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2024年9月11日 (水)

PLAさんと秋のホームリバー

今年もまた6月に続いて、9月の山形朝日山系のホームリバーに向かう。朝7時に寒河江のとある駐車場に車をデポして、PLAさんの車で渓流に向かう。PLAさんの車は3代目プリウスだが、10年をはるかに超えたとは思えないほど、足回りのへたりもなく、乗り心地もいい。駆動バッテリーさえもては20年は楽に性能を維持できるのではないかと思う。車内でいろいろ話しながら釣り場に向かうのは楽しい。1時間余りでホームリバーに到着し、いつもの場所で入渓する。

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PLAさんが水温を測る。15度~16度くらいらしい。この時期の水温としてはわずかに高めだが、何しろ9月中旬なのに今日は猛暑日直前の34度の予報。しかし到着時は川面に川霧が立っていた。まだ山の気温は低いのである。いつも最初に岩魚が反応するポイントよりも手前の流れで早速一尾目が毛ばりにかかってくれた。

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20㎝あるかないかという若い岩魚であるが、いつものポイントよりも手前で出たことで期待感は膨らむ。しかし9月のこの時期に反応がいいことはまずない。案の定、いつものポイントでは反応がなかった。岩魚がいることは間違いないのだが、毛ばりに反応しない岩魚がほとんどなのである。

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PLAさんは新しく手に入れたモンベルのベストを試している。私も今年はモンベルの釣り用のザック付きベストを試している。感想としてはやはり慣れたベストが一番である。四半世紀使ってきたSIMMSのベストは無意識にそれぞれのタックルに手が伸びる。おそらくベストを変えると10回くらい釣行しないとなじまないのではないだろうか。

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しばらく釣りあがったところで私の毛鉤に良型の山女魚が飛び出した。岩魚だらけの沢ででる山女魚はなぜかうれしい。ついPLAさんに見せに行く。これくらいの山女魚が渓流魚のなかでは一番美味しい。ただし塩焼きにしたらという条件だが。見た瞬間に美味そうと思ってしまった。私はここ30年キャッチ&リリースを通しているのだが、それでもそう思わせる山女魚は大したものである。

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顔つきからするとオスの山女魚である。過去調べてみると、私がこの川で山女魚を釣ったのは2011年だったから13年ぶりの山女魚である(もちろん他の川では釣っている)。その翌年の2012年には同じくこの川でイワメ(岩魚と山女魚の交雑種)を釣っている。山女魚の数が極めて少ないので、岩魚と交雑するのだろう。しかし交雑種はF1と言ってその世代で終わりである。子孫を増やす能力はない。

今年はこれで最後の釣行になるが、いつもながら楽しい釣行をさせてくれるPLAさんに感謝である。

朝日山系の沢にて

2024年9月10日 (火)

3年ぶりの置賜の沢

久しぶりに置賜の子の沢を目指した。ここ数年、来ると先行者が入っていたりして、なかなか竿を出せなかった。今回は先行者はいなかったので入渓することにした。

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数年前からスマホの入漁券サイトを使っている。岩魚目的の釣りでは山里に入ってから判断するため、まずは状況を見てから釣り券を買いたい。電波が入るギリギリのところで判断してアプリで購入する。私は「つりチケ」というアプリと「FISHPASS」というアプリを使っているが、それぞれ提携漁協が異なるところもある。西置賜漁協はどちらもOKだった。本当に便利になったものである。

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入渓してみるとこれが過去一番の渇水。最深部でも15㎝~20㎝ほどしかないので、岩魚の付き場がない。少し凹んだ流れを見つけては拾い釣りする。ようやく出てくれたのが、写真の岩魚で24㎝程のまずまずの型。

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出たのは笹の覆いかぶさる隅っこの流れ。渇水時はこんなところに潜んでいることが多い。深さは10㎝ほどしかないが、際をそっと流すと矢印の先辺りで毛ばりに食いついてくれた。ありがたい。9月の渓流はなかなか釣れない。大体旧盆を過ぎるころから急に渋くなる。岩魚のシーズンは雪解け水の落ち着く6月から旧盆までだが、梅雨明けから盆前まではアブがうるさくて苦手である。必年夏前と秋前の釣行になる。

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3時間ほどの釣りでちゃんと掛けたのは3尾。やはり厳しい釣りである。この沢では何度か尺上も釣った。爆釣もした。しかし釣りの相手は自然だからいつも上手くいくわけではない。7月の山形豪雨やその前の大雨で沢沿いの林道は廃道になっていた。護岸や橋はことごとく破壊されていた。こうなると復旧はしない可能性のほうが高い。林道を下りきることには下半身にはヌスビトハギの種がびっしりくっ付いていた。

場所 最上白川水系のとある沢

2023年9月18日 (月)

三陸を訪ねて(気仙川・閉伊川水系)

琥珀さんの誘いで岩手県に釣りに行くことになった。秋の連休は釣りとしては極めて難しいシーズン末期だが、会いたい人もいる。朝6時の待ち合わせだったが琥珀さんは30分以上も早く来ていた。千葉から世田谷まで来ていただけることには頭が下がる。琥珀さんのアウトバックで常磐自動車道を北上、仙台を過ぎて三陸自動車道に入ると無料区間になる。高速道路ではなく高規格道路だがこの日本で最も硬い地盤をくり抜いて10年で道を通したのは凄い事である。

三陸鉄道リアス線の始発駅盛駅前にある「こけし」という中華屋さんでランチを取る。五目ラーメンを頼んだが素朴な味付けのボリューミーな一杯だった。

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その後入渓点を探すが、なかなかいい場所が見つからない。本流にはまだ鮎釣りの釣り人が居る。支流の坂本川の上流に向かい、蓬畑沢という小さな沢に入る。坂本川自体が気仙川の支流だが、流れの左右は葦でびっしりでとても釣りができない。仕方なく細沢の蓬畑沢に入る。小さな山女魚が出るが、今年生まれの山女魚ばかりである。仕方なく沢を探し、少し下流の新切川に入ってみたがどうも工事の濁りらしい流れになって来たのであきらめて脱渓。

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何とか中型の山女魚が出てくれたのは気仙川本流の上流、五葉地区の幅広い流れの中であった。ここでは何尾か掛けることができて楽しめた。上流には知る人ぞ知る滝観洞(ろうかんどう)という鍾乳洞がある。ただもう日が傾いてきたので、ここで今日(16日)の釣りは終わりにした。

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夕方暗くなってから陸前高田の鶴亀鮨を訪ねる。生憎貸切だったが、大将の阿部さんと後継ぎの息子さんがカウンターでならと迎えてくれた。ちょうどこの日のこの時間は日テレの『青空レストラン』という番組で陸前高田のイシカゲ貝を特集しており、大将の阿部さんが出演。それを本人と一緒に見て盛り上がることが出来た。

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翌日は閉伊川水系へ回る。小国川の上流で3年ぶりのフライフィッシング。良型の岩魚が飛び出したが、テンカラと違ってなかなか合わせが上手くいかない。テンカラなら確実にフッキングしているはずなのにすっぽ抜けてしまうのでストレスがたまった。琥珀さんは中型をいくつか掛けながら小黒の滝の深みを探っていたが出なかった。

この後、閉伊川の本流に下って、ダウンストリームのフライフィッシングを体験した。コツンとアタリがあると釣れているのだが、なかなか型が出ない。アタリのあと上げてみるとティペットが切れている。後でわかったのだが、この釣りは1号以上の糸を使わないとダメなんだそうで、私はずっと0.6号を使っていたから切れたようだ。

この夜は遠野のキャビンで宿泊し、翌日ひたすら南下して東京に帰った。琥珀さんには感謝である。

2023年9月16日~17日(アップロードまで日数がたってしまったのはものぐさのせいです(^-^;)

2023年6月14日 (水)

二日目の朝(山形県朝日山系)

同行予定のPLAさんが如何様にもし難き理由の為、一緒に釣りに行けなくなってしまった。予定の渓は一人で行くには天候もよくないし、いささかきついので、昨日のホームリバーの下流をやることにした。案の定朝から雨が少し降っている。増水するほどではないのが不幸中の幸い。

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河原の石は水にぬれていて、まだ一部雪代のぬめりが残っているので滑るから、足腰の弱ったじいさんは気を付けて歩かねばならない。いやはや倒木を越えるのに足が上がらず一苦労する年齢になってしまった。肝心要の岩魚は出るには出るのだが、下流は型が小さい。20㎝を超えるものがたまにしか出ない。

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それでも1時間半ほど釣り上った深瀬で良型の岩魚が反応してくれた。毛鉤をしゃくるように食ったが、しっかり口の脇に掛かっていたので、楽に取り込めた。少し脇の方で写真を撮り、流れの近くでiPhoneを動画にして、miyagikebariの小田さん風にリリースして離れていく様子を撮ろうとしたが、操作に手間取っているうちに岩魚はバシャバシャと行ってしまわれた。やはり動画は難しい。じいさんは集中力が落ちると怪我をしかねないので、今日も1時間半ほどで切上げることにした。とはいえいつもなら2時間以上かかるところを意外なハイペースだったようだ。

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今回は新しい車である。ナンバーは相変わらず・187。前のフィットシャトルHVが11年でボチボチ傷みが出て来たので、奮発してノアHVにした。1年以上納車待ちを覚悟したが、上級グレードにしなかったのが良かったのか8ヶ月で納車になった。今回の山形釣行+往復の燃費はWLTC超えの23㎞/L台で前のフィットよりも少しいい。中でゆったり車中泊が出来るし、自動運転はめちゃくちゃ楽である。途中豪雨になったりしたが、自動運転だとトラックに水を思いっきりかけられてもちゃんと運転してくれるからありがたい。お金がないので、話題になっているオプションは全くつけていないが、十分に満足できる車である。

令和5年(2013)6月14日  山形県K川

今年の初釣行(山形県朝日山系)

今年もおっとり刀で6月の半ばになる今頃に初釣行に出かけた。先週の天気予報では雨は降らない感じだったのだが、近づくにつれて雨予報になってきた。それでも少しくらいの降雨は活性が上がって良い。朝出発して、釣り場に到着したのは正午過ぎ。雨が降っている。山形市や寒河江市は降っていなかったのに、山奥に入るとかなりの降雨である。

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濁りも入ってきた。竿を出そうかどうしようかしばし上流の橋の脇に出来た新しい駐車スペースで考える。まずは昼飯を食べよう。買ってきたコンビニのおにぎりを食べて雨が止むのを待った。濁りはこれ以上悪くならず、水量も少しだけ減って来たので、1時間半後に入渓した。いやはや水量が多くて歩きにくい。

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それでも20㎝クラスの岩魚が15分に1尾ペースで毛鉤に食いついてくれる。雨上がりで川霧のような状態になる。川の脇の濡れた石から水が蒸発しているのだろうか。もわっとした空気になって、自分が虫だったらハッチを始めそうな状態になってきた。これは釣れるぞと集中した。それでも3割はバラしてしまう。

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1時間ほど釣り上ったところで今日一番の岩魚が出てくれた。25㎝くらいある。30㎝程の深さの岩の脇にいた。私の釣りはテンカラなので、大きなポイントは釣らない。だからなかなか大物は掛からない。気が付けば2時間で8尾ほど掛けた。バラシを足せば軽くツ抜けである(と自分に甘い)。

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やはり岩魚釣りはタニウツギの季節がいい。ダイモンジソウの晩夏もいいのだが、岩魚はとても狡猾になりなかなか毛鉤に反応しなくなる。梅雨入り時期のタニウツギが咲くころが釣果が良かったことが多いように思う。

釣行  令和5年(2023)6月13日 火曜日  山形K川

2022年9月17日 (土)

宗匠とのホームリバー2022年秋

置賜の渓で釣った夜は寒河江の最上川河畔にあるビジネスホテルに宿泊。ほぼ定宿として、毎年使わせてもらっている。隣接する立寄り温泉がタダで入れるので満足度は高い。この週末は寒河江市内は稲荷神社の寒河江まつり。宗匠宅の前も御輿で通行止めになるらしい。そんな祭りの日に宗匠を連れ出してしまい頭が下がる。朝7時半にホテルの駐車場で待ち合わせ、PLAさん(宗匠)の車でホームリバーへ向かう。今年はあちこちで通行止めで、国道121号(大峠)も今年は通れない。心配したが、途中の道は通行止めなく渓に到着した。

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前回中流が荒れていたので下流に入ることにした。運良く先行者はいないようだ。今日は土曜日なので先行者がいて竿抜けを釣ることを想定していたのでほっとした。水量は平水である。PLAさんとはいつものように数ポイント毛鉤を投じると交代するという阿吽の呼吸で釣り上れる。とてもリラックスして釣行できるのである。

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PLAさんが最初の岩魚を釣った後、私も小型の岩魚を掛けた。もっと大きいのおいでおいでと渓を進むとやっと20㎝程の岩魚が出てきてくれた。このホームリバーは10㎝ほどのチビ岩魚から尺前後まで多彩なサイズが釣れる。尺を越えることは極めてまれだが、昔は下流に孵化場があったので、山女魚も出たが近年は孵化場がやっていないので岩魚だけになった。イワメ(岩魚と山女魚の交配種)を釣ったこともある。

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途中でコーヒータイム。茶道の宗匠なのに渓ではコーヒーを飲む。PLAさんはバーナーとコッヘルをいつも持参してくれて、この時間がある。昔はそうめんを茹でて食べたものだが(それがそうめにすと倶楽部の由来)、さすがに今はそうめんまではやらない。休憩は釣りに迷いがあるときも良い回復のきっかけになる。

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ボチボチ釣れるがあまり良い型が出ないのが不満。まあ釣り人も多い渓流なので、あまり贅沢は言えない。それでも毎年岩魚が出てくれることが何よりうれしい。のんびり釣っているので2時間経ってもまだ1.5㎞ほどしか進んでいない。そんな釣りが良いのである。

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流石にホームリバーも大雨のせいか倒木が目立つ。じいさんはこうやって落ちないように倒木を跨いで越えていく。下をくぐるのは腰が痛いのでこっちの方が楽なのである。こっちにも向こうにも足がつかないお馬さん状態の時にPLAさんに撮られてしまった。

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ボチボチと岩魚が相手をしてくれてとても満足な時間を過ごすことが出来た。以前のように毎回ツ抜けというわけにはいかないが、釣っている距離も以前より短くなったので仕方ないのかもしれない。

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渓流脇のツリフネソウはもう花が落ち始めていた。秋のダイモンジソウが流れの傍で可憐に咲いていた。9月の渓流はアブもいないし、ブヨもいない。おまけに渓を吹き抜ける風も涼しいので、釣っていてとても心地よい。東北の山岳渓流の釣りの時期は年間で3~4か月と短い。6月が雪解け、7月が夏、8月が晩夏、9月が秋という感じで季節が過ぎていく。来月になれば渓魚の産卵も始まる。また来年も楽しみたい。PLAさんに感謝である。

2022年9月17日 寒河江川水系T川支流K川

2022年9月16日 (金)

秋の置賜の渓

今年2回目の山形釣行はいつも通り置賜の渓を訪ねた。馴染みの沢もさすがに秋になれば前回のような銀座状態ではないだろう。ところが沢の入口に車が止まっている。釣り人かきのこ人かは分からない。釣り人だったらという想定で、荒れた林道に入る。邪魔しないように上流にまわって釣ろうという考えだった。かろうじて車の走行が可能な林道を数百m進むと釣り人のものらしき他県ナンバーの車が道路を塞ぐように駐車している。進退窮まる。止む無く幅員2~3mの酷な林道をバックで戻るしかなく、15分ほどかけて慎重にバックで林道を戻った。人間としてやってはいけないことは人の少ない場所でもやってはいけないと思う。すれ違えない林道に駐車するのは片側1車線の高速道路上で駐車するよりも質が悪い。仕方なく前回寒河江の宗匠と訪れた沢に転進する。

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林道も沢もかなり荒れていた。広葉樹のしっかりしたところは安定している。広めのスペースに駐車して入渓。水温を測ると15.4度もある。秋のこの時期にしては高い。活性はありそうだが、この渓の荒れ方では一抹の不安もあった。

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心配していたが間もなく1尾目が毛鉤に食らいついてくれた。20㎝程の小さめの岩魚だが1尾目は嬉しい。毛鉤はエルクヘアカディスを8割、黒いパラシュートを2割程度で使い分けるが、最近はほぼエルクヘアカディスで釣っている。まず、浮きやすい。視認性が良い。おそらく岩魚からも視認性が良い。もっと渋くなると毛鉤を変えることもあるが、最近はこれで何とかなっている。もともとものぐさなのである。

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2尾釣ったところで昼飯にする。簡単にコンビニのシャケおにぎりで済ませる。ラーメンやそうめんを作ったりするのもまた楽しいが、荷物が増えるので単独はこれで充分である。台風14号(ナンマドル)が九州まで来ているが、東北地方は好天である。気持ちのいい渓流で食べるとなんでも美味い。

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胃袋を少し満たしてから再び釣り始める。ただ川床は荒れ果てている。岩魚の居着けるポイントがない。数百m瓦礫のようなチャラ瀬が続く。もともとこの区間は魚影の濃いところではないから、そういう瀬には一切岩魚は着いていない。拾い釣りをするように、30㎝以上の深い場所を探して渓を歩き続ける。今年の置賜の線状降水帯による大雨が渓をここまで荒らしているのであるが、それでも岩魚は残っているところが何よりもうれしい。2時間半ほどの釣りで岩魚は5尾掛かってくれた。

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2.5㎞ほど釣り上ったところで前回と同じ場所で脱渓した。傍の林道の護岸が破壊されて大きく削り取られている。ここまでの標高差は40mほどで、比較的落差の少ない区間なので荒れてしまったのかと思った。ちょうどその時地元のトレイルバイクライダーが下ってきた。上流で釣りをしていたという。上流はもっと荒れていて釣果もよくないと言っていた。渓流は大雨で壊れては再生する。川とはそういうものだといつもながら思う。

2022年9月16日 置賜S川支流H川水系H沢

2022年6月22日 (水)

渓流銀座にアタフタ

令和4年6月22日、山形の2日目もPLAさんがお付き合い下さることになった。といっても本来はこの日がメイン。行きつけの良型の出る沢を目指して2時間のドライブ。今回はPLAさんの車で、まるで運転手付きの豪華釣り旅。期待を膨らませて沢の入口に到着するといつもの駐車スペースに1台止まっている。その少し先にももう1台。じゃあ少し上に行ってみようと林道を進むとまた1台あり、計3台。こんなことはいまだかつてなかった沢である。「釣り雑誌に載ったんじゃないの?」と思ったが、近年釣り雑誌は買っていない。もとは載ってしまうとしばらくそこにはいかないようにするために読んでいたが、最近は小さい字を読むのが難しくなった。(単なるジジイである)

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仕方なく他の沢に転戦。この沢は上流は釣ったことがあるが、中流域は未釣である。果たして岩魚は出るのやら出ないのやら、期待半分に林道を進むと、ここにも初っ端から先行者の車が止まっている。「今日は平日だよなあ」と口から文句がこぼれる。土曜でも山形の沢ではそんなには釣り人はいない(有名河川を除く)。やむを得ずある程度上流まで行って釣り始める。それでも以前に釣った所より数km下流で未釣区間である。

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暫く反応がなくこれはダメかと思った頃に、PLAさんが良型を掛けた。これで俄然やる気がわいてくる。しかしその直後に私が5寸ばかりのチビ岩魚を釣ったあとは反応がぴたりと止まった。1時間釣り上がってもまだ反応がない。だんだんとやる気が蒸気のように消えていく。

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こういう時は一息入れるに限る。それを察したのかPLAさんも「お茶にしましょう」と休憩を呼び掛けた。PLAさんはバーナーを持参してくれ、コーヒーを淹れる。インスタントだが渓で飲むと誠に美味しい。しかし、休憩も効果なく、そのあとも暫く反応がない。やむを得ず昼食をとることにした。何となく暗いランチタイムである。

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暫くポツポツとしか釣れなかったが入渓して4時間位した頃からようやく毛鉤に反応し始めた。私はここぞとばかりに釣欲を出して釣り上る。PLAさんは途中から接待モードにシフトチェンジしてしまった。

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フトコロ(深さ)のあるポイントでようやく重さを感じる1尾を掛けた。接待モードのPLAさんに「大きいのが出たら俄然やる気が出るでしょう」なんて言ってみたが、先日テンカラ大王様との釣行もしたからか、PLAさんは余裕しゃくしゃくの接待モードのままである。

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「あれ?PLAさん、釣らないの?」と聞くと、「遠路はるばるの釣り人への接待です」と余裕。おかげさまで随分と最後は楽しませていただきました。

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思い起こしてみると、最初にPLAさんと釣行したのは1997年である。もう25年も経つのか・・・とつくづく思う。お互い髪は白くなり、PLAさんの場合ヒゲも白くなり、渓流歩きもヨタヨタとし始めたが、出来るところまで釣りをしていたいと心から思うのであった。脱渓して車に戻る間、今日の釣行だけでなく、これまでの何度となく訪れた釣り場の一つ一つが忘れられないものになっているのを感じた。

2022年6月22日  山形県飯豊山系H沢

2022年6月21日 (火)

令和4年のホームリバー

今年も山形へ釣行できた。こうして毎年釣り旅ができるのは幸せなことである。長年の釣友PLAさんとの待ち合わせはお昼なので、早朝(といっても6時頃)自宅を出発した。東北自動車道は栃木に入ると雨が落ちてきた。この時期の北上は100㎞も走ると天候が変わるので面白い。案の定福島県に入ると空が明るくなり晴れ間も出てきた。休み休み走り、寒河江に到着したのは正午あたり。PLAさんをピックアップしてホームリバーへ向かう。

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少し下流に入ろうと相談していたが、目的の場所には釣り人の車が止まっていた。少し上流にフライフィッシャーがいる。邪魔しないように中流のいつもの入渓点に向かう。お決まりの駐車スペースは空いていた。早速準備して釣行開始。この場所の流れは多少例年と変わっていた。林道側の水流が無くなっていたのである。

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間もなくPLAさんが良型を掛けた。この川のアベレージサイズである。しかし何故かこれより大きな岩魚はあまり出ない。ただ沢山釣れるときとあまり釣れない時があるものの、裏切られたことは記憶にない川なので今でもホームリバーと呼んでいる。

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私にも少し小さいが近いサイズが出てくれた。とりあえず早い時間にボウズを免れるのは気持ちのいいものである。時には全く釣れずに、最後にようやく少しの釣果ということもある。岩魚の身体の模様は魅力的である。個体個体で微妙に異なるし、川によっても若干違う。

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PLAさんが仕掛けを取り換えている隙間に私が良型を掛けた。「油断すると釣り人爺爺は容赦ないなあ」とPLAさん。それでも阿吽の呼吸でポイントを交互に譲り合いながらの釣りは気持ちがいい。

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この梅雨の時期には東北の渓流ではタニウツギが全盛期である。もう少し早いとツツジや他の花が咲いているのだが、何しろその時期は雪代が出ていて釣りにならない。6月に入ってからが解禁みたいなものである。それでも焦って早めに入渓すると雪代のぬめりに転倒してしまったりしたものである。午後からの釣りであったがとても楽しめた。

PLAさん、ありがとうございました。

2022年6月21日  山形県朝日山系K川

2021年9月 5日 (日)

'21年山形釣行~秋~

9月3日~4日、今年2回目の山形釣行に出かけた。いつもと違うのは車ではなく新幹線で向かったこと。確かに車で往復すると便利だが、一方で高速料金の高さには辟易する。山形片道で1万円弱、かつ昨今のガソリン高値でハイブリッド車でも釣り場までのガス代は4,000円。それに対して新幹線は早割を使うと5600円ほどで済む。このコスパには勝てない。

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山形新幹線は福島までは時速270㎞/hで走行するが、福島でやまびこを切り離してからはほぼ在来線速度で走る。その為福島米沢間が特に時間がかかるが、渓谷を時折覗いたり、山の緑を眺めたりして走るのでむしろ楽しい。山形駅までおよそ3時間の旅である。

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山形駅の駅レンタカーで車を借りる。これも大人の休日倶楽部割引を使ったが借りたのが安いSクラスなのになぜか日産ノートの4WD。旧型だが、2日間の燃費は22㎞/hとハイブリット並みだった。午後になったがホームリバーの下流に入る。水量はやや多め。入渓して間もなくこれまでほとんど反応したことがないポイントに一応毛鉤を落としたら「パクッ」と20㎝程の岩魚が食いついた。予定していなかったのでタモを手繰っているうちに足元でバラしてしまった。

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ア~~~ッ、やっちまったと後悔するがその後数百mはまるで反応なし。そして大岩のあるポイント(ここは必ずいる)に毛鉤を落とすと、今度は予定通りさらに少し大きめの岩魚が掛かった。しかし大岩の外を巻いて寄せるうちにまた逃げられてしまった。どうも食いが浅い。結局岩魚の写真は撮れず、2時間ほどの釣りで無念の脱渓となった。

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翌日は朝7時にPLAさんと待ち合わせてホームリバーへ向かう。国道から釣り場への道へ入ると急に雨が強くなった。釣り場についた頃にはかなりの雨になっていた。本流は上の写真とさらに上の同じ場所の写真を比べても、前日の5割増しくらいだったろうか。ただ私たちは沢の方がいいだろうと沢に入っていった。

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雨が少し小ぶりになったのを見計らって入渓する。PLAさんが竿を出すも濁りが入ってきて魚の反応も皆無。この時点でこの沢の平水の倍くらいありそうな状況。

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私も毛鉤を投じてみるが徐々に水量が増えてくる。「こりゃだめだ」と二人で脱渓を決め、少しだけ藪をこいて林道に上がった。沢の水位は釣り始めから15分ほどで数㎝は上昇したような気がする。「まあこういう日もありますね」と素直に竿を畳んだ。また来年来いと山が言っているようだった。

2021年9月3日~9月4日

 

1998年6月12日 (金)

置賜地方の渓で釣る・広河原川

郁楓庵での翌朝7時、得さんと朝霧さんにたたき起こされる。前日夜通し走って釣り場へ向かいそのまま釣りをしたので、睡眠は完全に不足しているが、そこは釣り師の性。釣り場が待っている、岩魚が招いてると言わんばかりに元気になる。途中、上ノ山のドライブインで朝食をとる。これが素朴で最高の朝飯だった。併設の果実販売所でさくらんぼを買う。佐藤錦が有名なので4パック買うと1パックサービスしてくれた。朝霧さんが食堂に帽子を忘れてしまったが、車に戻るとサイドミラーに何気なく掛けてある。心遣いがうれしい。 山形で立ち寄った店の多くは、素朴な人柄がにじみ出るような人ばかりである。日本も捨てたものじゃない、というより、日本って良い国だなぁと思ってしまうことの繰り返しであった。川西の町は昔ながらの道路中央からの散水による除雪を行っているらしい。しかしその水がかなりの鉄分を含んでいるようで、町中赤錆色だった。米沢周辺の家はことごとく屋根が赤いが、それとは関係ない?

白川広河原川は飯豊山塊の北西の川。置賜白川の支流。最奥の集落は数軒の民家があるのみ。最奥は神社。途中二つの沢に分かれる。どちらも岩魚の渓。 西沢に沿って走る林道を上っていく。釣り人は平日だが何人か見た。入渓予定地点に車が止まっている。仕方なく更に上流を目指す。
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北ヶ沢の出合いに車を止め、朝霧さんは下流へ、得さんはその場から釣り上がる。私はしばらく得さんについて写真を撮っていたが、脱渓してさらに上流へ向かう。私はしばらく歩いて蓬沢の出合いから釣る。まもなく型は小さいがきれいな岩魚が出る。ニッコウ岩魚だった。エルクヘアカディスはだめだったので、シンプルな白黒毛鉤。その方が反応があった。
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しかし、この上流はポイントが非常に少ない。ほとんどガレになってしまった。しかし山ツツジは咲いているし、大きなブナの樹もある。豊穣の山である。反応がないので、写真をひととおり撮って車に戻った。
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得さんがホクホク顔で戻ってきた。テンカラで7尾釣ったらしい。黒毛鉤のパラシュートに良型が次々と出たという。30年間餌つりで来た得さんが毛鉤にハマるのにもう時間は掛からないだろう。朝霧さんも上がってきた。良型が結構でたらしい。貧果は私だけ(^_^;)。この川は守られているというより釣り人の数に対して流程が長いため、これだけの魚影があるのだろう。
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西沢だけでなく東沢も良いという話。置賜の渓もまた豊穣なり。山形はやはり渓流天国だったことを実感させられた。帰りの車の中では疲れているにもかかわらず、2日間の釣行を振り返っては釣り談義に花が咲く。恵まれた自然と、心優しい山形の皆さんに感謝してやまない気持ちである。

1998年6月12日  山形県置賜白川水系広河原川西沢にて

1998年6月11日 (木)

山形の渓は豊穣なり

世田谷通りを多摩川に向けて走ると、案の定工事をしている。 道路は工事だらけだし、渓も堰堤工事だらけ。この国はどうなっているんだ。 中野島の朝霧さん宅の下の道に停まると、まもなく朝霧さん登場。大砲ピックアップの朝霧車から釣り具を積み替える。この人は無類の釣りキチである。渓流釣りだけでも、餌つり、テンカラ、ルアー、フライとこなすし、アユ釣りもやれば、シーバスにも通う。山形へも毎月通う。それに比べれば私の道楽などかわいいものだ。
車は次の釣り人得さんの吉祥寺へ。この人は朝霧さんよりもさらに釣りキチ。この人にオフシーズンはない。まるで魚市場のようにいろんな魚を釣る? 説明しているときりがないのでここでは割愛させていただく。 東北自動車道を北上、朝霧さんの提案どおり福島飯坂で降りる。ここから13号線を走る。高速で寒河江まで行っても良いのだが、高速代の割にはさほど早くない。それに一般道のほうが情緒があるというものだ。
東栗子トンネル、西栗子トンネルと過ぎると米沢に近づく。高畠町はブドウと松茸が名産なのか「ブドウマツタケライン」という広域農道がある。昔はこの道をよく走った。周りには古墳がたくさんある。東北地方には縄文時代の遺跡が多い。東北の岩魚もまた、縄文時代からずっと世代交代を繰り返している由緒ある岩魚なのだろう。
山形バイパスの途中にリリカルアングラーズのほしさんの会社がある。会社には天気と時計を表示する屋上のパネルがあるのだが、南から来ると見えない。どうせなら両方につけてほしいものである。まあ、ほしさんは釣り人の奥さんをもらった前述の御仁、あまり無理を言ってもいけない。それに今回はほしさんのホームリバーの釣行もある。これ以上触れないでおこう。
「ごちそう市場」という店で朝食をとる。早朝から惣菜を買いに来る婦人や、朝飯を買いに来る働く人々が多い。われわれは遊びに来たのである。おとなしく隅っこで食べることにした。
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村山橋で最上川を渡ると、まもなく安楽教の総本山、秀さん宅に着く。約束の時間は8時。まだ2時間もある。起こしてはいけないので、家の前に車を止めて仮眠をとる。しかし秀さん一家の新入り犬りゅうが騒ぐ。はたして秀教祖を起こしてしまった。だが秀さんはまずまずのご機嫌。しかし、安楽はこんなに早い時間には活動しないのだ。第一夜通し走ってくるなんてのは安楽の教義に反する邪悪な行為だと説教されてしまった。
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しかし安楽教祖にしてはまめなお父さんぶりで、われわれに振る舞ってくれるコーヒーも豆から挽いてくれる。安楽なら、ネスカフェだと思った。どうもこの安楽教はあやしい。釣り場にしても、多少つらくても、釣れれば安楽である、となんだかよく解らない。7時半にザッコさんが登場。この人、渓流釣りに関しては、山形でも代表的な釣りキチ。夜明けから夕暮れまで渓で釣っていてもおかしくない人である。
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急用で同行できなくなった秀さんをおいて、われわれは月山に向かう。そう、忘れてはいけない。今回の釣行の目的は、私の「山形ボーズ」伝説を崩壊させることである。 思えば、忘れもしない昨年の山形釣行。2日続けてのボーズに、誰もが唖然とした。どんな素人でも、山形で釣れないということはない。それなのに、なんと2日も続けてボーズを記録したのは、何を隠そうこの私なのである(^_^;)。
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車は112号線を西に向かう。ザッコさんのプラドが先導し、私のパジェロが追う。ザッコさん、曲がるときにウィンカーをつけない。寒河江から釣り場までついに一度の点滅もなかった(おそるべし)。 112号線の風景は、私がこのあたりを走り回った十数年前とはかなり違っていた。一番感じたのはコンビニ。そして、当時はまだ工事途中だった寒河江ダムは当然ながら満々と水を湛えている。
わき道に入る。ここから沢への道である。まもなく道は砂利道になる。途中の分岐があったが、2台の車はN沢の橋まで進む。N沢の橋で、ザッコさんと得さんはY沢へ、朝霧さんと私はN沢へ向かう。車止めに着くとすでに何台かの車が止まっている。様子をうかがうが、すべて山菜取りの車の様子。ちょうどこの時期は根曲り竹のタケノコの時期なのだそうだ。
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車の脇から、山道とは違う踏み跡をたどる。雨の所為かふわふわした土質。腐葉土そのものである。私は感動して、「うわぁ、全部腐葉土だぁ!」と言いながら下っていった。 入渓点から沢まではほぼ45度の斜面。土質が粘土質なので滑る。雨で湿っているのでなおさら滑る。最後のところで朝霧さんが少し滑落した。たいしたことなくて良かった。
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最初のポイント。 「この間はJICKYさんが、ここで釣ったよ。」とプレッシャーがかかってくる。いかにも居そうな気配。カディスを流すが・・・・出ない。 朝霧さんはガイド役なので、私が釣るまでは竿を出せないことになっている。私がもし最後まで釣らなかったらどうなるのだろう。PLAさんのように肩越し釣法が炸裂するのだろうか(^_^;)。
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しかし10分ほど遡行したところで待望の1尾がかかった。バーブレスフックなので足元で鉤から外れたが、ちゃんと確保。型は小さいが18cmほどのきれいな居着きのニッコウ系岩魚である。記念写真を撮る。 正確には「証拠写真」である。
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私も安心したが、それよりもほっとしたのは朝霧さんのほうだろう。これで心置きなく竿を出せるのだから。 しばらくの間、魚影の濃い区間が続いた。ほとんど瀬尻に定位している。
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むしろ瀬尻で遊んでいるのかもしれない。ただポイントによっては、毛鉤を落としただけで逃げ惑う岩魚の姿もあった。PLAさんたちに相当いじめられているのかな?
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5尾目を釣ったころ、朝霧さんが1m四方の落ち込みで26cmを掛けた。どうやらこの沢では記録サイズらしい。それまでの型からして、掛かった後、なぜすぐに抜かないのか不思議に思ったが、魚を見た瞬間「大きい!」と叫んでしまった。抜けなかったのである。
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A沢の岩魚はほとんどニッコウ岩魚のそれも居着きの岩魚。腹はオショロコマのようにオレンジ色をしている。側斑も濃いオレンジ色で、赤い斑点があればオショロコマと間違うかもしれない。
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4時間コースだがかなり遅い遡行になったので途中から飛ばす。脱渓点に近づくにつれて水は伏流し、流れはほとんどなくなってしまった。入渓してから約4時間、ようやく脱渓点に着いた。 しかし上がった仙道がいけない。仙道に並んでいる用水路があり、これからにじみ出た水と雨とが、粘土質の仙道をまるで氷のようにツルツルにしていた。車止めまでの30分の下りは、拷問のような道だったのである。 この下りであちこちの筋肉を使った朝霧さんは翌日も足の痛みを訴えていた。一方の私は、途中で転んでもいいやと思って、結構気楽に歩いていたので、本当に転んでしまった。
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途中、根曲り取りの人に4人出会った。追い越した際に、「ザコでだが?」と聞かれて、思わず、「ザッコさんはY沢です。」と応えそうになった(^_^;)。ザコとは「雑魚」、つまり岩魚、ヤマメ、鮠などの魚をさすのである。 また最後に追い越した人は、座って追い抜かせてくれたが、「釣りか?」と聞かれたときは敵意ある目で見られた。しかし、「岩魚の写真を撮ってリリースしてます。」てな話をすると、腰に魚篭がないのに気づいたこともあってか、急ににこやかな顔になった。釣り人はここでも嫌われているんだなあ。
ようやく車に戻り、集合地点に行くと、ザッコさんと得さんはまだ戻っていない。朝霧さんが、迎えに行こうという。B沢の脱渓地点へ走ると、二人が向こうから歩いてきた。疲れたらしくエンジン音が聞こえたときは「天使の音」のようだったと言われてしまった。

朝日大井沢エリア
半日の釣りでかなり疲れているにもかかわらず、誰も今日の釣りを終えようとは言わない。それぞれが良い思いをしたのだが、やはり山形の渓はこんなものではないという気持ちがどこかにあるのか。「大井沢に行きます」、とザッコさんが言う。 大井沢といっても、沢の大井沢ではない。地名である。寒河江川の本流にある「朝日山の家」の前にあるキャッチ&リリース区間で釣ろうというのである。
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大井沢の朝日山の家に着いた。さっそく釣り券を買う。山の家のご主人である志田さんの奥さんと思しき方が、とても感じよく、「お気をつけていってらっしゃいませ。」と言ってくれる。釣りに来て良かった(^_^)。
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寒河江川にはフライフィッシャーやルアーマンが何人も入っている。橋から見回しただけでざっと6,7人は見える。ここは山形では有名な寒河江川のC&R区間。フライのメッカでもある。そしてほしさん、ふぇねぎぃさん夫妻のホームリバー。川幅は50mはあろうかという広さ。ポイントがわからない。風も強い。しかし川下からの風で振り込むのに困るほどではない。本流の釣り経験はほとんどない私、股下の流れにたち込んで振り込むがどうもうまく行かない。
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ほかの3人は左岸で釣っている。私は右岸に回る。ところが風は左岸側から吹いてくる。振り込めど振り込めど毛鉤は飛んでいかない。おまけに午後の西日が私の背後から流れに影を落とす。最悪のポジションである。それでも意地になって右岸で振りつづける。20cmほどの魚影が2,3度毛鉤を伺いに来るが手前で反転して帰ってしまう。やっぱりこのポジションでは駄目か、と思っていたら、対岸でザッコさんが岩魚を掛けた。
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向こうから呼ばれたので対岸へ徒渉しようとガンガン瀬を渡る。深さはちょうど私の股くらい。しかし、本流の流れの押しは並大抵ではない。おまけに首から一眼レフをぶら下げていてバランスが非常に悪い。瀬の真ん中で立ち往生しているのを、ちゃっかり見られてしまった(^_^;)。テトラの端に上陸し、ザッコさんのところへ行くと、38cmのレインボウを釣ったという。テンカラで、それもヒレピンのレインボウだから、のされてしまったらしいが、サクラの竿と1号の先糸が耐えてくれ、なんとかランディングに成功したらしい。

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何気なさを装いながらも、ちょっとその話題に触れると、目尻を下げて語り始めるザッコさんを見て、私もうれしくなってしまう。しかしここには2尺近い岩魚も居るらしい。C&Rの効果であることは言うまでもないだろう。ザッコさんの釣った38cmも口の周りに鉤のあとが付いていたという。傾く夕日に追われながら、朝日山の家を後にする。あんな釣り場は初めてだが、すばらしい試みだと思う。日本の釣り人は、最近渓に魚が少ないと嘆く。しかしきっちりC&Rを守り続けることであれだけの川になるのである。
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渓流釣りは漁ではない。基本的には遊漁・・・遊びである。ならば釣れないより釣れたほうが良いではないか。そのためにC&Rが良いならば、もっとあちこちで寒河江川を見習うべきかもしれない。 小さな渓でもそれができれば、日本の渓流釣りの未来は明るい。内水面漁協が雑魚に対してはあまり積極的でないところが多いが、現代の釣り人口とフィールドのバランスを考えると、関東の渓でもそれが必要な時期に来ている。毎年何十万尾もの放流をして釣らせるよりも、きちんと管理をして魚影を濃くしたほうが漁協の将来も開けてくるような気がした。

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寒河江では郁楓庵にお世話になった。夜更けまで釣り談義。実はこれが実釣以外では最高の楽しみ。否、釣りよりも楽しいかもしれない。秀さんの眠り酒も定番のようだ。ザッコさんは純米酒を5合ばかり空けて千鳥足。飲まないPLAさんも最後までお付き合いくださった。
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1998年6月11日  山形県赤川水系N沢、寒河江川

【追悼】
郁楓庵のシンボルでありアイドルでもあったアックス(わんこ)が2006年永眠しました。 肉球で書いた年賀状をくれたこともありました。 PLAさんのお宅へお邪魔したときいつも歓迎してくれたそうめにすとのわんこ、安らかに眠ってください。
【追悼】
素晴らしき釣り仲間であったザッコさん(那須川一敏さん)が令和3年(2021)8月に他界されました。享年80才でした。自衛隊で鍛えた強靭な体力と行動力を兼ね備えていた雑魚さんでしたが、病に倒れてしまわれたと聞きました。私とは一回り以上違っても私など足元にも及ばない体力の持ち主だっただけに、残念です。心からお悔やみを申し上げます。

 

1998年5月28日 (木)

熊本緑川で勝三郎さん、琥珀さんと釣る

岩魚、山女魚の南限はどこだろう。岩魚の南限は紀伊半島のキリクチだというのが通説である。果たして山女魚は・・・・屋久島が実際の南限だが、あれはノータリンクラブをはじめとする有志の放流により今に至るが本来生息していたものではない。ネイティブという観点からは宮崎県の広渡川が南限とされているが、岩魚と山女魚は有史以前からの放流の繰り返しにより今の分布になっていることは疑う余地がない。マタギや樵(キコリ)が山仕事の生活の蛋白源を確保するために源頭に放流したり、峠を越えて移したりしたことは間違いないだろう。また、九州の山女魚はアマゴではない。朱斑がないのである。大分県の一部にはアマゴが居るらしいが、宮崎も熊本も生息するのは朱斑のない山女魚である。そんな不思議で謎の多い九州への釣行はこれで3度目だが、いつも楽しみでわくわくしてしまう。
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夜中の九州自動車道を南下する。九州は世界でもっとも南にサケマス属が生息する地。台湾のサラマオマスがあるが、あれは標高1,500m以上の高地に細々と生息する特別な種。過去、五ヶ瀬川支流の鹿川、一ツ瀬川上流の西米良村と釣ったが、それは宮崎県。宮崎県は椎葉村に代表されるように山深いイメージを持ち、西日本の渓流師にとってよく目指される地域である。それに比べて熊本県の情報は非常に少ない。その為、初めは大分県を考えていた。イワメに会ってみたかったが、どうも保護されており禁漁らしい。そんな折、kurooさんが熊本に釣行。話を聞いたり「季刊kuroo」を読んだりして、熊本にお世話になってみたいと思ったのである。
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図々しいといえば図々しい事だ。内心琥珀さん、勝三郎さんからの情報を期待して準備に取り掛かった。しかし、阿蘇山には2度行ったが阿蘇の南の事はほとんど判らない。直前に一緒に行っていただけると云われて、涙が出るほどうれしかった。夜中に勝三郎さんのご厚意で、御船まで出迎えていただいた上、仕事場に泊めていただいてしまった。何ともお礼の仕様が無い。東京人はこうして遠征釣行するとあちこちの方々にお世話になるが、そのお返しがなかなかできないのは本当に心苦しい。
明くる朝、午前6時、鹿児島から琥珀さんが駆けつけてくれた。つい先日まで琥珀さんは南阿蘇に住み勤務されていた。勝三郎さんもこの地のネイティブ(失礼m(__)m)。 釣行にこれほど安心な事はない。しかし釣行の区間はお二人とも完全遡行は未経験との事。 19時には博多に戻らねばならない身であったため、時間は最後まで不安材料の一つであった。もっともkurooさんも、飛行機の時間に間に合わない状況で、大騒ぎされたようであるが・・・・。
まあ、いざとなれば仕事をサボろうという心積もりで入渓した。 脱渓地点に車を置き、勝三郎さんの車で入渓地点へ向かう。 脱渓地点に置いた車がRAV4であった事がちょっと心配だった。しばらくはユンボが入って川床をひっくり返している。 流れも変えられていると勝三郎さんと琥珀さんが言う。しかし、流れは豊かで奇麗である。まもなく川床をほじくり返した地域は終わり、中型の岩が多くのポイントを形成する流れになった。所々分流になっているところもあるくらい流れは多い。
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琥珀さんと勝三郎さんはフライフィッシング、得さんは餌、私はテンカラでそれぞれに釣り始める。誰が最初に釣るか・・・・。私の予想オッズは、得さんが2倍、勝三郎さんが4倍、琥珀さんが6倍、私が12倍。得さんは過去の釣果を考えるとまず堅い。 勝三郎さんと琥珀さんはガイドモードなので少し低い。 琥珀さんの6倍は今年はじめたばかりというフライで挑むため。
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ところが皆さんの期待に反して、私が釣ってしまった。ただ単に先行して良いポイントに振り込ませていただいたからである。腰ほどの深瀬にカディスを流すと、割とゆっくりと咥えた。20cmを少し超える奇麗な山女魚である。本命の得さんはやたらと数を上げるが、型が今一つでない。不思議だったが勝三郎さんがその答えを教えてくれた。この地方はほとんどが餌釣りで、毛鉤の人口は少なく、それだけ毛鉤が有利らしい。
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この渓はU字谷というか、阿蘇山の噴火時の地層が柱状節理となり、それが圧せられて大きな岩盤になっている。どうやら途中で脱渓できる地点はない。所々にチャートらしい真っ赤な岩がある。その昔、阿蘇山は富士山を凌駕する標高の火山であったらしい。その裾野が阿蘇外輪山の外側である。そしてこの渓はその裾野の端に位置する。もし出水したら逃げ場はないかもしれない。 しかし夕方まで天気はよいという話に安心した。
得さんが尺物を掛けた。勝三郎さんと琥珀さんが歓声を上げる。しかし「う」であった。尺前後の魚影がいくつもあったらしい。おそらくその中には山女魚も居るはずだが、でたのは「う」だった。その魚影を観た琥珀さんはいつのまにか餌竿を手にしている。おやおや。気仙川仕込みのナチュラルドリフト釣法は奇麗な流しであった。しかし、山女魚は掛かっても小型ばかり。琥珀さんは、途中20cmの虹鱒を釣ったが養魚場から落ちたもの?
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そうしているうちに得さんが再び尺近い「う」を上げる。「う」に閉口した得さんはこのあたりからテンカラにスイッチ。得さんのレベルライン仕掛けのバランスが素晴らしい。日新の冨士流風流テンカラ3.2mの軟らかいタイプにトヨフロンハード3.5号。これが素晴らしいマッチングで毛鉤を奇麗に飛ばす。私の方はチビ山女魚の攻撃に閉口し、毛鉤を13番にする。また、勝三郎さんは素晴らしいFFの使い手で、ラインは奇麗に伸びてポイントに毛鉤をプレゼンテーションしている。しかし、今日の山女魚は居留守を使っているようで、ついに大型が出る事はなかった。
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やがて函(はこ)になった。マズイなあ、この函が続いたら、時間に間に合わないかもしれない。と思ったのもつかの間、函の先は脱渓地点の養魚場下であった。この渓で感じた事は、九州山地の渓の奥深さ。そして九州男児の心優しさであった。勝三郎さん、琥珀さん、本当にありがとうございました。
1998年5月28日  熊本県緑川にて

1998年5月21日 (木)

近郊の渓、鶴川を釣る

たまには近くの渓をやってみなければと思い上野原の鶴川に得さんと一緒に釣行した。鶴川は上野原ICから近い渓。いわゆる初期の川と言われている。放流も確実に行われ、魚影もそれなりに濃い。しかし、こういう地理的条件の渓ではGWあたりになるとスレッカラシで釣れなくなる。しかし、今日はなんとなく釣れそうな気がしている。期待しつつ棡原(ゆずりはら)で入渓しようとすると、数少ない駐車スペースに先行者の車あり。遅出で時間ももう8時になろうとしていたのでそのまま入渓しても良かったのだが、無理な駐車をして地元の人に迷惑をかけてもいけないと、上流へ向かった。
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大垣外(おおがいど)の橋の脇が空いていたので車を止め入渓。しばらくは平坦な流れが続くが、山女魚の魚影はある。わきのトロ場には放流されてまもない稚アユがたむろしている。
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坂本の下あたりで最初の山女魚が出た。側線の回りの朱色がきれいな個体。餌釣りの人が良く言うピンシャンである。山女魚のパーマークは本当に面白い。こうして写真に撮っていくといろんなパターンがあって、いつか資料としてまとめてみたいと思う。
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坂本を過ぎるあたりから谷はさらに深まってくる。平瀬の多かった渓相も次第に落ち込みを連続し、山岳渓流の様相を呈してくる。入山沢の出会いの淵では、底に野ウサギの土左衛門が沈んでいた。大物と思ってこんなのを釣り上げたら、その日一日気持ち悪いだろうなあ。
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出合の上流で同行の得さんが、餌で良型を1尾釣った。このあたりも魚影は比較的濃いようである。フトコロがあるので餌釣りに歩がある。瀬尻の大石の反転流に尺ヤマメがいたのだが、毛鉤の数cm手前で帰っていった。岩陰から釣っていたので、ほんの2m先の尺山女魚に胸が高鳴ったが、その後尺山女魚が姿を見せることはなかった。餌も入らないし、毛鉤も一瞬の勝負しかできないポイントに、あんなやつは居るのだなと納得してしまった。この鶴川は「つる川」でなく「つれない川」だと聞いていたが、山女魚は元気で魚影もまずまずだった。
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小菅の往来時に度々立ち寄っているのだが、西原地区の神社の手前に蕎麦処「花の里」がある。 とてもおいしい手打ちそばを食べさせてくれる。 花の里のおいしい蕎麦で疲れを癒した。
1998年5月21日  相模川水系鶴川

1998年5月12日 (火)

秩父岩魚を探して

5月12日未明、三鷹の最後の餌釣り士清石さんを迎えに上がる。午前2時過ぎというのに清石さんは家の前で待ってくださっていた。早速清石さんの道具を積み込む。当初私は正丸越えで秩父入りしようと思っていた。ところが先月開通した雁坂のトンネルを通ってみませんかと老師に言われて、その道の開発の度合いも見てみたくなった。
雁坂トンネルの道は異様にいい道である。観光バスにどうぞ通ってくださいというような道。これまで奥地という感のあった秩父大滝村が開けると同時に、秩父の貴重な自然が失われて行きそうな予感が強く感じられた。事実、秩父市内から入川入り口まで、土日には倍近い時間がかかるようになったらしい。
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秩父在住の安谷さんと、秩父生まれのkurooさんが、夕暮キャンプ場の前でもう待っていてくれた。清石さんと私も早速支度をして、これから入渓地点まで1時間半の歩きである。赤沢吊橋に着くころには明るくなってきた。しかし昨夜からの雨はしとしとと降り続いている。矢竹沢に入ることにした。沢は出合からかなりの落差を示す。もしかしたら入川本流の岩魚は遡れないかも知れない。川虫はオニチョロを中心に豊富である。清石さんが川虫が多いということは魚がいないということかもしれないと言われる。
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果たしてアタリもまったくなく、遡行する4人も不安になってきた。渓相は本当に美しい。東京近辺にこれほど美しい渓があるだろうか。しかし岩魚はいない。もしくは食い気がないのか。 そうしているうちに安谷さんが待望の1尾を釣り上げた。型は小さいが貴重な岩魚。早速写真に撮る。
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釣れたのは10cmほどのニッコウイワナ。安谷さんが何度か釣ったというヤマトっぽい岩魚ではなかった。その後清石さんが同サイズを釣る。あまり大きな個体はいないようである。私の毛鉤は無音を守っている。本当に魚がいないのかと思っていた矢先、白泡の下からさっと出てすぐに戻っていった20cmほどの岩魚の魚影を確認した。居ることは居るようだ。ただ私が下手なだけ(~_~)。
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結局この日秩父岩魚は姿を見せてくれなかった。しかし、1回来ただけで出てくるようでは調べるほどのものでもない。次回の安谷さんの釣行に期待したい。しかし今回一番驚いたのは清石さんのご健脚ぶり。大正生まれとは思えないほどのスタミナと自然な歩きであった。往復15kmほどの道のりを音を上げるどころか、時にはわれわれに先行して歩いて行かれたほどである。
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秩父入川に沿う森林軌道跡は平坦で歩きやすいが、さすがに30年を経ているので崩れてしまっている個所も多かった。途中、キノコや植物に詳しい安谷さんは魚篭にキノコを詰めていた。またkurooさんはおひたしにすると言ってミズを刈っていた。釣りだけの狭い視野でなくもっと広い視野で見ると山にはいろんな魅力があふれていることを安谷さんもkurooさんもよくご存知である。
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安谷さんとkurooさんが持っているスーパー袋の中身は収穫物ではなく、ゴミである。秩父の渓はゴミが少ないが、それでも袋に一杯のゴミは軽く拾うことができる。ゴミを拾う必要のない渓にしたいものである。悪天候もあって少し疲れたが、楽しくも学ぶところの多い一日だった。後になってこの秩父岩魚探釣が瀬音の森のきっかけのひとつとなったと、振り返ることができる。
1998年5月12日  秩父荒川水系入川支流にて

1998年5月 6日 (水)

富士北麓の渓 芦川

5月6日、ゴールデンウィークの明けた翌日、50kmの大渋滞が夢のあと・・・・・の中央自動車道を西走。甲府南ICから芦川村へ向かう。今日はどちらかといえば典型的な安楽釣り場の芦川。地元での読み方はあしがわだが、一般的にはあしかわと呼ばれる。下流は三珠(みたま)町、中流がオウムで全国的に有名になった上九一色村、そして上流が芦川村である。標高1,700m前後の峰を挟んで向こう側は河口湖。甲府盆地との間には、1,200m前後の峰があり、まさに谷あいの村である。
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安楽釣り場と書いたのは、上の写真のように、流域のほとんどを県道が沿っており、どこからでも入渓できるためである。 芦川には下芦川と中芦川、上芦川という地籍があるが、下芦川は三珠町内、中芦川と上芦川は芦川村内である。 下芦川のさらに下流の高萩地区で入渓。しかしここではアブラッパヤとウグイのみ。前回はこのポイントで山女魚が出たのだが、スレているのか居ないのか、まったく音沙汰なし。 中流の上九一色村村内の芦川渓谷にはデリカが止まっていたため、上芦川まで上って釣り始めた。
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下芦川地区の水量と比べるとかなり少ないが、それでも例年よりは多いようである。当然のごとく先行者の足跡は沢山付いていたが、岩の際などの茶碗ポイントをまめに探っていくと、毛鉤に飛び出す山女魚らしき魚影があった。 魚影はあるのだが、かなりスレている。アプローチの仕方を工夫してようやく釣り上げたのが下の写真の岩魚だった。
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背中の斑点からするとまずニッコウ岩魚なのだが、私のような素人にはこのくらいの個体になってくると、ヤマト岩魚とニッコウ岩魚との区別がつかなくなってくる。 実際の個体はもっとオレンジがかっていたのだが、ストロボ撮影したためちょっと色が薄くなってしまったが、岩魚の種類は難しい。奈川の岩魚もこれに近いタイプで、あちらは日本海に注ぐ河川、こちらの芦川は富士川の支流だから太平洋に注ぐ河川ということで、残念ながらこれは間違いなく放流の岩魚だろう。
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山女魚(アマゴ)のパーマークや斑点も面白いが岩魚の斑点は比べてみるともっと面白い。以前は岩魚は岩魚としてひとくくりで見ていたのだが、最近はその小さな違いを見て楽しむことも多くなった。 ちなみにものの本によるとこのあたりはやはり岩魚が釣れる区間らしい。
1998年5月6日  富士川水系芦川

1998年4月25日 (土)

雨の藪沢秘渓釣行

藪の高橋さんと二人で高橋さん行き付けの藪沢へ釣行した。生憎の雨でどうかと思ったが、ちょっと遡行は難しいものの危険というほどではないと判断して入渓した。たしかに普段の倍ほどの水量がある。 しかし、すごい魚影だった。
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テンカラが振れるところではテンカラにするが、大部分は提灯釣りである。 5.3mの硬調の竿に30cmほどの仕掛けをつけて毛鉤を結ぶ。その毛鉤をカゲロウの様に水面で躍らせると、ヤマメが次々に飛び出してくる。空中でも掛けた。まるで日中のマッチザハッチで、50尾以上は反応しただろう。 もっとも私が毛鉤に掛けたのは10尾ほどだったけれど。
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藪の高橋 さんへの釣行後のコメント
昨日はありがとうございました。 水量はちょっと意外でした。 流程数kmの小河川にあれだけの水があるということに驚きとともに嬉しさを感じました。 天気は悪かったですが、あれだけの山女魚が出てくれるとは、すごい渓です。
提灯テンカラでツ抜け以上掛けることができましたし、もう一つ、魚に対する藪高さんの愛情も感じました。リリースの方法、私の場合はかなり荒っぽいところがあります。 バーブレスフックなので取り込まずにテンションをゆるめて泳がしていれば外れるのに、どうも取り込みを考えてしまいます。(しかし最後の山女魚は泳がしても外れてくれませんでしたが)
打率2~3割というのが少し寂しいですが、提灯テンカラで始めて釣れた日にいやというほど練習をさせてくれた渓に感謝したいと思います。昨日は釣れすぎて贅沢になっているようです。
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確かに藪の高橋さんの釣り仲間(レンジャーもいる猛者集団)に言わせると、あの雨でこの区間に入るのは「酔狂」らしい。 しかし今回は高橋さんの釣りへのこだわりや魚への思いをじっくりと拝見することができた。
1998年4月25日  伊豆のS川にて

1998年4月13日 (月)

春の日川

世田谷は降っていなかったのに吉祥寺は雨。 天気予報は雨だと言っていた。今日の釣行先も予報は雨。しかし、そんなに増水する渓ではない。最近ダムが完成してどう変わったかが気になる。昨年の納竿はこの川。アマゴの産卵をじっくり観察できた渓である。あのアマゴ達は元気だろうか。そして彼らの子供たちは川の淵の幼稚園でちょろちょろしているだろうか。勝沼ICを下りて30分、どでかいロックフィルダムの下にあるペンションすずらんに着く。家主はまだ起きていない。入漁券を買うのは後にして、まずは「いちのたいら橋」から上流を釣る。
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予想したより水量は少ない。沢の出合いで得さんがまず6寸イワナ。しかし後が続かない。水も淀んでいる。やはりダムの所為だ。水量は本流3に対して沢7。以前とは逆である。水温は6度。目茶苦茶低い。毛鉤に出るのだろうか、不安になる。魚は瀬尻にはまったく出ていない。これはボーズ記録を伸ばすかも知れない。水が汚いのでいったん上がってすずらんに寄る。釣券を買う間、得さんは食堂の壁に掛かったアマゴの剥製を眺めている。幅広背っぱりの尺上アマゴもいる。 あんなのが釣れたらお祝いだろう。
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沢に入る。 路脇の堰堤下を得さんが釣っている間に、堰堤上に入った。堰堤から30mほど上流で魚影を見つけた。数尾いる。毛鉤を流すとおチビが追ってくる。追ってくるが水面に出ようとはしない。何度流しただろうか。業を煮やしていた頃に得さんが来た。ブドー虫を底すれすれに流す。あっという間に咥える。咥えて引っ張っていく。2投目も同じ。なんでおまえら毛鉤は食わないのだ!今度は私がもう一度毛鉤を流す。 と、突然パシャっと出た。食わないと思っていたのでまったく合わせられない。得さんが笑っていた。
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しばらく遡行するとあちこちに雪が残っている。水温6度。雨が降ってきた。ここの標高は1,500m。雪の多さにいささか驚いた。この沢は落差のあるイワナの渓。ポイントは多いが上の方ではなかなか魚影が見られない。しばらく上がった所で、笹薮を薮コキして杣道に出る。何とそこにはバイクのタイヤ跡があった。トライアル小僧だな。しかしすごいところにバイクで入る奴が居るものだと感心した。藪になりかけの杣道をしばらく下りると林道に出た。場所変えだ。
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嵯峨塩鉱泉の少し上流の大堰堤の上から入渓。魚影がある。得さんと同じポイントで釣る。白泡の向こうのポイントに打ち込む。パシャ! 出た! 慌てて合わせると飛んできた。6寸のアマゴ。正直なところ本当にほっとした。ボーズを免れた。掛けたアマゴを見るとスレである。エラのところに掛かっている。やはり相当にスレているのだろう。丹沢山女魚と変わらないくらいの速さだった。
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しばらく遡行して、ここはというポイント。得さんが釣り気になっている。そして1投目にいきなり釣った。あれは水中がわかっていなければ出来ない。アタリといっても目印に出るかでないかの微妙なもの。そばで見ている私には目印の変化はわからなかった。出たアマゴは24cmほどの精悍な顔の雄。良い魚体である。得さんも満足気。沢の頃からしとしと降っていた雨が強くなった。もう昼時である。納竿。
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国道20号に下りると天気は晴れ。あれ? 予報は雨じゃなかったっけ? 気温は27度と暑い。さっきまでは13度の空気の中に居たからたまらない。エアコンをガンガンに効かせながら帰途に着いた。
1998年4月13日  富士川水系日川

1998年4月 6日 (月)

得さんと三坊主川へ

去年通った沢に今年も行ってみた。 水量はどうだろう。 山女魚は元気にしているだろうか。そんな気持ちで釣行した月曜日の朝、雨が降り始めていた。本当は南伊豆の渓に行こうかと思ったのだが、雨による増水を考えてこの沢にした。
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入渓して堰堤を2つ越すと最初のポイントがある。 ここは毎回掛けるところである。 今回は得さんがまずは餌で釣る。 しかし問題があった。今年は丹沢も東京都同じく多雪であった。そのために渓の斜面の樹木があちこちで根こそぎ倒れており、その倒木がポイントに覆い被さっているのである。倒木の下でしゃがむか這いつくばるかして接近し振り込む所なのだが、それも出来ない。まあ、得さんは餌釣りの名手なので何とか引きずり出すかと思ったが、水の中に倒木の枝が何本も沈んでおり、それが根掛かりして思うように釣ることが出来ない。
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倒木のないポイントはほとんどなかった。 そして最初の滝までは山女魚に出会うことができなかった。 しばらく遡行して到着。ここで朝飯にした。 の釜も魚信なし。例年私はテンカラオンリーでここに来る。そのためこの釜はいつも飛ばしてしまう。 しかし今日は餌釣りの得さんがいる。 滝壷を探ってもらうが、魚信なし。この釜にはいないか、居ても相当なツワモノと思われる。 そして滝上をしばらく遡った所で、魚影発見。 瀬尻の浅い所に遊びに来ている。 毛鉤を落とすがさっと逃げてしまった。そこで得さんが餌で探る。 得さんも魚影を確認したようだ。
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得さんがまずは1尾、6寸のピンシャンな雄山女魚を釣り上げた。 奇麗で精悍な山女魚である。 少し上流で岩の下に入った山女魚を私が見つけた。「得さん、その岩の下に1尾・・・。」すると得さんは岩の下に仕掛けを滑り込ませ、7寸の見事な雄山女魚を釣り上げてしまった(すみません写真がピンぼけで使えませんでした)。 しばらく遡行したが雨足が強まってくる。倒木はだんだんと多くなる。落差も激しくなる。入渓地点からの標高差は60m。 そこから落差は急に大きくなり、次の滝では標高差が160mとなった。距離的には入渓点から1.5km程度なので10%の傾斜があることになる。
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F2にはやはり倒木が・・・・・仕方なく、ここは私が佐久解禁以来のブドウ虫で釣るが魚信なし。もっとも倒木の下の深みはさすがに餌を入れることが出来なかったので、実際には居るはずである。 雨足は更に強まってきた。ここで撤収としたことは言うまでもない。 しかし、元気な山女魚に会うことが出来たのは幸運だった。同行の餌釣り名手得さんに感謝である。
1998年4月6日 西丹沢のT沢にて

1998年3月28日 (土)

「秀」さん歓迎OLM@朝日川

山形県は寒河江市の暇人大王?「秀」さんが上京した。といってももともと「秀」さんは川崎の出身。今も実家は川崎にある。そんな「秀」さんが来るというので、瀬音の面々が朝日川に集った。

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朝6時に都留ICに集合したのち、朝日川に向かい各自沢割りして散らばった。私は鵜住居さんと道志口沢に入渓。沢の水は少ないが落差はある小沢。まずは1尾釣るごとに先行を交代しましょうと申し合わせ釣り始めた。

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鵜住居さんがいきなり入渓地点で小さいヤマメを掛けた。期待が沸く。次に私が・・・と毛鉤を落とすが出ない。そのうちふと上流を見ると、誰かが居る。そばに近寄り声を掛けると驚かれてしまった。「この沢で人を見掛けることはないから驚いちまったよ」とその人は言う。聞くと、唯一この沢沿いに家を建てて住んでいる方。しかし釣りはしないという。沢で手を洗っていただけのようだ。そんな話を聞くとこれは良い沢かもしれないと思うのが人情。しかししばらくいっても魚信はなかった。ふと右岸に付いた林道が続いているのを感じ、林道に上がったら随分と奥まで続いているようだった。結局私はボーズの言い訳をしなくてはならない羽目になった。

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広場には山男魚さんと朝霧さんがタイイングの準備を始めていた。釣り好きが集まると、事実、誇張を交えて、話に花が咲く。まして渓の傍での集まりとなれば、じゃあやってみろと釣りを始める輩まで出てしまうのである。

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私が上流にヤマメの溜まっているポイントがあるというと、藪の高橋さんが釣るという。藪の高橋さんは這う様にしてポイントに接近、蜉蝣(カゲロウ)の舞を披露。良型のヤマメが飛び出したが掛からず。2尾目の瀬尻のヤマメも出たがフッキングなし。しかし私はここで、パチンコ釣法に引き続き、藪の高橋さんの必殺技蜉蝣(カゲロウ)の舞を見学することができた(^^)。

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広場の渓相はこんな感じで、目の前で皆さん竿を出していた。左の写真は佐久から駆けつけたRYONさん。右の「秀」さんは悠然とレベルラインテンカラを振っていたが、ヤマメを掛けたそうである。

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よかったよかった(^^)。

OLMの最後は恒例スターらんどで入浴して、大広間でウダウダした。怪しい黄色い着衣を借りてビールを引っ掛ける面々。

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縄文さんは少し酔ってしまったので、覚ましてから帰るとおっしゃる。われわれは先に帰ることにした。

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このあと秀さんは清石さんの店「有宝堂」へ。夜はアヤスイ宴会が開かれたが私は参加できず。アヤスイ関東酔っ払い連合に「秀」さんが加わって、賑やかさは例を見ないほどだったという。

1998年3月28日 山梨県桂川水系朝日川

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