の田園地帯だったはずだから。

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新宿高校の頑丈な塀の内側には、かつての玉川上水の水道跡(岩を削って水路にした水道管)や橋の欄干が残されているが、一般人は塀の隙間から覗くだけ。その前には国道20号日本橋から8kmの道標。東京は電車で動くので距離感を失うが、歩けば2時間で東京駅にいけるというわけである。

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新宿御苑脇に出来た新宿御苑散策路は木陰が気持ちいい。かつての玉川上水を再現したと言う水路がついているが、かつての玉川上水は牛馬も流されるほどの川だったので、気持ちだけ感がある。太宰治も玉川上水に入水自殺したくらいなのだ。

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季節はちょうど銀杏の落ちる時節なので、気持ちのいい散策路だがいささか臭い。老夫婦が銀杏を拾っている。ホームレスと思しき男性がスダジイのどんぐりを拾い集めている。都心の里山の役割もありそうだ。水路の中には沢山の銀杏とシイの実が落ちているが、道には差ほどでもないので相当拾われているか、掃き捨てられたか。

大木戸門の前の区民センターには水道局が入っているが、ここにはいくつかの玉川上水の碑がある。それを眺めてから、かつて新宿御苑全体が御屋敷だった内藤家のエリアに踏み込む。多武峰内藤神社(とうのみねないとうじんじゃ)に御参りする。社務所の宮司さんと挨拶を交わして社殿へ向かった。

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御苑全体以上の屋敷を内藤家が得たのは徳川家からの褒美だった。家康から「その自慢の駿馬で一息に回れるだけの土地を与える」と言われ、愛馬は四ツ谷、千駄ヶ谷、大久保、代々木を一息で回り、ここで息絶えて死んだ。社殿のそばには移設されたものだがこの駿馬を祭る駿馬塚(しゅんめづか)がある。

また神社脇の小さな公園の片隅に「鉛筆の碑」があり、これは明治20年にここで三菱鉛筆の前身の真崎鉛筆製造所が鉛筆を作り始めた場所とある。動力として水車を利用したのだが、玉川上水の分水として流れていた渋谷川があり、その流れを使って水車を回していた。その渋谷川の名残が今も外苑西通りの交番脇にある。

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新宿御苑の東の端からもこの渋谷川跡は見られるのだが、外苑西通りにぶつかると川は南へと流れを変える。まさにその川を埋め立てた場所に交番がある。ところが2年前には無かった欄干が出来ていたのにがっかりした。

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次の写真はちょっと角度が違うが、2年前に同じ場所で撮影したもの。季節は冬だが、石の欄干だけである。

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このままで良かったのに誰かが2m下の段差に落ちて、つまらん対応をしたのだろう。なんとも勿体無い話である。

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中央線総武線をくぐると明治公園、国立競技場である。なんだか自転車競技のヘルメットのような競技場に建替えようとしているが、無駄そのものだと思う。このまま補修拡張でいい。このエリアに奇を衒ったデザインの建築は似合わないし、税金の無駄遣いである。

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ホープ軒でラーメンを食べようと思ったら満席だった。いかん、ダイエットで散歩しているのにそんなこってりラーメンを食ってはいかん。踏みとどまって裏手の瑞円寺へ入る。静かな境内には誰もいなかった。なかなかいい庭だ。

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代々木方面に少し行ったところにこのあたりの鎮守、鳩森八幡がある。ここは富士塚で有名。数Mの高さだが意外と険しい。お年寄りにはきつい。あちこちに富士塚があり、富士講なる江戸時代の習慣の名残があるが、ここは東京でももっとも古い富士塚とされている。てっぺん付近のみ本物の富士山の溶岩で出来ている。

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さて今日の最後はちょっとマニアックな史跡。写真の欄干は明治時代に明治神宮と神宮外苑が繋がっていたころの馬車道の欄干である。中央線沿いに首都高速が走りその下が駐車場になっているが、それとほぼ同じ場所に馬車道があり、皇族や近衛兵が通っていた。

実は都心から明治神宮まで、天皇家の土地だけで往来できたことになる。東京が現代でも緑の都会を維持していられるのは、明治時代の皇室のおかげなのだと言うことが垣間見えるが、10年後にもあるかどうかはわからない。

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散歩も終わり代々木駅に向かって埼京線の踏切を渡る。都会の雑踏である。

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2013年2月14日 (木)

もじゃハウス

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くもじぃが出てくる番組『空から日本を見てみよう』でたまに出てくるもじゃハウス。 これはサザンオールスターズのアルバムでも有名なキラーストリートのビクタースタジオ手前にあるもじゃハウス。

都心の一等地にこういうのがあるととてもうれしいのであ~る。かつてはキャットストリートを流れる渋谷川の上流だった場所だ。

あ~ひさしぶりにブログを書いた。Facebookに押されているが、これはこれで十分存在意義があるので、もっと書こう。

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2012年3月26日 (月)

梅と河津桜のこと

日曜日は馬事公苑を散歩した。 土曜日の雨のせいでいつもの日曜日よりも混雑していた。 馬事公苑の南端の方に行くと梅園がある。 白梅紅梅が花のピークを迎えていた。
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白梅に比べて紅梅は周りの色とのコントラストが効いて目立っていた。 多くの人がカメラを構えている(自分もだが)。 高価なカメラの老人がいれば、携帯で撮影している人もいる。 それぞれが花を愉しんでいるのは悪くない。

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一方の白梅は淡いピンク色が魅力。 桜が束になって咲くのに対して、梅は連なって咲く感じが梅らしい。

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ソメイヨシノはまだまだだが、河津桜はもう五分咲き。 河津桜が今の時期にこれくらいというのは1週間は遅い気がする。 この分だとソメイヨシノは4月第2週くらいからかもしれないな。 もうすぐ暖かくなるぞ。

虫が飛んで毛鉤の季節がやってくる。

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2011年12月26日 (月)

北の丸公園散歩のこと

日曜日は都心散歩。今回は北の丸公園。といってもピンとこないが、武道館といえば誰もがわかる場所。スタートは東西線の竹橋駅。美術館、公文書館前を通り抜けると北の丸公園に入る。首都高の出入り口がいくつもある。

都会の真ん中だが、いったん公園内に入ると車の騒音は遥かかなたに聞こえるくらいになる。不思議なものだ。

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公園の池の上流には素敵な流れが作られている。黄色く敷き詰められた落葉はコナラの葉。流れのところどころに黄葉が溜まっているのもいい。

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モミジの林ではきれいに紅葉の絨毯が広がっていて、寝転がりたい気分になる。

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流れをたどって上って行くと小さな滝がある。当然ながら人工の滝である。それでも林が豊な植生なので雰囲気はとてもいい。

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滝の周辺は気温が低いせいか今頃になって紅葉が紅く色づいている。本当は定点で毎日眺めて、その変化に季節の移ろいを感じるのが風情があるのだが、都会の生活ではなかなか思うようにならない。

九段下へ出ようと武道館に近寄ると数千人はいようかという若者の群れ。UVERworldのライブに並んでいるのだが大半が十代の娘たち。その若者たちを見下ろすように、銀杏の古木がそびえている。

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北の丸ではもっとも大きな銀杏の樹は年の瀬に向けて若者の熱気を吸い、さらに寿命を延ばすように見えた。

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2011年12月25日 (日)

善福寺の銀杏のこと

六本木ヒルズから回遊できることからここ数年賑わいを見せる麻布十番。 その奥まった一角に善福寺がある。同名の寺社は全国にあるが、この麻布山善福寺は知名度が高い。参道を進むと右手に清水が湧いている。

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柳の井戸とある。弘法大師の杖が水を呼び出したとあるが、全国にあるパターン。しかしおいしそうな水が水量は少ないものの絶えず湧出している。関東大震災や戦時中には周辺住民の飲み水となった。

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山門の背後に末端肥大症のマンション(元麻布ヒルズのタワー)が見えていて時代がミックスした感じがするが、門の左側に枝を広げているのがお目当ての銀杏。

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推定樹齢は700年(鎌倉末期)、樹高は低いものの幹周りは10mを超える堂々とした大銀杏である。東京都では最大の銀杏の木。空襲でいったんは焼けたと思われたが樹勢を復活し今に至るという。

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銀杏の古木によく見られる乳根(チチネ)がすごい。逆さ銀杏といわれる所以だが、このイチョウが弘法大師の杖が伸びたといわれるのも何となくイメージできる。

実は善福寺にはかつての部下が眠っている。彼は40代半ばにして白血病でこの世を去ってしまった薩摩隼人。男気の強い面倒見のいいすばらしい男だった。天は気まぐれなものだ。またお参りに行こう。

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2011年11月26日 (土)

新宿十二社のこと

20日の日曜日の散歩は新宿界隈だった。毎日働きに行っている街だが休日はまた違った顔があって楽しめるから面白い。今回は参宮橋駅で降りて北参道を北上し新宿十二社(じゅうにそう)を散歩。それはどこだ?というと初台と新宿の間、西口の中央公園の西側にあたる地域で、以前は角筈(つのはず)と呼ばれた。公園から東の高層ビルエリアの旧名は淀橋で、ヨドバシカメラの由来でもある。

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西参道が甲州街道を渡ると十二社通りと名を変える。ここまでは渋谷区である。この北側に環七から直線で水道道路が通っていてその北側が窪地になっている。今の街区で言うと西新宿4丁目にあたる地域だ。ここにはかつて大池があった。周囲には料亭や芸者街が立ち並ぶ十二社花街として賑わっていた。実際に歩いてみると土地の記憶を読み取ることができる。

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中層マンションの裏手にいかにも料亭っぽい家屋があった。灯篭や信楽焼の狸の置物が玄関にあって風情をかもし出していたので撮影したが、あとで調べたらかつて一松という料亭であったことがわかった。

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そこから少し北上するとこのあたりで一番有名な福助という蕎麦屋がある。この蕎麦屋の脇、マンションとの隙間に銀杏の巨木が残っている。かつてはこの蕎麦屋の裏側までが大池で、小船を浮かべた江戸っ子達が芸者と釣りを楽しんだりしていたという。

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古い旅館が残っていた。一直旅館といって観光旅館だけでなくビジネスユースでも使われているらしい。池の西側にあったためか坂の途中に位置している。この辺りの路地ではいまでも三世代同居があるようで、おばあさんが孫を遊ばせていたりして、往年の雰囲気を残していたのが嬉しかった。

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写真はかつての角筈村の風景で、熊野神社の境内にあったもの。これが江戸時代の新宿の風景。室町時代に鈴木九郎という有力者が紀州和歌山から熊野権現を移し祭ったといわれていて江戸時代は新宿地域の総鎮守だったようだ。

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神社にはいくつも祠があり、狛犬と狐様が並んでいたり鯉塚と弁天があったりする。何となく神様のデパートみたいだと思ったのはバチ当たりだろうか。鳥居の前からは神社の後方に高層ビルが並んでいたりして、時代が折り重なっているような錯覚に捕らわれる。なかなか楽しい神社だった。

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2011年11月25日 (金)

都内も黄葉はじまるのこと

都内にも秋がやってきた。最近の秋は以前よりも短くなった気がする。10月までは汗ばむような陽気だったのが11月になると急に冬めいてくる。気候が変わったのか、体感が変わったのかはわからないが、のんびり秋を楽しめなくなった。

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23日の祝日に都心を散歩した。 平日はビジネスマンやOLで賑わう日比谷公園だが、休日も多くの人が訪れて賑わっている。私と同じように観光地へ出かけるのをやめて都心を選択した人も多いのだろう。日比谷公園は1903年の開園だからもう110年も前になる。この公園の真ん中あたり「松本楼」というレストラン脇に銀杏の巨木がある。「首かけいちょう」と呼ばれている。

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樹齢400年、幹周り6.5mとあるが、実寸以上のオーラがある。この銀杏は1600年以前に徳川家康が江戸幕府を開く前に植えられたと伝えられている。もともともっと日比谷通り側にあったのだが、300歳のころ、1901年に日比谷通り拡幅の際に倒されることになった。しかし公園を設計した本田静六という博士が首を懸けても移植すると主張しこの場所に25日かけ、450mを移動したらしい。静六さん、なかなかいいことをする。樹勢もありまだまだ100年以上がんばりそうだ。この銀杏のおかげか、松本楼は店の外にも数十人が列をなすほど盛況だった。

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